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農林水産省

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家庭料理として洋食の普及

明治150年 イメージ画像

(ア)西洋料理から洋食へ~和洋折衷料理の誕生

文明開化によって入ってきた西洋料理は、すぐに家庭料理に取り入れられることはありませんでした。そんな中、西洋料理を日本風にアレンジした和洋折衷の新たなメニューが生まれました。すき焼きやカレー、とんかつ、コロッケ、肉じゃがなどです。欧米の食文化をそのまま受け入れるのではなく、日本人の口に合うように工夫した料理は、「洋食」と呼ばれるようになりました。

(イ)洋食を広めた女子教育

洋食が家庭に浸透した要因の一つが女子教育です。明治32(1899)年の「高等女学校令」制定をきっかけに、全国で女子教育が盛んになりました。女学校では「家事科」が必修科目で、調理実習もありました。その中で学生は、和洋折衷の料理を学びました。

明治35年頃の尚絅(しょうけい)高等女学校
(提供:江原絢子)

現在の女子大学の前身となる学校が次々と開設されたのも明治時代です。明治34(1901)年に設立された日本女子大学は、実験や実習による食物研究を行い、「家事科」の教員の養成を担っていたと言います。こうして、女性が洋食を学ぶ体制が整っていきました。

日本女子大学創立10年頃の授業風景
~家政学部料理実習~
(提供:日本女子大学)

(ウ)普及を加速化したメディア

ベストセラーも登場

明治の初めに発行された料理本「西洋料理通」と「西洋料理指南」は、西洋料理の料理法や調理器具、テーブルマナーなどを解説した内容で、この2つは日本人に西洋料理や文化を紹介するメディアの先駆けと言えるものです。

「西洋料理通」仮名垣魯文(かながきろぶん)
(所蔵:東京家政学院大学図書館)

明治後半には西洋料理のレシピを掲載する本が次々に登場し、人気を博したと言います。中でも新聞に掲載され、のちに単行本化された村井弦斎(むらいげんさい)の「食道楽(くいどうらく)」はベストセラーとなりました。この小説は、食に関するうんちくについて書いたもので、和・洋・中とジャンルを問わず多岐にわたる料理や食材を取り上げ、当時の人々を驚かせました。

「食道楽(くいどうらく)」村井弦斎(むらいげんさい)著
口絵/大熊伯爵邸台所
(提供:江原絢子)

雑誌で通販

大正2年創刊の「料理の友」には、驚くべきことに通販ページがあり、洋食を作るには当時手に入りにくかった食材や調理器具がさまざま掲載されています。雑誌が現代におけるネットの役割を果たしていたというわけです。

「料理の友」第5巻第8号(大正6年発行)
(提供:江原絢子)

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