大和平野農民の300年の願い 高橋佐助
吉野川分水計画は江戸時代からあった!
奈良県御所市
1664年(寛文4年)~1736年(元文元年)
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奈良県の北西部に位置する大和平野は、年間降水量が極めて少なく、恒常的な用水不足に悩まされてきました。水量の豊富な吉野川(紀の川)の水を取水して、大和平野に通水することは、大和平野農民の300年来の悲願でした。
この吉野川分水計画は、今を遡ること300年、江戸時代の先人達が考えていました。江戸初期(元禄年間、西暦1688年~1703年)、葛城郡名柄(今の御所市)の庄屋 高橋佐助によって提案されています。佐助は、吉野川の分水を重阪(御所市)に引水する計画を考えました。「山を越せば、吉野川に豊かな水がある。あの水を奈良盆地に引けたら、水不足に悩まず、米作りができるのに」と考えたのです。
それから時が経ち、江戸時代の終わり頃にも吉野川分水の計画が持ち上がりました。しかし、吉野川下流の紀の川が流れる紀州藩(今の和歌山県)との話はまとまりませんでした。上流で吉野川の水を使うと、下流の紀の川の水が減ると考えられたからです。
その後も、人々は諦めることなく、多くの先人により分水計画が企てられ調査されました。時代は昭和に移り、1952年(昭和27年)、ついに吉野川分水の工事が始まり、佐助の夢は約300年の時を経て実現しました。
参考情報
- 参考文献:大和平野土地改良区五十周年史(大和平野土地改良区刊)
国営第二十津川紀の川土地改良事業・国営大和紀伊平野土地改良事業
(大和紀伊平野農業水利事務所刊)
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