特集1 東日本大震災からの復旧・復興 あれから5年(7)
[PART3]スペシャル対談 私たちが今、できること
震災から5年が経過し、支援する側もされる側も、次の段階へ進もうとしています。前を向いて歩んでいる方々にエールを送るとともに、それを支える側は何ができるのかを、改めて考えたいと思います。
東日本大震災の発生直後から「食」に関係した支援活動を精力的に続けている日本料理店「分とく山」総料理長の野崎洋光さんと、福島県人バンド「猪苗代湖ズ」としてチャリティーソングをリリースするなど、多岐にわたる活動で復興支援を行っているクリエイティブディレクターの箭内道彦さんは、ともに福島県のご出身。お二人に東北への想いや現状の問題点、今後の取り組み方などについて語っていただきました。お二人のお話が、豊かな明日を作るヒントになること、希望へのメッセージになることを願って。 |

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東北への熱い思いから、アイディアが尽きないお二人。「素材はいろいろとあるので、一緒にやっていきましょう ! 」と力強い言葉が |
「食の持つ可能性を未来につなげて」(野崎さん)
関わっている中で感じる地域再生の現状
箭内 以前からお話ししてみたかった、同じ福島県出身の野崎さんにお会いできてうれしいです。
野崎 こちらこそ。箭内さんの活動は、テレビなどでよく拝見しています。
箭内 2011年6月から『福島をずっと見ているTV』という番組(NHK Eテレ)を続けています。15年4月からは福島県のクリエイティブディレクターになり、知事とともにさまざまな形で福島を発信していけるよう、取り組んでいるところです。
野崎 私は生まれが福島県で、以前から三陸をはじめ、岩手県、宮城県にもよく出入りしていました。ですから、震災はいわば親戚が事故にあったようなもの。「どうしても東北に行かなければ!」という強い思いにかられ、仲間の料理人たちを何人か連れて、炊き出しから始めたんです。結局、現地で食の提供をすることが、自分の気持ちが一番落ち着くことでしたね。
箭内 私は最初、県民側の味方になりたいと考えていました。どうしたら県民の方々が心強いと思ってくれるだろうか、楽しい時間を過ごしてもらえるのだろうか、という発想で活動してきました。ですから、あえて役場や県庁などとは距離をおいていたのです。それが4年経ち、県民と役場・県庁などとの間にある溝がすごくもったいないと思い始めました。行政の方はすごく努力されているし、生産者の方々は、努力のたまものである農林水産物がまだまだ誤解を受けていて、苦労されている。そうした両者の姿を傍観するのではなく、私の強みである「広告」という手法でお役に立てないかと思い、最近では行政と県民の間に入って活動しています。
野崎 それはすばらしいことですね。私も「食」に関することで、携わっていきたいと思っています。これまでは「食」に関する民間の復興支援イベントによく招かれたのですが、今後は自らが主体的にできることをやっていこうと考えています。もっと生産者に寄り添う活動がしたかったものですから。具体的には年に3回、東京から被災地を訪れるツアーを企画するなど、できる範囲で自分から働きかけています。ただ、これからの支援は個人レベルではなく、より組織レベルの問題になるのではないでしょうか。震災から5年が経ち、いい面も悪い面も含めて、支援する側もされる側も変わってきたと感じています。
箭内 県民と行政の溝もそうですが、人々は思いや立場がバラバラなまま、地域再生に取り組んでいます。それが意見の対立を生み、ときには復興を阻む要因にもなっている気がします。
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野崎さんの震災直後の初めての活動は炊き出し。「とにかく行きたいという思いでかけつけました。仲間の料理人たちも一緒に行かせてくれと言って。ありがたかったですね。これからも食に関することで応援していきたいです」と野崎さん。 写真は福島県須賀川市での炊き出しでフレンチ「ラ・ブランシュ」田代和久さん(左)、「天ぷら天真」樟山真栄さん(中央)と。3人とも福島県出身 |
「トップランナーとして経験を力に」(箭内さん)
周りに伝えることが大切。今後は斬新なアイディアを
野崎 私は今回、東北が経験した未曽有の大災害からの復興という課題は、今後、特に大都市で起こったときのモデルになるのではないかと思っているんです。
箭内 災害は全国で起こりうる。それを先んじて体験して対処する方法を学んだトップランナーだった、ということかもしれませんね。これからは、被害によるマイナス分をゼロに戻す以上のことをやっていかなければなりません。だから「食べて応援」にしても、「こんなにおいしいものを作ったのだから、食べないともったいないですね」と言わせるぐらいの段階に入っているような気がします。そういう誇りや自信を大事にするべきではないかと。
