大河吉野川の水を大地へ 井内恭太郎
農業用水が導く 藍から米へ
徳島県名西郡、板野郡
1854年(安政元年)~1934年(昭和9年)
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徳島県には、四国三郎と呼ばれる「吉野川」が豊かな水をたたえて流れています。この川が洪水の際に上流から運んできた肥沃な土が、藍(その葉・茎から濃い青色の染料がとれる)の栽培に適していたので、江戸時代から吉野川流域の農地ではたくさんの藍が作られていました。
しかし、明治30年代以降、化学染料の輸入等によって、藍は急速に衰退していきました。
農家の人たちは、藍にかわってお米を作りたいと思いましたが、たくさんの水が必要となるために、当時はお米を作ることができませんでした。
そこで、吉野川から農地まで水を引いてくること(用水路の建設)を考えましたが、あまりにも大きな計画であったため、工事も難しく、お金もたくさん必要だったので反対する人もいました。
そんな中、当時の名西郡長であった井内恭太郎は、反対する人たちを説得し、優れた工事技術によって、吉野川の北には「板名用水」、南には「麻名用水」という二つの大きな用水路を、約7年をかけてほぼ同時期に完成させました。
吉野川を挟んで北と南、二つの用水路のおかげで、農家の長年の夢であった稲作ができるようになり、地域の農業は藍から米へと大きく変わりました。
今年の夏も、用水路が吉野川の水を運び、約2,000ヘクタールの大地を潤しています。
参考情報
- 所在地:麻名用水路取入れ口(約350mのトンネル) 吉野川市川島町川島(旧川島町)
板名用水路取入れ口(幅約800mの柿原堰) 阿波市柿原小島(旧吉野町)
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