特集1 東日本大震災からの復旧・復興 みんなの力で、未来(あした)へ(4)
木材加工の復旧・復興現場レポート
海沿いの加工所に、5メートル以上の津波が直撃。
全壊の状態から親会社や森林組合の支援を受け、約1年ですっかり元どおりに!
復旧後は、国産材比率を上げて、地元林業に“恩返し”も
石巻合板工業株式会社(宮城県石巻市)
![]() 接着剤を塗って乾燥させた薄板を重ね合わせる。
その後、9枚ずつ加熱しながら圧着し、左右を規格どおりに裁ち落として合板が完成 |
![]() 国産材用に震災後新しく導入した機械。丸太をダイコンのかつらむきのように薄くスライスする ![]() 「震災直後はスコップ1本すらない、あるのは生き残った者たちの体ひとつでした」と野田社長 ![]() 住宅建築で耐力壁や床板の下地として使われる構造用合板。厚さ24mm。国産材は節があるのが特徴 ![]() 震災からほぼ4年たった現在の工場 ![]() サンプルとして使用する、構造用合板の表面を生かした応接室 |
「津波が直撃したとき、会社に残っていた従業員は三十数人。事務所の2・3階に上がりかろうじて難を逃れましたが、車で避難した従業員のうちの3人が残念ながら帰らぬ人となりました」と、振り返る石巻合板工業(株)社長の野田四郎さん。震災発生時は県外へ出張中でしたが、急きょ石巻へ戻り、従業員の安否確認に走りました。 工場の建屋は津波の直撃で大破し、1階の設備はすべて海水が浸水。原材料や半製品、重機などは流失し、一部はおびただしいがれきの中に重なり合っていました。 石巻合板工業の設立は昭和47年。コンクリート型枠用合板、住宅建築で下地材に使われる構造用合板を供給してきました。創業時から平成に入って数年、使用する木材は南洋産やロシア産が中心でした。 「国産材へ転換するきっかけは平成9年の京都議定書。二酸化炭素排出量の削減に森林の効用が有効と位置づけられたことがきっかけです」と野田社長。その後、平成17年頃から国産回帰の動きが加速し、震災前には同社の国産材使用割合は7割に達していました。 地元森林組合からもありがたい支援が
震災からの復旧には、親会社の(株)ノダが全グループを挙げての支援を号令。さらに、林野庁の復旧支援(木材供給等緊急対策事業)なども活用しました。「県内の森林組合からの支援も手厚かったですね。山で使っていた重機、クレーン、トラックの提供、片づけ作業も率先して引き受けてくれたんです。国産材を使っていてほんとうによかったと思いました」と野田社長は話します。 再稼働にこぎつけたのは、平成23年の8月末。JAS規格の再監査を受け、再起をかけた最初の1枚が出荷されました。その後、23年度中には、ほぼ震災前の状態まで復旧。さらに増産体制を整え、平成26年の販売量は震災前に比べ15%増、国産材の使用比率は85%に拡大しています。 使用している木材は、スギは宮城県、マツは岩手県や福島県、カラマツは岩手県と一部北海道など、被災県のものが多くを占めています。こうした国産材を使った新製品の開発や県産材製品の普及拡大などの取り組みが評価され、平成26年度の「木づかい運動農林水産大臣感謝状」を受賞しました。 「これからも国産材で活路を開いていこう、それが支援してくださった方々への恩返しだと思っています。被災者の住宅建築が本格化しつつある今、『目指せ! 国産材使用比率100%』を合言葉に、ニーズにしっかり応え復興に貢献します」と野田社長は力を込めました。
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