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農林水産省

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いさわの大地を拓いた後藤寿安

水陸万頃すいりくばんけいの地に築かれた英知の所産

岩手県胆沢町
生没年不詳

 後藤寿安像
後藤寿安像

胆沢平野の先人は、胆沢川に堰せきをたて、水路を引き、森や草原や荒地を拓いて耕地にしてきました。平野を縦横に走る450kmもの農業用水路やため池は、人々を災害から守り、生産の向上を図るため、先人が英知を傾けた所産です。胆沢平野には、そのような先人の努力のあとをしのぶ開発記念碑が数多く存在しています。

胆沢平野の長い開拓史において中心となってきたのは用水路の建設ですが、中でも、胆沢の水田地帯に水を潤している2大用水のひとつが『寿安堰』です。

寿安堰は江戸の初期、元明4年(1618)に伊達政宗家臣の後藤寿安が着工しました。寿安はキリシタンであったため、江戸幕府のキリシタン禁制に触れて追放され、事業は一時中断してしまいました。その後、地元古城村の千田左馬と前沢村の遠藤大学がこれを引き継いで寛永8年(1631)に完成しました。

西洋の土木技術に明るい寿安は、桶の水にあんどんの光を映して測量を行ったり、石を積上げる運転機と呼ばれるクレーンのような機械を使用するなど最新の技術で難工事を乗り切りました。この大事業は、それまで沢水頼みで不安定な稲作を余儀なくされていた地域を大きく生まれ変わらせるものとなったのです。

なお、堰の名の「寿安」とはラテン語でJohannes(ヨハネ)であり、日本で唯一のクリスチャンネームの用水路です。

参考情報

担当

岩手県 農林水産部 農村計画課
TEL:019-629-5666
FAX:019-629-5679

お問合せ先

農村振興局整備部設計課

代表:03-3502-8111(内線5561)
ダイヤルイン:03-3559-6338
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