農林水産業者の朝
[平山水産/長崎県長崎市]
長崎の海で、仕掛けた網に入った魚を
水揚げする小型定置網漁を行っている
平山孝文さんの朝の仕事風景を紹介します。
PROFILE
長崎県長崎市の「平山水産」2代目社長。JF全国漁青連及び長崎県漁協青壮年部連合会の顧問を務める。長崎や東京でのサラリーマン生活などを経て、28歳で漁師に転身。先代社長で漁師だった亡き父の教えを胸に、野母(のも)半島沿岸の2つの漁場で、兄の久樹さんとともに小型定置網漁を営む。
気持ちを高め
漁場での一期一会に向かう
東の水平線から陽が昇り、海面を朱に染めます。サギが海上を優雅に舞っています。清澄な空気の中、野母半島中央東岸に位置する為石(ためし)漁港から、平山孝文さんの7トン漁船「明星丸」が、沖合300メートルにある小型定置網の漁場を目指し出港しました。そのあとを兄・久樹さんの漁船が追っていきます。2人は力を合わせて“兄弟船”での定置網漁を行っているのです。
毎朝、ワクワクドキドキしています
「今日はどんな魚が獲れるかな、たくさん獲れるかな」と毎朝、ワクワクドキドキしていますよ。だから僕は朝が一番元気なんです。豊漁のイメージを描きながら眠ると、目覚めもいいんですよね」
海中の深度数10メートルから100メートルほどの定まった場所に網を設置し、回遊する魚群を網の中に誘い込むことで漁獲するのが定置網漁です。漁場が沿岸に近いため、新鮮な魚を早く供給することができます。
海中深くに設置された定置網を兄弟2人の力で手繰り寄せていきます。この日網にかかっていたのは小ぶりなアジなどが多く、平山さんは「大きくなって帰ってこいよ」と魚に話しかけるようにして多くの魚を海に返していました。
タモで魚をすくい上げながら、活魚槽に入れて生かしておく魚、すぐに氷締めする魚を瞬時に選別します。またヒラメなどいくつかの魚は出荷調整のため、海上にある生け簀に移していました。必要な魚を必要なときに出荷できるようにするための措置です。
この時点ですでに兄弟の顔中から大粒の汗が噴き出し、その仕事の大変さがうかがえました。
父の教えを肝に銘じて出漁しています
「漁師の先輩でもある父からは、『魚を大切に扱え』と繰り返し言われ続けてきました。当然のことですよね。毎朝、仕事を始める前にその言葉を思い出しています」
車で10分移動し、野母半島をはさんで反対側にある蚊焼(かやき)漁港へ。再び船を出し、操業が始まります。台風の襲来時などを除き、為石の漁場が荒れていても蚊焼の漁場は凪いでいることが多く、両方で漁ができないということはめったにないといいます。
為石に比べて魚種が多い蚊焼の漁場ですが、この日は豊漁ではありませんでした。しかし、大きめのヒラスズキなどが獲れ、平山さんは相好を崩していました。
獲れる魚種が豊富だから、毎朝の漁が楽しい
「長崎近海は獲れる魚種が全国一多いといわれています。アジやタイ、スズキにヒラメ、サバ、ヒラマサ、カンパチ、ブリなど、どれも本当においしいですよ。いろいろ獲れるので、毎朝漁をしていても飽きることがないですね」
2つ目の漁場で漁を終えたのは午前11時。特にトラブルなどがなければ、いつも午前中に漁を終えるそうです。自宅に戻り、その日最初の食事をします。そして夜まで眠って、疲れた体を癒やします。午後11時頃からは、翌朝5時に始まるセリに備えて、魚を締めたり箱詰めしたりする出荷準備に追われます。準備が終わると自ら市場へ搬入。昼間のうちに仲買人と連絡を取り、注文を受けた魚を届けることもしばしばです。そして早朝からまた漁が始まるのです。
魚や自然が相手の仕事だが、
仲間同士のコミュニケーションも大切
漁師仲間からの人望が厚い平山さん。JF全国漁青連や長崎県漁協青壮年部連合会の会長を経て、現在も顧問を務めているため、会合やイベントで年に30回ほど東京へ出張するそうです。
「そこで全国各地の漁師の方と知り合い、情報交換したりアドバイスを受けたりしたことが大きな財産になっています。場所が違うと漁の手法も違うことを知ったときは目から鱗が落ちました。自分にはない視点を与えてもらったと思います。海で魚や自然を相手に働く僕たちですが、こうした仲間同士のコミュニケーションも大切だと痛感しています」
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