2,800haを超え新田を開いた津田永忠
沖新田の干拓と百間川の開削
岡山県岡山市
1640年(寛永17年)~1707年(宝永4年)
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岡山県の南部に広がる岡山平野の約2万5千ヘクタールの田畑のうち、約2万ヘクタールが干拓によって、造られたものです。特に、江戸時代の「沖新田」の干拓は、規模が大きく、百間川の開削が一緒におこなわれたという特徴があります。
当時は、岡山の城下を流れる旭川は川が浅く、たびたび、洪水の被害が発生しました。また、米の取れる量も現在に比べ少なく、日照りや洪水により饉もたびたび、起こっていました。
1654年に熊山蕃山が旭川の洪水を防ぐため、新たな川を掘ることを考案し、1669年に蕃山の弟子の津田永忠により川の掘削が行われ、現在の百間川ができあがりました。このことにより、洪水被害から町や村を守ることができるようになりました。
また、永忠は飢饉を解消するために、新田開発が必要と考え、百間川によって排水ができるようになった河口に広がる沖新田の干潟の干拓を考案します。沖新田干拓では、約12キロメートルの堤防を6ヶ月で完成というハイスピードな工事で、約1,900ヘクタールの新田開発が実現しました。
この他に、永忠は、倉田新田(360ヘクタール)、幸島新田(600ヘクタールha)を手がけ、2,800ヘクタールを超える新田を生み出し、さかんに農業が行われました。
この他の、農業土木に関する業績としては、田原井堰の建設、倉安川の開削などがあります。また、永忠は、後楽園の造園、閑谷学校の建築をはじめ藩政改革・財政再建と、めざましい業績を残しています。
参考情報
- 参考文献:「沖新田開墾三百年記念史」(沖新田開墾三百年奉賛会 平成7年3月31日)
:「岡山平野鳥瞰記-永忠と蕃山」(中国四国農政局)
:おかやま人物往来(岡山県立図書館ホームページ)[外部リンク]
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