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新連載 ご馳走、東西南北 vol.1

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イタリア料理シェフ・日高良実さんが訪ねる 相模湾の恵み 「湘南しらす」



春を迎え、神奈川県ではしらす漁が解禁されました。最近ますます注目を集める 「湘南しらす」を訪ね、長年にわたって日本の食材を活用してきた 料理人・日高良実さんがその魅力に迫ります。

日高さん、岩崎さん、獲れたて湘南しらすの写真

料理人、日高良美さんの写真 今回の訪ね人
料理人  日高 良実さん
東京・広尾の「ACQUAPAZZA(アクアパッツァ)」オーナーシェフ。イタリア修業時代に関心を深めた郷土料理をベースに、洗練されたスタイルの料理を手がける。日本伝統食材にも造詣が深く、様々な料理法を提案する。



山茂丸で大量に水揚げされる湘南しらす
1.山茂丸で大量に水揚げされる湘南しらす

プリッとした張りのある食感とうまみが濃い湘南しらすの釜あげ。水揚げしてすぐに茹でて、急速に冷ますので味がいい
2.プリッとした張りのある食感とうまみが濃い湘南しらすの釜あげ。水揚げしてすぐに茹でて、急速に冷ますので味がいい

しらすの加工品は4種類。奥から時計回りに、釜あげしらす(540円)、ちりめん佃煮(430円)、ちりめんじゃこ(540円)、天日干ししらす(540円)が直売所で売られている
3.しらすの加工品は4種類。奥から時計回りに、釜あげしらす(540円)、ちりめん佃煮(430円)、ちりめんじゃこ(540円)、天日干ししらす(540円)が直売所で売られている
愛される「湘南しらす」その魅力を知りたい
小雨混じりの神奈川県・佐島漁港は、しらす漁まっさかり。日高さんは、この道50年になる、山茂丸水産4代目・岩崎晃次さんの船の帰りを待っていました。日本の食材でイタリア料理を表現してきた日高さんは、日本独特の、のりや柚子を駆使したり、乾物に新しい命を吹き込むような食べ方を提案しています。「湘南しらす」との出会いは、平成19年に開店した横須賀美術館内のレストラン「アクアマーレ」。地元出身の初代シェフが探し当てたのが、岩崎さんのしらすでした。味わってみて、そのおいしさに魅せられた日高さんは、すぐにOK を出したといいます。「相模湾は栄養の豊富な海ですから、魚がうまいですね。店でもタコや穴子など、相模湾でなければというものを使っています。湘南しらすはうまみが濃く、都心から近いから鮮度がいい状態で手に入るのが最大の魅力です」と日高さん。

朝10時。船が帰ってきました。「今日はあんまりいなかったよ」。くしゃっとした笑顔が印象的な岩崎さんが大きな声で叫びます。例年ならこの時期は大漁のはずなのに、黒潮が遅れているのだそう。それでも、獲れたばかりのキラキラしたしらすを手ですくって差し出してくれました。それを口にした日高さんは大きくうなずきます。

「身がしっかりしているから加熱してもうまみがにげないのでしょうね。うまみが身にのっているので、サラダでもいいし、すごく上質なオリーブオイルをかけるだけでも素晴らしい料理になりますね」。「春のしらすは色が黒いけどうまいでしょ。それは海が豊かで、しらすがエサをいっぱい食べている証拠なんですよ」と岩崎さんはにこにこと説明します。

湘南しらすの漁は、すべて一隻の船が曳く一艘曳きと呼ばれるもの。長時間網を曳く二艘曳と比べ、一艘曳は網を曳く時間が15分程度と短時間です。しらすが傷つくことなく、生きたまま水揚げされるから質と鮮度が抜群です。「でも昔は相模湾のしらすは色が黒いといわれてね、仲買人が嫌うから安くしか売れず、もうからなかったんだよ」と岩崎さんは昔を語ります。

実はこの“黒い色”こそ、湘南しらす誕生のきっかけ。味が劣るわけではないのに、しらすを獲ってもお金にならない。このジレンマを解消するため、神奈川のしらす漁師たちが団結し、平成2年、神奈川県しらす船曳網漁業連絡協議会を発足させました。こうして漁師同士が連携することで、生産性向上のための漁業技術の研究もすすみ、さらに湘南しらすの認知度向上のために、ブログによる直売所情報や活動の紹介など様々な取り組みを行い、ブランド化に成功したのです。



生しらすを氷水で何度も洗う。氷水の塩分濃度をしっかりと調節することで、ちょうど良い、湘南しらすならではの味となる
1.生しらすを氷水で何度も洗う。氷水の塩分濃度をしっかりと調節することで、ちょうど良い、湘南しらすならではの味となる

「海で食べたものよりおいしくなっていますね」。氷水でしめた洗いたてのしらすの味わいの変化に驚く日高さん
2.「海で食べたものよりおいしくなっていますね」。氷水でしめた洗いたてのしらすの味わいの変化に驚く日高さん

釜あげしたしらすは、急速に冷やして乾燥させるほどおいしい。そのためのシステムを岩崎さんが説明してくれた
3.釜あげしたしらすは、急速に冷やして乾燥させるほどおいしい。そのためのシステムを岩崎さんが説明してくれた

しらすを洗ったり、茹でたりする時に使うのも、精製塩ではなく、天日塩にこだわっている
4.しらすを洗ったり、茹でたりする時に使うのも、精製塩ではなく、天日塩にこだわっている

