治水の名手 川村孫兵衛
仙台藩の新田開発と河川改修を進めた川村孫兵衛二代記
![]() 川村孫兵衛重吉 |
今からおよそ360年前の江戸時代、北上川・江合川・迫川は大雨が降るたびに洪水がおこっていたので、仙台平野北部は米作りには適さない土地でした。この仙台平野北部の新田開発こそが、仙台藩の悲願でした。
そこで、初代仙台藩主・伊達政宗公は、北上川から石巻港に至る運河のための水路整備と、北上川の水害を防止するため、 川村孫兵衛重吉に河川の改修を命令しました。孫兵衛重吉は、工事の設計や現場監督だけでなく、工事資金の捻出や年貢を少なくするよう藩に掛け合ったりもしました。工事で働いている人たちは、親身になって自分たちの身を案じてくれる孫兵衛重吉に応えるように一生懸命働き、改修工事は見事完成しました。これにより、北上川・江合川・迫川の水流が安定し、水はけも良くなったことで、仙台平野北部の新田開発は急速に進みました。
さらに、孫兵衛重吉は、改修工事と同時に石巻の築港工事も行い、水上交通の整備に努めました。これにより、河川を使った人や物資の運搬が盛んになり、収穫された米が石巻港に集められ、江戸に送られました。仙台米は、当時、江戸で消費された米の三分の二を占めたとも言われています。
その後も、重吉は、仙台城下の用水路を整備するため「四ッ谷堰」を建設したり、水上交通を整備するため「貞山堀」を建設しました。孫兵衛重吉没後、その志を継いだ養子孫兵衛元吉が貞山堀を完成させました。元吉は、当時荒野であった伊豆野原を開墾するため、一迫川上流に「伊豆野堰」を建設し、原野を実り豊かな美田に変えました。
川村孫兵衛が二代にわたり大工事をおこなった結果、宮城県は「豊穣の地」となり、現在も美しい田園風景を見ることができます。
参考情報
- 迫川上流・三川流域の軌跡(東北農政局迫川上流農業水利事業所)
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