肥後治水と利水事業を拓いた加藤清正
土木の神様
熊本県熊本市
1562年(永禄5年)~1611年(慶長16年)
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加藤清正は、豊臣秀吉に仕えた賤ヶ岳七本槍の一人で、1588年(天正16年)肥後半国を与えられ熊本城主となりました。朝鮮出兵、関ヶ原の戦後を経て54万石の大身となり、熊本城の築城をはじめ、河川の利水・治水や干拓に着手し、かつて荒廃していた国土を、優れた技術で生産基盤整備を強力に推進し、農業生産力の増大によって藩の経済的安定基盤を作りました。
清正は、国内統治の要として白川の下井手堰、馬場楠井手、渡鹿堰をはじめ、菊池川の石塘による付け替え、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遙拝堰の四大河川の治水とかんがいを整備するとともに、有明海、不知火海の新地干拓を進めました。
特に、馬場楠井手の鼻繰りや、斜め堰や石はね等の特異な技術に優れ、今でも「清正公さん」として熊本県民から親しまれています。
参考情報
- 参考文献:「城づくり、国づくり」/鈴木喬(歴史家)
「主要河川に見える工夫の数々」/森山恒雄(熊本大学教授) - 施設位置:渡鹿堰 熊本市渡鹿6丁目
石塘堰 熊本市二本木1丁目
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