野崎 「自分たちがトップランナー」。いい言葉ですね。確かに、この体験は今後の"教科書"になりうると思います。ところで私は福島県に食の大学を作ろう、と考えているんです。生産、物流、加工まで全部を網羅できる大学です。ある意味、「食」が一度ダメになったからこそ、その体験を踏まえて、新しい「食」の形を総合的に作り出す場を作りたいのです。
箭内 いいですね。とてもいいアイディアだと思います。
野崎 東北を応援していきたいという方には、やはり東北に来てもらうことが一番です。そのために、受け入れ側は郷土芸能やみんなが集まる祭りを見直し、魅力的なイベントを作るべきだと思います。
箭内 そうですね。旅をして、人と出会って、そして友達になること。東北の方々は頑固で引っ込み思案、というイメージもありますが、思い切って話しかけると面白い人たちが実に多いんです。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の登場人物のように。そういう人たちの持つエネルギーを知ってほしいです。
野崎 ふだんから親戚付き合いをしていれば、たとえばお米が手に入らなくて困った時でも、優先して送ってくれますよ。互いが助け合える、という関係がいいんです。支援している、されているという関係は、される側も意外とつらい。付き合いの延長線のほうが、お互いに楽だと思うんです。
箭内 多くの人々に、現在の様子を伝えることも大切だと思います。災害や復興の詳細を知らない全国の人はもちろん、被災地側の人たちにも。同じような立場の人たちが、現状を知ることで勇気や元気をもらえる気がするんですよね。それぞれが孤軍奮闘している感覚の時期があったと思うので。
野崎 他の人たちがどのように頑張っているかが分かりますからね。
箭内 東北の人たちの体験や取り組みの全てがロールモデルになっていく。それを知ることで「自分も同じことができるのでは」という自信にもつながるので、そういう機会を減らしたくないですね。
野崎 阪神・淡路大震災の復興イベントも半分に減っていっているというし、今後、東日本でもそういう時期に入ってくるでしょうから。
箭内 それから、震災発生当初には何もできなかった人も、5年ぐらい経って初めて何かやろう、訪ねてみよう、ということでいいと思うんです。そういう人たちがこれからいろいろなことを形にしてくれるといいと思いますね。野球だって先発、中継ぎ、抑えといるわけですから。だから、今からでもぜひ関わっていただきたいと願っています。
野崎 今後は農業だけではなく林業、漁業が絡み合って、地域で存続可能な職業になっていく、それをうまく構築することが重要でしょうね。地域に残る産業として確立していかないと。そのためには、我々もいい形でご協力できたらと思います。
箭内 これまでは、実際の物資や思いが大事でしたが、これからは野崎さんのようなアイディアが必要な時期なんですよね。今まで通りのことではないチャレンジが。若い力を巻き込んでやっていければいいですね。
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2月15日に公開された『みらいへの手紙?この道の途中から~』は福島に存在するさまざまな思いを伝える、実話に基づくオムニバス形式のドキュメンタリーアニメーション。箭内さんはこの地方自治体初のアニメ制作プロジェクトに参加。写真は制作発表会で福島県知事の内堀雅雄さん(中央)、アニメ総監督の福島ガイナックス・浅尾芳宣さん(右)と |
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のざき・ひろみつ 1953年福島県石川郡生まれ。1989年日本料理店「分とく山」を開店、総料理長に。伝統の日本料理界に新風を吹き込み、斬新なアイディアと分かりやすい解説で新聞、雑誌、テレビでも活躍する。震災後は炊き出しなどで東北を支援。現在は福島県ブランド認証制度委員など多くの活動により、食の振興に貢献している |
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やない・みちひこ 1964年福島県郡山市生まれ。クリエイティブディレクター。広告代理店博報堂を経て2003年、「風とロック」を設立。数々の話題の広告を手掛ける一方、テレビの司会、ロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストとして復興支援のためチャリティーソングをリリースするほか、数々のイベントなどを通じて支援活動を行う |
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