米こうじ味噌(こめこうじみそ)|にっぽん伝統食図鑑

米こうじ味噌(こめこうじみそ)

富山県米こうじ味噌(こめこうじみそ)
分類(大)
農産
分類(小)
醤油、味噌、その他調味料
主な使用食材
大豆、米、麹、塩
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主な伝承地域
県内全域
食品概要(特徴・種類)
富山県は、湿潤な気候により豊かで清冽な湧水や伏流水がもたらされることから「水の王国」と呼ばれ、環境省の「名水百選」「平成の名水百選」にも全国最多の8箇所が選ばれている。こうした豊かな水資源に恵まれ、富山平野は全国屈指の穀倉地帯を形成してきた。豊かな扇状地で採れる大豆や米、そして名水から作られるのが富山を代表する米こうじ味噌である。
富山の米こうじ味噌の特徴は、水分が多く、やや塩分が高く、麹の歩合が高いこと。そのため味噌汁にすると、サッと溶けて少量ですっきりとした味わいに仕上がる。
同じ原材料を使いながらも、出荷前に目の細かい濾し器に通してクリーム状にした「濾しみそ」、大豆も米も粒がそのままで出荷される「つぶみそ」、大豆だけを濾し、麹は粒がそのまま残るように仕込んだ「浮こうじみそ」に分けられる。
歴史・文化、関連行事
味噌が中国から朝鮮半島を渡って日本に伝来したのは飛鳥時代といわれている。本格的に使われるようになったのは室町時代以降で、戦の際の保存食として全国各地に広がり、その土地の気候や材料に合わせて独自の進化を遂げていった。江戸時代に入り、人口が増加するにつれて味噌の消費量が増え、様々な味噌を使った料理も生まれていった。
昔は味噌は各家庭で作る「手前味噌」が当たり前だった。そのため、富山県には多数の麹屋があり、多くの人たちが思い思いの味噌を作っていた。しかし、家庭で味噌を作る人が減少し、それに併せて麹屋は味噌を製造販売する店に変わっていった。それでも伝統的な味噌づくりに加え、新商品の研究や国内外の販路開拓などを進めることで、歴史と伝統のある麴業を守り続けられている。
製造方法
主原料となる大豆をゆでて、粗熱を取ったらすり潰す。米を蒸し上げ、冷ました後に麹菌をまんべんなくまぶして発酵させ米麹を作る。その時、麹菌の発酵を促進するため、約30度の室温を保つ「麹室(こうじむろ)」で約2日間寝かせる。
以上の工程を経た大豆、米麹に塩を加えて桶に仕込み、6ヶ月~1年ほど熟成させると完成する。仕込みの際、富山では蓋をする程度で、そのため水分の多い味噌が出来上がる。塩分が多い味噌は2年目に蔵から出されることが多いが、2年目になると発酵熟成が進み、同じ塩分量でも口当たりを柔らかく感じることができる。
保護・継承の取り組み
1947(昭和22)年に設立された富山県醤油味噌工業協同組合では、原材料の安定的な仕入れを維持する共同購入、組合員同士の情報交換や交流などの機会づくりの他、富山産味噌のPR活動、蔵元による工場見学、味噌の手作り体験や手作りキットの販売など、地域活動に取り組んでいる。
老舗の麹屋が中心となり、富山県を麹文化の発信地とするための研究会「富山こうじの里研究会」を発足し、味噌や麹を通じて和食文化の大切さを伝える、様々な体験会などを開催。2013年には農林水産省の「フード・アクション・ニッポンアワード2013」で食文化賞を受賞した。
主な食べ方
味噌汁や和え衣、練り味噌、鍋物など、様々な料理の調味料として使用され、日本人の食卓には欠かせない食材である。