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明治150年 イメージ画像

脚気撲滅への挑戦

(カ)解決策にたどりついた世界初の疫学調査

明治時代、海軍では、脚気で亡くなる軍人がたいへん多かったと言います。そのため、海軍軍医であった高木兼寛は、その原因を探るため、世界初の疫学調査を行いました。

海軍軍医 高木兼寛(たかぎかねひろ)

軍艦や身分によって患者数に差があることから、高木は食べ物に原因があるのではないかと考え、タンパク質と炭水化物の割合に原因があるという仮説をたてました。長期にわたる洋上任務では、白米を主食とし、おかずが少ない食事スタイルが常でした。そこで通常の白米主体の食事で航海をした軍艦「龍驤」と、イギリス海軍を参考に、洋食を取り入れた食事を導入した軍艦「筑波」とで、比較実験を行いました。結果、「筑波」における脚気患者が激減。のちに解明されるビタミンB1の欠乏という原因にはたどりついてはいませんが、脚気に対する有効な予防策を発見したのです。

軍艦「龍驤」と、軍艦「筑波」の主食比較実験の結果。
改善食を摂取した軍艦「龍驤」の乗員には、「脚気」は発生しなかった。

(キ)海軍カレーのはじまり

脚気に悩まされていた明治時代の海軍では、軍医・高木兼寛によって解決策が見出され、バランスの良い食事への改善が図られていました。
そんな中、イギリス海軍で採用されていたカレーが、栄養バランスが良いことや調理が簡単で大量に作れること、そして何よりおいしいという理由から、日本の海軍でも採用されることになりました。当初はイギリスにならい、パンにつけて食べていましたが、パンが不評だったため、ごはんにかけるようにしたと言います。西洋の料理を日本人の口に合うようアレンジした一つの知恵です。これが現代の家庭でも食べられているカレーの原型です。
さらに副食として、サラダ、牛乳、ゆで卵などがつけられたことも特徴の一つです。明治41(1908)年には、海軍が料理レシピをまとめた「海軍割烹術参考書」を発行。全国の海軍内にカレーが普及していきました。その伝統は海上自衛隊にも引き継がれ、今では金曜日の定番メニューとなっています。

「海軍割烹術参考書(明治41[1908]年、写真は復刻版)」

(ク)ビタミンの発見

海軍軍医・高木兼寛は洋食の導入で海軍内の「脚気」の克服に至りましたが、真の原因であるビタミンB1欠乏にはたどりついていませんでした。
明治43 (1910)年には、農学者・鈴木梅太郎が米ぬかから脚気予防の有効成分オリザニン(ビタミンB1)を抽出することに成功。未知の栄養素であったビタミンを、世界に先駆けて発見したと言われています。しかし、当時は病原体原因説が根強く、医学界はこの功績を認めることはありませんでした。

オリザニン(ビタミンB1)を発見した鈴木梅太郎

(ケ)「栄養学」のはじまり

その後、医学博士・佐伯矩(さえきただす)がそれまで医学の中で語られていた栄養学を一つの学問として独立させ、世界初の栄養研究所や栄養学校を立ち上げるなど、栄養学の研究や教育に尽力しました。佐伯はのちに「栄養学の父」と言われるようになりました。
彼らの功績をたどってみると、逆境に直面しながら奮闘する姿や、新たな学問の体系化に奔走する姿が垣間見えます。これら先人たちの努力が、今日の私たちの健康の礎となっています。

「栄養学の父」と呼ばれる佐伯矩

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食料産業局企画課

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