特集2 食文化研究家・清 絢(きよしあや)の味わい ふれあい 出会い旅(1)
第10回愛知県海部郡(あまぐん)蟹江町 水郷地帯で育まれた「もろこ寿司」を探して
日本各地の郷土食を食文化研究家のわたくし清 絢が巡る旅。 今回は、水郷の川魚文化を継承する町、愛知県海部郡蟹江町を訪ねました。 行事食として作られた「もろこ寿司」の懐かしい味わいを求めて出発です。 |
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清 絢( きよし・あや) 大阪府出身。日本各地の農山漁村を訪ね、伝統的な食文化や暮らしについて、調査研究を行う。 日本の食文化を次世代へ継承するために、執筆、講演など、さまざまな形で活動中。 |
甘強(かんきょう)酒造
伝統製法で造る琥珀色の古式みりん |
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新商品の開発にも熱心で、20年熟成した「黒みりん」は黒蜜のような甘みととろみが特長。プリンやアイスクリーム、わらび餅などにかけると美味。年季の入ったみりん蔵などの建物4棟は、国の「登録有形文化財建造物」に指定。1915年のサンフランシスコ万博にみりんを出品したときの賞状も 文/清 絢 写真/川端正吾 イラスト/竜田麻衣 |
いくつもの河川がゆったりと流れ、水鳥の飛び交う愛知県海部郡蟹江町には、川魚を生かした「もろこ寿司」が伝承されています。まずは古きよき水郷地帯の風景が残る町を歩き、蟹江川のほとりに立つ、老舗の蔵元「甘強(かんきょう)酒造」を訪ねました。 「うちは文久2(1862)年の創業から、みりん造りにこだわってきました。ここは木曽川下流のデルタ地帯に位置し、伏流水が豊富に湧いてみりん造りに適した土地。最盛期には20軒もみりん蔵があったとか。地域を流れるいくつもの川が自然の水路として活用されていて、みりんを船に乗せ各地に出荷していたようです。」と7代目の山田洋資(ようすけ)さん。 注目すべきは古式みりんという伝統製法で造る「昔仕込本味醂」。醸造アルコールの代わりに、地元産の米と酒粕を蒸留して造った米焼酎で仕込み、2年以上の時間をかけて熟成する製法です。まろやかでコクのある甘みは、料理の味を格上げしてくれると全国の料理人の心をつかんでいます。もろこ寿司作りにも、おいしいみりんは欠かせません。 |
東京屋
蟹江散歩のおともは飾らない田舎寿司で |
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「東京屋なのに田舎寿司」と笑う上田さんご夫婦の優しい笑顔が迎えてくれるこちらのお店では、蟹江らしい魚の押し寿司のほか、東京風の四角い油揚げのいなり寿司や巻き寿司が購入できる。蟹江名物もろこ寿司は1パック900円(税込み) |
さらに町を歩くと、甘辛く煮付けたアナゴやモロコの寿司を製造する「東京屋」を見つけました。 「この辺りじゃ、いなり寿司の油揚げは三角なんだけど、うちは東京風の四角いのを使っててね、それが店名の由来なの。昔はどこの家庭でも押し寿司をよく作ったけど、ここ数十年でめっきり減っちゃってね。俺はがんばって昔ながらの水郷の味を伝えていかなきゃと思ってるんだ。誰かがやんなきゃな」とご主人の上田勝義さん。今でも法事の仕出し弁当として注文が多いそう。若い人にも知ってもらいたいと、月に数回は町の中心にある「まちなか交流センター」で販売ブースを出しています。 |
ちょこっと寄り道
いなまん |
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いな饅頭はボラのお腹を割かず、口から中骨を取り除いて作るため料理人の熟練の技が必要。味噌と魚肉が一体となりコク深い味わいで酒の肴に欠かせないと熱烈なファンも。静かな店内では庭を眺めながら旬の和食がいただける。近年はボラが減少しているため、提供の可否は事前に要確認 |
