水土里の文化遺産
重要文化財(6件指定)
国が指定する重要な有形文化財。有形文化財とは、建造物、絵画、工芸品、彫刻、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料などの有形の文化的所産で、我が国にとって歴史上、芸術上、学術上価値の高いものを総称して有形文化財と呼んでいます。
都道府県 | 名称 | 指定年月日 | 管理団体 | 時代区分 (年代) |
構造形式 | 施設の利用状況 |
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栃木県 | 那須疏水旧取水施設東水門、西水門、導水路及び余水路 | 2006年7月5日 (平成18年) |
那須野ヶ原土地改良区連合、那須疏水土地改良区 | 明治期 | 東水門・西水門:石造、坑門の上方に架けた角材の上に鉄製の門扉巻揚装置を設けたもの 導水路:壁側法勾配約五分とした台形断面の石造構造物 余水路:底版を石敷きとし、水量調整および排砂機能を有する水門を設けたもの |
那須疏水旧取水施設の下流に位置する、現在の取水口が、那須野ヶ原4万haを潤しています。 |
香川県 | 豊稔池堰堤 | 2006年12月19日 (平成18年) |
豊稔池土地改良区 | 昭和 (昭和4) |
粗石モルタル積石堰堤,堤長128m,堤高30.4m | 豊稔池は、貯水量159万m3を擁し、柞田川(くにたがわ)西岸に広がる530haの水田を潤すため池です。また受益地である大野原は全国有数のレタス産地となっています。 |
熊本県 | 通潤橋 | 1960年2月9日 (昭和35年) |
矢部町 | 江戸末期(安政元) | 石造単アーチ橋(取入口から排出口に至る水路を含む) | 現在も170haの農地を潤す現役の農業用水路橋として重要な役割を担っています。 |
熊本県 | 旧郡築新地甲号樋門 | 2004年7月6日 (平成16年) |
八代平野北部土地改良区 | 明治(明治33) | 石造アーチ式10連樋門 長さ31.8m 幅8.3m | 昭和38年に新しい樋門が建設されてからは補助的な施設として残存しています。 |
大分県 | 白水溜池堰堤水利施設 | 1999年5月13日 (平成11年) |
富士緒井路土地改良区 | 昭和(昭和13) | 主堰堤、副堰堤(導水暗渠付)、斜樋、土砂吐よりなる左右翼壁、管理用階段附属 | 現在も約280haの農地を潤す現役の農業用利水ダムとして重要な役割を担っています。 |
沖縄県 | 仲村渠樋川 | 1995年6月27日 (平成7年) |
仲村渠区 | 大正(大正元) | 石造井泉、いぎががー、いなぐがー、周囲水路、擁壁、拝所、広場、石畳(かーびら)よりなる | 現在は農業用水の水源として活用され、周辺の畑地を潤しています。 |
登録有形文化財(22件登録)
国に登録された保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物。文化財登録制度は、文化財建造物を後世に幅広く継承していくため、届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度で、上記の指定制度(重要なものを厳選し許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。
都道府県 | 名称 | 登録年月日 (官報告示) |
管理団体 | 時代区分 (年代) |
構造形式 | 登録基準 | 施設の利用状況 |
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埼玉県 | 間瀬堰堤 | 2000年10月18日 (平成12年) |
美児沢用水土地改良区 | 昭和前 (昭和12) |
重力式コンクリート造堰堤、堤長126m、堤高27.5m、取水塔・護岸堤防付 | 国土の歴史的景観 | 児玉用水路を通じて、本庄市、美里町区域のかんがい用水として利用されています。 |
埼玉県 | 間瀬堰堤管理橋 | 2000年10月18日 (平成12年) |
美児沢用水土地改良区 | 昭和前 (昭和13) |
鉄筋コンクリート造桁橋、橋長9.5m、幅員2.0m | 国土の歴史的景観 | 児玉用水路を通じて、本庄市、美里町区域のかんがい用水として利用されています。 |
神奈川県 | 二ヶ領用水久地円筒分水 | 1998年6月9日 (平成10年) |
川崎市 | 昭和前 (昭和16) |
鉄筋コンクリート造,直径16m | 造形の規範 | 都市化の進んだ現在では農業用水としての役割は低くなり、環境用水として大きな役割を担っています。 |
新潟県 | 西野谷用水路 | 2003年7月1日 (平成15年) |
西野谷区 | 大正 (大正15) |
