江戸時代の新田開発により誕生した入鹿池
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地域の概要
1628(寛永5)年、鈴木作右衛門、江崎善左衛門ら入鹿六人衆と呼ばれる(戦国の)浪人たちにより、小牧・春日井方面の台地開発のために入鹿池(いるかいけ)の築造が計画されました。折から新田開発に力を注いでいた尾張藩主の徳川義直により藩の事業として実施されることとなり、何度も失敗を重ねた末「棚築き」の工法により、1633(寛永10)年に完成しました。池の完成により新しい農地ができ藩の収入も増大したと記録に残されています。満水面積約183ha、周囲約16km、容積1,680万立方メートル、日本一、二を競う人造溜池で、今では飛騨木曽川国定公園の一角に数えられています。
地域の保全のための取り組み
明治元年(1868)、4月下旬からの烈しい雨が降り続いたことで、5月14日には堤体の一部が決壊。この洪水で約1,000人もの死者を数えたといわれています。決壊後、入鹿池は明治から昭和にかけ下流の河川とともに少しずつ修復されました。特に1882年、1884年には堤体の増築がおこなわれました。こうした入鹿池は、季節ごとに咲く花や冬にはワカサギ釣りを楽しむ人々で賑わっています。現在は入鹿用水土地改良区が管理。昭和53年から平成3年に県営防災ダム事業を実施。近くを流れる愛知用水にも水を供給できるように整備されています。
また、平成22年3月に農林水産省の「ため池百選」に選定され、平成27年10月にICID(国際かんがい排水委員会)の世界かんがい施設遺産に登録されています。
交通アクセス
- 名鉄犬山駅から「明治村」行きバスで「明治村」下車徒歩5分
- 中央道小牧東ICより車で5分
お問合せ先
農村振興局整備部設計課
代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3595-6338