次に立ち寄った「いなまん」は、「いな饅頭」という蟹江独特の名物料理を受け継ぐお店。 「饅頭といっても和菓子じゃないですよ。イナは若いボラの名称で、ボラの中に味噌や銀杏などを詰めて焼いた料理です。蟹江の川には汽水魚のボラがたくさんすんでいてね。それをもてなし料理にしようと120年ほど前に、料亭『大和楼』の主人が考案したんです」と店主の後藤勝伸さん。出世魚のボラは、お祝いの席でとても好まれたそうです。 |
蟹江町歴史民俗資料館
蟹江の暮らしと漁業の歩みが学べる |
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名古屋から電車で10分という位置にあり、近年はベッドタウン化も進む蟹江。大野さんに古い写真を見せてもらい、現在は新しいマンション通りと古い町並みが混在する町の変遷を教えてもらった。フナ味噌は、大豆とフナを赤味噌で2日かけて煮込んだ蟹江の家庭料理 |
ところで、水郷の風景や川魚料理には出会えたものの、漁は見かけません。蟹江の歴史や暮らしに詳しい「蟹江町歴史民俗資料館」学芸員の大野麻子さんにお話を伺いました。 「蟹江では川の幸を生かした郷土食が親しまれてきました。フナやモロコは水田でも獲れるので、稲作をしながら魚を獲って暮らす人も多くいました。ただ、昭和34年の伊勢湾台風で大きな被害があり、防災のために水門ができて、川の水質が変化したことや、名古屋港の開発のために漁場が失われるなどしたことから漁業は衰退。人と川に距離が生まれてしまいました。それでも漁を続け、蟹江の舟入地区で“最後の漁師”と呼ばれた佐藤優(まさる)さんの奥様なら、もろこ寿司を作ってくださると思いますよ」と紹介してくださいました。
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佐藤とめ子さん
川の恵みをぎっしり並べた特別な日のごちそう |
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蟹江町ではモロコ以外にも、ハヤやアジの押し寿司を作る地域があり、今でも5段重ねの寿司箱が残されている家もあるという。かつては田んぼの水を抜くときに、その落とし口に「ノゾキ」という仕掛けをしてモロコを獲ることもあった |
さっそく、奥様の佐藤とめ子さんのご自宅へ。「うちのお父さんは中学を卒業してから77歳まで、60年以上漁師をしていたの。新鮮な川魚をよく獲ってきてくれてね。もろこ寿司はお祭りや法事のときに必ず作った行事食。5段重ねの寿司箱を持ち寄って、何升もごはんを炊いて、たくさん作って親戚や町内に配ったのよ。私も嫁いできた頃はわからなかったけど、隣近所で手伝い合うなかで、作り方のコツを教えてもらって上達したわ。嬉しいときも悲しいときも、この味があったのよね」と佐藤さん。ご主人も好きだったという、もろこ寿司作りに取りかかってくれました。 まず生のモロコを甘露煮に仕上げたら、冷ましておきます。その間に酢飯を準備し、寿司箱にハランの葉を敷きます。材料が揃ったら、寿司箱に酢飯を詰め、その上にモロコの甘露煮を敷き詰めます。地域によっては角麩と一緒に並べたり、斜めや真横に並べて、華やぎを出すところもあるそう。最後に寿司箱を重ね、ぐっと体重をかけて押し固めればできあがりです。 ふっくら炊きあげたモロコが凛(りん)と整列する寿司は、たいそう美しく、食べてしまうのがもったいないほど。モロコのサクッとした食感とほのかな苦みは、甘めの酢飯にとてもよく合います。「久しぶりだったけどうまくできたわね」と佐藤さんも懐かしい味にご満悦でした。 心に残る思い出の味はやはり失いたくないもの。かつての記憶とともに、郷土の味を語り継いでいくことも、これからの時代を生きる私たちの大切な使命なのでしょう。 |
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