沖縄の水田の里を拓いた蔡温(さいおん)
河川氾濫を防止して農村を救う
沖縄県名護市
1682年(天和2年)~1761年(宝暦11年)
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沖縄本島北部に位置する羽地地域は、琉球王朝時代から沖縄有数の水田地帯として農業が営まれていた農村地域でした。その水田の水源となる羽地大川は、長さ約6キロメートル、沖縄の長流の一つであり、羽地集落の生活を潤す源でありました。その役目は、現在においても変わらず、羽地地域の憩いの場となっています。
しかし、その羽地大川も、大雨や台風によってたびたび氾濫を起こし、水田や農村を呑み込んで、農民たちを苦しめてきました。農民たちは、そのつど羽地大川の改修工事に取り組んだが、川の暴れを沈めることはできませんでした。このため、当時、琉球王朝の三司官であった蔡温が、羽地の水田と農村を救うために羽地大川の大改修工事に着手しました。
蔡温は、政治・経済・土木技術に優れた指導者として琉球王朝に使えた役人で、特に中国で学んだ風水地理により、数多くの土木工事を手がけた技術者でもありました。
1735年、羽地大川の工事に取りかかった蔡温は、風水技術を駆使して川の流れ方を調査し、川を無理のない流れに改修する大工事を周辺の村々から約10万人を動員して、わずか3ヶ月で完成させました。
その結果、農民たちを苦しめていた羽地大川の氾濫は治まり、安定して羽地大川から水田に水を引けるようになった羽地集落は、米どころとして栄えました。農民は、蔡温の功績を称え、「改決羽地川碑記」を建て、現在、その碑は史跡として文化財に指定されています。
参考情報
- 参考文献:近世史の諸問題シリーズA.―蔡温とその時代 1984年4月 離宇宙社
蔡温・伝記と思想 真栄田義見著 1977年10月 月刊沖縄社 - 関連ホームページ:沖縄人物伝[外部リンク]
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