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農林水産省

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ご馳走、東西南北 vol.5

作家・島村菜津さんが案内する 昆布の「うまみ」を支える敦賀



「だしをとる」というひと手間が忘れられつつある今、和食のだしの原点、昆布を探して福井県敦賀市に向かいます。案内してくれるのは、スローフードを牽引する作家の島村菜津さんです。

奥井海生堂四代目社長の奥井隆さん(左)と作家の島村菜津さん。昆布蔵で、27年ものの「蔵囲昆布」を見せていただく。「日本人未体験の長期熟成昆布です」と奥井さんは語る
奥井海生堂四代目社長の奥井隆さん(左)と作家の島村菜津さん。昆布蔵で、27年ものの「蔵囲昆布」を見せていただく。「日本人未体験の長期熟成昆布です」と奥井さんは語る



作家 島村菜津さん 今回の案内人
作家 島村菜津さん
ノンフィクション作家。福岡県出身。東京藝術大学芸術学科卒業後、十数年にわたって取材したイタリアの食に関する『スローフードな人生!』(新潮文庫)は日本でのスローフード運動の先駆けとなった。著書に『フィレンツェ連続殺人』(新潮社、共著)、『エクソシストとの対話』(小学館、21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)、『スローフードな日本!』(新潮文庫)『バール、コーヒー、イタリア人~グローバル化もなんのその~』(光文社新書)他



山出し昆布
日高昆布
羅臼昆布
利尻昆布
山出し昆布
真昆布とも呼ぶ。函館周辺の道南地区が主産地。代表浜は南茅部地区の尾札部浜。大阪など関西圏ではだしといえば真昆布で、淡く上品な味わい。高級佃煮昆布にも利用
日高昆布
名前通り日高地方が主産地。代表的な浜は襟裳近くの井寒台浜、浦河浜、冬島浜。繊維質が柔らかく昆布巻きや佃煮、おでん用など食べる昆布として用いられる
羅臼昆布
知床半島の南側、羅臼浜を中心に収穫。濁りやすいがコクのある濃いだしとなり、家庭の味噌汁、野菜の炊き合わせなどに向く。昆布巻きや昆布締めにも利用
利尻昆布
北海道最北端、利尻・礼文島が代表的産地。透明で上品なだしは懐石料理の吸い物に最適とされ、京都の料亭では好んで用いられる。蔵囲昆布を代表する昆布



昆布を熟成させるという敦賀の知恵
和食の骨格といえるうまみ。日本料理の奥深さや繊細さはこのうまみが生み出す芸術ともいわれています。真っ先に伺ったのは北前船が残した昆布文化を継承しながら、昆布のうまみを新たなアプローチで世界に発信している奥井海生堂さん。ヨーロッパの一流シェフたちが驚いたという、本社での昆布水のテイスティングがいちばんの楽しみです。

敦賀は江戸から明治にかけて、北海道の昆布を京都へ運ぶ北前船の港であり、海と陸を結ぶ中継地として栄えた。夏に北海道で収穫された昆布を積み込み、北前船が敦賀港に入るのは雪の季節。ひと冬、敦賀の蔵に留め置き、桜の花が散る頃、京都へとたった。


北海道、礼文島香深浜の昆布収穫の風景。島の豊かな自然と島を巡る潮流が最高の昆布を育てている(1)
北海道、礼文島香深浜の昆布収穫の風景。島の豊かな自然と島を巡る潮流が最高の昆布を育てている(1)
(1)~(5)写真提供/奥井海生堂
昆布は浜で採れたその日に天日干しをする。太陽の力で自然乾燥することは、とても重要な作業。天日乾燥された昆布は適度な水分を含み、それが昆布熟成の大事な要因といわれている (2)
昆布は浜で採れたその日に天日干しをする。太陽の力で自然乾燥することは、とても重要な作業。天日乾燥された昆布は適度な水分を含み、それが昆布熟成の大事な要因といわれている (2)


大正時代の永平寺の献立を記した帳面。奥井海生堂は100年余りにわたり、大庫院とよばれる永平寺の台所へ昆布を納めている (3)
大正時代の永平寺の献立を記した帳面。奥井海生堂は100年余りにわたり、大庫院とよばれる永平寺の台所へ昆布を納めている (3)
 

四代目の奥井 隆さんがまず見せてくれたのは、昆布を熟成させるという昆布蔵です。まるでワインの貯蔵庫を彷彿させる造りで、蔵に入った途端、昆布の香りに圧倒されてしまいました。「ひと口に昆布といっても採れた浜によって味も等級も異なり、特に別格浜と呼ばれる浜で収穫されたものが一等級」と奥井さんは言います。

