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農林水産省

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特集1 非常食(5)

村民一丸で乗り切った地元小学校での避難生活

熊本県阿蘇郡西原村



避難所で家族団らんの光景が。
避難所で家族団らんの光景が。
3日ほどで物流が回復し、粉ミルクや離乳食が届くように。
3日ほどで物流が回復し、粉ミルクや離乳食が届くように。

給食室の施設では、ピーク時には724名に達した避難者の食事を用意しました。
給食室の施設では、ピーク時には724名に達した避難者の食事を用意しました。

子どもからお年寄りまで食べやすい献立を工夫。
子どもからお年寄りまで食べやすい献立を工夫。
炊事は小学校の給食を調理してきた女性2人が中心になり、避難者たちが自主的に協力しました。
炊事は小学校の給食を調理してきた女性2人が中心になり、避難者たちが自主的に協力しました。

出典/THE PAGE
写真/木野千尋


被災者に活力を与えた精米したてのおいしい米
「近くを活断層が通っているからいずれ必ず大きな地震が来る。道路が分断されれば3日間は自分たちで生き延びなければならない。そう想定して防災訓練を重ねていたため村民の意識が高まり、水や食料の備蓄が進んでいました」と語るのは熊本地震の避難所の一つ、熊本県阿蘇郡西原村の河原小学校で統括を務める堀田直孝さんです。

元消防団員の堀田さんの「うちは待つだけの避難所ではなか」という呼びかけに応じ、村民は団結して難局に当たりました。

炊き出しを行うため、発電機やプロパンガスのボンベを持ち込み、水は水道組合の人々が山の湧き水の管を補修しました。野菜や保存食は避難者が惜しみなく持ち込み、米は農家が保冷庫に蓄えていた玄米を精米機にかけて炊きました。特に新興住宅地の住人は「避難所でこんなおいしい食事が食べられるなんて」と驚いたと言います。

こうして本震から1週間、毎日3食を自分たちで作り続けたのです。堀田さんは「避難所の雰囲気を殺伐とさせず、力を合わせて窮地を乗り切るうえでは充実した食事が大きかった」と述懐します。


取材・文/下境敏弘


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