味と鮮度を損なわない加工の決め手は塩分濃度
しらすの加工を見せてくれるというので漁港近くの作業場へと向かいました。しらすは真水で汚れを落とした後、生食用は塩加減1.8%の氷水を使ってしめます。「しらすは細かいからね、氷水じゃないと一匹一匹が完全に冷えない。もちが悪くなるんだよ」。釜あげ用は2.6~2.7%の塩水をしらすの大きさによって使い分けています。

「塩分はこれ以上でもこれ以下でも品質が落ちる。だから機械で正確に測っているんだ。塩は天日塩。こうした知識は協議会の漁師全員で共有してブランドを守っているんだよね」と岩崎さん。

「塩分濃度がこれほど重要とは知りませんでした」。氷水でしめた生しらすを味見した日高さん、「さっきよりずっとおいしい」と、予想を超えた変化に驚きます。「すごくしっかり洗っていましたよね。あくや雑味がきちんと取れているから、水揚げ直後と比べて、トロッとした生しらすの甘みが強調されますね。おいしいことは分かっていましたが、その背景にここまでのこだわりがあることは、今日初めて知りました」。

「しらすはね“海の米”なんだよ。いろいろな魚の稚魚がしらすを食べて育ち、いわしになっても大きな魚のエサになるからね」。だからこそ相模湾には多くの魚がいて、海が豊かになるのだと、岩崎さんは胸を張ります。

「いい食材は郷土愛がないと生まれないものですが、湘南しらすも同じですね」。ここ数年、日高さんが注目している日本の乾物とも通じるものがあるといいます。

「今はね、おいしいしらすを求めて、遠くからお客さんが来てくれるようになってありがたいね」と顔をほころばせる岩崎さん。「直売は一番いい状態で届けることができますから、作り手冥利につきますね」と日高さんもうれしそうに応えます。



子安の里 まりんの「しらす丼」1350円。ご飯と相性がいいのは生しらすではなく、釜あげしらすだ。のりの香りとしらすがよく合い、青じそやねぎの爽やかな風味がしらすの磯の香りを引き立てる
1.子安の里 まりんの「しらす丼」1350円。ご飯と相性がいいのは生しらすではなく、釜あげしらすだ。のりの香りとしらすがよく合い、青じそやねぎの爽やかな風味がしらすの磯の香りを引き立てる

イタリアンとの融合! しらすのピザも大人気
2.イタリアンとの融合! しらすのピザも大人気

ちょうどいい塩かげん

こだわる人の深い思いがおいしいしらすを作りあげる
湘南しらすを食べに行くなら、と岩崎さんが紹介してくれたのは「子安の里 まりん」。自慢のしらすは、その品質を理解してくれる地元の店に卸しています。さっそくしらす丼を注文。他にもしらすを使ったメニューが豊富にあります。「釜あげしらすはご飯と合わせた時の塩加減が絶妙ですね。今の時代は塩が立ちすぎてもよくありませんから、保存がきくぎりぎりの塩分濃度でしょうね」。余計な味付けが必要ないから、しらす本来の味がよく分かるという日高さん。改めて、岩崎さんのしらすへの深い思いを知り、なぜ湘南しらすがおいしいのかが理解できたといいます。

「食材は自然の恵みをいただくわけですが、その間に入る“人”がいかに重要か。今回は強く感じました。関わる人々の技や深い思いがあるから、しらすが一番いい状態で提供されるんですね。これは発見でした」



相模湾の湘南しらすが水揚げされる主な漁港






山茂丸水産本店の写真
相模湾と湘南しらす
相模湾は太平洋に広く開いた湾で、1000m以上の深さを持つ日本三大深湾の一つです。表層を流れる黒潮には魚のエサとなるコペポーダというプランクトンが豊富なため、1000種を超える多様な魚が集まります。また、豊かな森から流れ込む数多くの河川水も湾に栄養をもたらしています。

そうした海産生物の宝庫である相模湾は、年間水揚げ量約500t 程度と小規模ながら、しらすの産地として有名です。古くは室町時代に、しらす漁のもととなる地曳網漁が紀伊半島から伝わりました。江戸時代になると、こませ網漁が、明治20年頃からは本格的なしらす漁が始まります。

大正時代には三浦から小田原にかけてしらす専用の地曳網が操業し、やがてそれは手漕ぎの船に代わります。昭和38年に魚群探知機、昭和40年代には揚網機を導入して漁の効率化が図られました。こうして相模湾のしらす漁は漁師の方々の努力により、着実に進歩してきました。

そうして獲れた相模湾のしらすは過去には「色が黒い」と仲買人に避けられた時期もありました。そこで、しらす漁師達は団結し、加工技術の共有化や品質の良さの広報に努め、評価を高める活動を行ってきました。今では湘南しらすは「かながわの名産100選」や「かながわブランド」にも選ばれ、食材として高い評価を得ています。



今回訪ねたところ
山茂丸水産本店
神奈川県横須賀市佐島1-25-15
TEL:046-857-6700  営業時間/ 10時 ~ 16時  不定休

子安の里 まりん
神奈川県横須賀市秋谷3621-2
TEL:046-857-6545  営業時間/平日11時30分~17時(L.O. 16時30分)、 4~9月の土日 11時~20時(L.O. 19時30分)、10~3月の土日 11時~17時(L.O. 16時30分)、祝日11時 ~17時(L.O. 16時30分)  不定休


日高さん、岩崎さんの写真


文/岡本ジュン(フリート)  撮影/伊原正浩  写真提供/アクアパッツァ、山茂丸水産
取材協力/杉山武(神奈川県しらす船曳網漁業連絡協議会会長)