敦賀でひと冬越した昆布が翌年の春、香りと味がまろやかに変化していたことが「蔵囲(くらがこい)昆布」の始まりと奥井さんは言う。輸送手段が発達し、冬でも運ぶことができるようになると、蔵囲いという手法は次第に廃れていった。また、自然相手の昆布漁は、年によって収穫量も異なり、採れた年に採れた分だけ売るというのが普通の昆布商いのやり方だ。それでも昆布がおいしくなる蔵囲いに奥井海生堂さんはこだわった。

昆布のうまみはここにある、そう感じさせる蔵は、一定の湿度と温度、そして光を避けた造りです。そこで藁のむしろに包まれ、昆布は1年、2年、3年……と静かな時を過ごします。高温多湿の日本の梅雨と夏を無事にやり過ごすには、手間、暇、資金が必要ですが、奥井さんの蔵囲いへの情熱は加速し、平成元年から毎年、最上級の昆布を蔵に貯蔵する長期熟成を始めたそうです。

「年ごとの別格浜最高の利尻昆布をこの蔵に寝かせてあります。時を経た昆布がこれです」と、27年物を出してくれました。控えめな香りなのに力強さがあります。ワインの年代物も、コルクを開けた直後の香りはかすかですが、空気と触れることでゆっくりと目覚めていきます。「ヴィンテージ昆布は日本でもうちだけですし、日本人にとっても初めての経験。どう変化していくのか、興味がつきません。百年昆布もあっていいですよね」との、先を見据えた奥井さんの言葉に、決して昆布文化を絶やしてはいけないという静かな決意を感じました。

さて、いよいよ昆布水のテイスティング。ふだんは昆布の魅力を知ってもらう特別な場で披露されているそうです。今日は羅臼と利尻の蔵囲昆布の1年物をそれぞれ水出ししておいてもらいました。体験するまでは正直、昆布の品種によって、これほどの違いがあろうとは、思ってもみませんでした。羅臼の水出しは衝撃的なほど磯の香りが強く、味も濃厚です。利尻は、香りはおだやかで舌に含ませると、ふわっと舌全体に上品な風味が広がりました。

「昆布だしはでしゃばったらだめとよく先代が言っていました。京都の料理人は椀物などに昆布の味が先に立つことをとても嫌います。昆布の味が目立つのは料理人が仕事をしていないことになると」というお話に、和食にとって昆布だしはうまみを主張するものでなく、素材をまとめてひとつにする役目を果たしていたのだと気づきました。


羅臼と利尻の蔵囲昆布1年物、2種類を水に浸したものを飲み比べる。だしが出る時間は昆布の個体差によるが、通常はひと晩浸しておく
羅臼と利尻の蔵囲昆布1年物、2種類を水に浸したものを飲み比べる。だしが出る時間は昆布の個体差によるが、通常はひと晩浸しておく
「ワイングラスは香りを閉じ込めるから、テイスティングするのに非常にわかりやすいんです」と奥井さん
「ワイングラスは香りを閉じ込めるから、テイスティングするのに非常にわかりやすいんです」と奥井さん
島村さんは初めての昆布水テイスティング。利尻は舌全体にふわっと、後味が繊細に長く続いていく。羅臼はガツンと、磯そのものという味と香り
島村さんは初めての昆布水テイスティング。利尻は舌全体にふわっと、後味が繊細に長く続いていく。羅臼はガツンと、磯そのものという味と香り



昆布の格付け 収穫年(ヴィンテージ)
ワインと同様、重要なのが収穫年です。その年の気候や海水の温度、流氷や潮流の変化など、微妙な環境変化に品質が左右されます。ちなみに香深浜産利尻昆布では、グレートヴィンテージと呼ぶにふさわしいものは平成3年産です

収穫浜
昆布の価値はまず収穫浜で決まります。浜は「別格浜(特上浜)」、「上浜」、「中浜」、「並浜」とランク付けされ、昆布の大きさで一等から六等まで等級分けされます。例えば利尻昆布の別格浜は「香深浜」、山出しは「尾札部浜」など

昆布の価値はまず収穫浜で決まります。浜は「別格浜(特上浜)」、「上浜」、「中浜」、「並浜」とランク付けされ、昆布の大きさで一等から六等まで等級分けされます。例えば利尻昆布の別格浜は「香深浜」、山出しは「尾札部浜」など
昆布を育てる環境
昆布は山が育てるといわれるほど、自然環境が重要です。最上級の昆布を育む産地の景色は共通しています。山から天然のミネラル豊富な養分をたくわえた川が流れ、磯は朝日をたっぷり受け、なだらかな岩場が続く…まさに恵み。ワインでいうテロワールと同じ (5)

