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農林水産省

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第6章 食文化の継承のための活動


食文化を大切にし、次の世代への継承を図るには、地域の食生活改善推進員など国民の生活に密着した活動を行っている食育ボランティアや、高度な調理技術を備えた専門調理師等の役割が重要。

地域の食文化を継承していくためには、伝統的な郷土料理や食文化を支えてきた地域の食材等の特徴を理解し、伝えていくことが大切。農林水産省では、地域において市町村や民間団体、JA、生協等が、子供達や子育て世代を始めとする消費者を対象に実施する地域の食文化や地場産物等への関心を高める取組を推進。

農林水産省では、平成29年度に小学生を対象として、和食に関するお絵かきや和食文化の知識と技を競うイベント「第2回全国和食王選手権」を開催。

また、農林水産省では、行政栄養士向けに和食文化をテーマとした食育活動を実施するための研修会や、妊婦や子育て中の母親・父親を対象として、普段の子育ての中に和食文化を取り入れるための食育講座を実施するとともに、スマートフォン向けの情報発信を実施。

事例:だしで味わう和食の日

食育授業の様子

食育授業の様子

和食文化国民会議(略称:和食会議)は、平成27年から、全国の小・中学校、保育所等を対象として、和食給食を推進する「だしで味わう和食の日」という企画を実施。11月24日の「和食の日」を中心に、給食に和食を提供することで日本の食文化である「和食」とは何かを考えるきっかけに。

平成29年度は、全国で約6,500校、児童・生徒等約157万3,000人が参加。参加校では、旬の多彩な食材を使用したみそ汁や、地域の食材を取り入れたけんちん汁、郷土料理ののっぺい汁など、「だし」のうま味が感じられる給食を提供。和食をテーマにした食育授業も実施し、だしについての話をするほか、触る、味わうなどの体験を実施。

事例:子育て世代や若い世代に向けた豆味噌料理の継承の取組

豆味噌作り

豆味噌作り

愛知県岡崎市は、家庭にある野菜を味噌で煮た「煮味噌」等が古くから家庭料理として継承されてきたが、近年、豆味噌や煮味噌などの岡崎の食文化を知らない市民が増加傾向。

平成29年度に、農林水産省の「地域の魅力再発見食育推進事業」を活用し、「豆味噌作り・煮味噌調理」の講習会を開催。

今後も、煮味噌にとどまらず、地元の食文化等の調査を行い、情報提供や講習会において、地域や家庭で継承できる取組を展開。

コラム:明治期における食育及び食生活の転換

明治150年ロゴ

食育の大切さを指摘

石塚左玄著「食物養生法」内表紙資料:国立国会図書館所蔵

石塚左玄著
「食物養生法」内表紙
資料:国立国会図書館所蔵

明治31(1898)年に発行された石塚左玄著「食物養生法」では、食が人に及ぼす影響を強調。さらに、体育、智育、才育の基本となるものとして「食育」の重要性に言及。明治36(1903)年に「食道楽」を著した村井弦齋は、「小児には徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先き」と食育の大切さを指摘。

栄養の重要性を発見

>高木兼寛資料:東京慈恵会医科大学所蔵

高木兼寛
資料:東京慈恵会
医科大学所蔵

高木兼寛は、明治13(1880)年に東京海軍病院院長に任命されると、脚気の予防と治療の研究を開始。脚気の原因は、今ではビタミンB1の欠乏であると明らかになっているが、当時は、細菌による伝染病説が支配的。高木は、脚気の原因は栄養欠陥であると考え、明治18(1885)年に海軍の主食に麦混合食を採用し、海軍の脚気患者を一掃。一方、伝染病説を支持していた陸軍軍医の森林太郎(鴎外)は、高木の説を受け入れず。日清戦争と日露戦争において、海軍では脚気による死者がほとんど発生しなかったのに対し、陸軍では多くの死者が発生。

肉類の普及

牛鍋屋の様子(牛店雑談安愚楽鍋)資料:国立国会図書館ウェブサイト

牛鍋屋の様子(牛店雑談安愚楽鍋)
資料:国立国会図書館ウェブサイト

牛肉食は文明開化の象徴と信じられ、牛肉屋、牛料理屋の数が増加。明治4(1871)年の仮名垣魯文の小説「牛店雑談安愚楽鍋」、明治30(1897)年の「東京新繁昌記」等から、明治期の肉食の流行がみえる。福沢諭吉は、明治3(1870)年の「肉食之説」において、牛肉や牛乳が身体の養生に有効だと説き、肉食を啓蒙。さらに、明治15(1882)年には、「肉食せざるべからず」において、欧米人の精神と体力が日本人に比して勝っていることを挙げ、その違いは食べ物の違いにあるとし、肉食の利を力説。

当初の一般的な牛肉の食べ方は、牛肉を醤油や味噌で日本風に味付けし、箸で食べる「牛鍋」。牛鍋屋は比較的安価で、民衆でも気安く利用することができたという。

西洋料理の広がり

西洋料理店が開業したほか、西洋料理は料理書によっても紹介。明治5(1872)年に仮名垣魯文「西洋料理指南」、敬学堂主人「西洋料理通」などの西洋料理書が刊行され、西洋料理に関する知識が徐々に広まる。

1880年代後半になると、「洋食屋」という民衆を対象にする西洋料理店が開業し始め、明治30~40年代には、東京の「洋食屋」は1,500~1,600軒に。「洋食屋」では、米飯と共にエビフライ、コロッケ等が提供されたほか、カレーライス等を提供。明治39(1906)年の東京府下326軒の主な飲食店の内訳は、和様料理207軒、西洋料理36軒、牛鳥屋81軒、支那料理屋2軒。

学校給食のはじまり

>明治22年の代表的な給食献立:おにぎり、塩鮭、菜の漬物資料:独立行政法人日本スポーツ振興センター

明治22年の代表的な給食献立:
おにぎり、塩鮭、菜の漬物
資料:独立行政法人
日本スポーツ振興センター

明治22(1889)年に、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で学校給食を実施。明治40(1907)年には、広島県大草村義務奨励会による給食、秋田県高梨尋常高等小学校での貧困児童のための給食等が実施。明治44(1911)年には岩手県、静岡県、岡山県下の一部で給食が実施され、学校給食の取組は徐々に拡大。



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