昆布は山が育てるといわれるほど、自然環境が重要です。最上級の昆布を育む産地の景色は共通しています。山から天然のミネラル豊富な養分をたくわえた川が流れ、磯は朝日をたっぷり受け、なだらかな岩場が続く…まさに恵み。ワインでいうテロワールと同じ (5)
昆布の蔵囲い(熟成)
別格浜で収穫された利尻昆布を、昆布に最適な環境(湿度・温度)に整えた昆布蔵で、1年、2年、3年と寝かせ、うまみを磨き育てる手法。ある研究所で蔵囲昆布を調べたところ、もともとの昆布にはないさまざまなうまみ成分が抽出されたそうです

別格浜で収穫された利尻昆布を、昆布に最適な環境(湿度・温度)に整えた昆布蔵で、1年、2年、3年と寝かせ、うまみを磨き育てる手法。ある研究所で蔵囲昆布を調べたところ、もともとの昆布にはないさまざまなうまみ成分が抽出されたそうです



永平寺の精進料理「台引」で素揚げにして供される吉祥昆布。油がはねないように表面を削った白いものを永平寺へ納めている。加工していない黒い吉祥昆布は、200円(税別)から販売
永平寺の精進料理「台引」で素揚げにして供される吉祥昆布。油がはねないように表面を削った白いものを永平寺へ納めている。加工していない黒い吉祥昆布は、200円(税別)から販売
越前和紙を使った愛らしい贈答用ボックス。ほどよい量に袋詰めされたおぼろ昆布、とろろ昆布などの詰め合わせは季節のご挨拶に 愛らしい贈答ボックス
越前和紙を使った愛らしい贈答用ボックス。ほどよい量に袋詰めされたおぼろ昆布、とろろ昆布などの詰め合わせは季節のご挨拶に

 御昆布司 奥井海生堂

御昆布司  奥井海生堂
明治4年(1871年)創業。曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の両大本山御用達の昆布店。明治中頃に始まった京都の料亭との取引は今も続く。昆布を世界へ向けて発信する活動も行っている

福井県敦賀市神楽1-4-10
TEL:0770-22-0493
営業時間  9時~18時
定休日  日曜・祝日



昆布の魅力を継承し、次の世代へ伝えるために
ヨーロッパのシェフたちをもうならせた昆布だし。フランスでも使う店があるようですが、大切なのはやはり地元です。ここ敦賀にも昆布を使うレシピでもてなすイタリアンのシェフがいると奥井さんに教えていただきました。敦賀から車で15分。田んぼや畑の残る郊外に「リストランテ カルド」があります。

大阪の有名割烹で修業し、地元敦賀で「リストランテ カルド」を15年前にオープン。“田んぼの中のレストラン”を作りたくて、この地を選んだ川端治雄シェフ。地産地消を目指す若手料理人だ。

「奥井さんの蔵へ行ったときには、鳥肌が立つほど驚きました。和食からスタートした人間ですから、昆布は身近な存在でしたが、奥井さんの昆布は特別です」と言う川端シェフは、奥井さんの蔵を訪問以来、昆布に魅せられて、新たなレシピに挑む日々だそうです。この日は昆布締めした甘エビとトマトの前菜、そして昆布を練り込んだパスタを作ってくれました。日本料理の昆布だしの基本に沿いながら、昆布の未来を示す川端シェフのふた皿の料理。「昆布にはまだまだ可能性があると思います。昆布バターも作ってみたんですよ」とパンに添えて、おぼろ昆布の粉末を混ぜたバターもいただきました。バターがふんわりと香ばしく、しかもあっさりとした風味に変化。これも昆布の秘めたる力を感じさせる一品でした。

敦賀ならではの昆布を使った名産品に、銘菓「求肥昆布」がある。求肥昆布が生まれたのは明治4年のこと。もともと昆布問屋の四代目が「地の利を生かした菓子を」と考案したものだ。当時は昆布そのものを蒸して乾燥させた干し柿のような菓子だったが、その後、もち米や砂糖を加え、改良を重ね、今の求肥昆布へ至る。

求肥昆布を継ぐのは、「紅屋」七代目の田結利貞さん。京都の老舗菓子店で修業をし、求肥昆布を今に伝えていらっしゃいます。「いい素材でていねいに手作りする」という代々の教えを守りながら、新たな菓子作りにも意欲的です。「昆布が命の菓子ですから、やはり昆布は天然物に限ります。養殖が増えてね、いい天然物が少なくなりましたね」とおっしゃいます。紅屋の求肥昆布の見た目は素朴ながら奥ゆかしい味わいに、この地域の昆布文化の厚みを感じさせられました。

昆布の水揚げ量は、沿岸部の環境の変化や漁師の担い手不足から、最盛期の3分の2にまで減少しているそうです。産地が潤ってこその食文化です。昆布文化を世界に発信し、現場の苦労と多様さを伝えたいという奥井さんや、食材としての可能性を探る川端シェフ、伝統を守る田結さんの職人魂など、多彩な活動に触れて、本当は私たち日本人が、その価値を再発見し、暮らしを見直すことが大切だと、改めて痛感しました。



世界的シェフたちも感激した昆布テイスティング
英国の『レストラン』誌で4回世界一を獲得したデンマークの「ノーマ」のシェフ、レネ・レゼピ氏(右から2人目)やスタッフたちも奥井海生堂で昆布水をテイスティング。昆布のうまみに感激し、東京の期間限定レストランでも昆布を多用したレシピを披露(4)
英国の『レストラン』誌で4回世界一を獲得したデンマークの「ノーマ」のシェフ、レネ・レゼピ氏(右から2人目)やスタッフたちも奥井海生堂で昆布水をテイスティング。昆布のうまみに感激し、東京の期間限定レストランでも昆布を多用したレシピを披露(4)





全国菓子大博覧会で内閣総理大臣賞を受賞した「求肥昆布」。昆布を粉末にし、蒸したもち米と砂糖を加えただけのシンプルさ。滋味深い昆布の味と香ばしい風味に、ロングセラーの力を感じる
全国菓子大博覧会で内閣総理大臣賞を受賞した「求肥昆布」。昆布を粉末にし、蒸したもち米と砂糖を加えただけのシンプルさ。滋味深い昆布の味と香ばしい風味に、ロングセラーの力を感じる
天然の上質な昆布を結び昆布にし、砂糖がけしたもの。カリッという食感と上質な砂糖の甘みが後をひく味。お茶事のお菓子としてもおすすめ
天然の上質な昆布を結び昆布にし、砂糖がけしたもの。カリッという食感と上質な砂糖の甘みが後をひく味。お茶事のお菓子としてもおすすめ

越前敦賀銘菓処 紅屋 越前敦賀銘菓処  紅屋
敦賀を代表する銘菓「求肥昆布」をはじめ、豆らくがん、どら焼き、羊羹など、厳選された素材でていねいに作られた和菓子の数々は、素朴ながら奥行き深い味わい。職人の腕の確かさを感じさせる老舗和菓子店

福井県敦賀市相生町6-11
TEL:0770-22-0361
営業時間  9時~20時
定休日  不定休




おぼろ昆布を練り込んだタリアテッレ、紅ズワイガニとズッキーニのソース。*季節によりカニの種類は替わる。コースの一品 おぼろ昆布を練り込んだタリアテッレ、紅ズワイガニとズッキーニのソース。*季節によりカニの種類は替わる。コースの一品 おぼろ昆布を粉末にして無塩バターに練り込んだ「昆布バター」。パスタのソースを作るときに使用。パンにつけても美味 おぼろ昆布を粉末にして無塩バターに練り込んだ「昆布バター」。パスタのソースを作るときに使用。パンにつけても美味
昆布締めした甘エビと越前のトマト(越のルビー)の前菜。白味噌と福井梅の2種のソース。乾燥させたおぼろ昆布を添えて。コースの一品 昆布締めした甘エビと越前のトマト(越のルビー)の前菜。白味噌と福井梅の2種のソース。乾燥させたおぼろ昆布を添えて。コースの一品  

リストランテ カルド リストランテ  カルド
敦賀の田園地帯に店を構えて15年。敦賀港で水揚げされた魚、地元の野菜など「地産地消」を目指して、日々メニュー作りに力を注ぐ。ランチは1,700円~、ディナーは3,800円~10,800円のコース(すべて税別)。写真上・左から/川端治雄シェフ、島村さん、川端シェフの奥さまの都志子さん
福井県敦賀市木崎51-24-1
TEL:0770-20-1260
営業時間  ランチ11時30分~14時  ディナー17時30分~20時30分( L.O.)
定休日  水曜・第1火曜日


撮影/永野佳世    取材・文/一志りつ子