石造、延長49m | 国土の歴史的景観 | この水路を流れる農業用水は、広く下流域のかんがい用水として利用され、現在も重要な役割を担っています。 |
富山県 | 庄川合口堰堤 | 2004年8月17日 (平成16年) |
庄川沿岸用水土地改良区連合 | 昭和 (昭和14) |
重力式鉄筋コンクリート造堰堤、堤長103m、堤高18m、取水口・ポンプ室及び魚道付 | 国土の歴史的景観 | 庄川合口堰堤から取り入れられた水は、庄川扇状地や射水山麓平野の約12,000haの農地を潤し、地域の農業を支えるとともに、生活・防火用水として年間を通じて利用されています。 |
大阪府 | 築留二番樋 | 2001年10月29日 (平成13年) |
築留土地改良区 | 明治 (明治40頃) |
煉瓦造単アーチ樋門、長さ55m、幅2m | 国土の歴史的景観 | 現在も沿線の農地の貴重な用水として利用されています。 |
和歌山県 | 小田井灌漑用水路龍之渡井 | 2006年3月23日 (平成18年) |
小田井土地改良区 | 大正 (大正8) |
煉瓦造・石造及びコンクリート造単アーチ橋、橋長21m、幅員5.3m | 再現が容易でない | 紀の川右岸に広がる約610haの水田地帯をかんがいしている小田井用水の一施設として利用されており、地域住民の生活道としても利用されています。 |
和歌山県 | 小田井灌漑用水路木積川渡井 | 2006年3月23日 (平成18年) |
小田井土地改良区 | 大正 (大正3) |
煉瓦造単アーチ橋、橋長6.0m、幅員3.8m | 国土の歴史的景観 | 紀の川右岸に広がる約610haの水田地帯をかんがいしている小田井用水の一施設として利用されており、地域住民の生活道としても利用されています。 |
和歌山県 | 小田井灌漑用水路小庭谷川渡井 | 2006年3月23日 (平成18年) |
小田井土地改良区 | 明治 (明治42) |
煉瓦造単アーチ橋、橋長9.3m、幅員7.4m | 国土の歴史的景観 | 現在も紀の川右岸に広がる約610haの水田地帯をかんがいしている小田井用水の一施設として利用されています。 |
和歌山県 | 小田井灌漑用水路中谷川水門 | 2002年3月23日 (平成14年) |
小田井土地改良区 | 明治 (明治45) |
煉瓦造、延長13m、幅員6.4m | 再現が容易でない | 現在も紀の川右岸に広がる約610haの水田地帯をかんがいしている小田井用水の一施設として利用されています。 |
広島県 | 三永の石門 | 1998年9月2日 (平成10年) |
東広島市 | 明治 (明治15頃) |
石造アーチ橋,幅11.7m,アーチ部幅員3.7m,長さ9.6m | 再現が容易でない | 記念碑として,当時の面影を現在に伝えています。 |
広島県 | 中の峠隧道 | 2000年4月28日 (平成12年) |
柏原水利組合 | 昭和前 (昭和5) |
鉄筋コンクリート造アーチ坑口、全長327m | 国土の歴史的景観 | 農業用ため池(深道池 貯水量16万t)への導水用の隧道(トンネル)として、現在もこの地域の農地を潤す大切な施設として活用されています。 |
山口県 | 江畑溜池堰堤 | 2001年10月29日 (平成13年) |
山口市 | 昭和前 (昭和5) |
コンクリート造重力式堰堤、堤長69m、堤高14m | 国土の歴史的景観 | 昭和5年の完成から現在まで、農業用水用のため池として地域の約30haの農地(水田)を潤しています。 |
香川県 | 満濃池樋門 | 2000年2月15日 (平成12年) |
満濃池土地改良区 | 明治 (明治3/昭和3・26改築) |
石造、間口3.5m、高さ4.2m、袖壁付き、底樋管延長197m附属 | 国土の歴史的景観 | 満濃池は、周囲20km、貯水量1,540万m3を擁し、丸亀平野3,239haの水田を潤す日本最大級の農業用ため池です。 |
香川県 | 弥勒石穴 | 2000年2月15日 (平成12年) |
弥勒池水利組合 | 江戸 (安政4) |
石造坑口、延長189m | 国土の歴史的景観 | 弥勒池への導水路である弥勒石穴は、田川水系の大川ダムから約500m下流の砕石谷を取水源とし、現在でも利用されています。 |
熊本県 | 郡築二番町樋門 | 1998年6月9日 (平成10年) |
八代平野北部土地改良区 | 昭和前 (昭和13) |
石造アーチ式3連樋門、長さ14.2m、幅8.2m | 国土の歴史的景観 | 昭和38年に新しい樋門が建設されてからは、補助的な施設として残存しています。 |
大分県 | 橋詰水路橋 | 1998年2月12日 (平成10年) |
院内土地改良区 | 江戸 (江戸末期) |
石造単アーチ橋,橋長8.5m,橋幅2.2m | 造形の規範 | 今でも現役の水路橋として集落の3.8haの水田を潤しています。 |
大分県 | 若宮井路笹無田石拱橋 | 1996年12月26日 (平成8年) |
朝地町土地改良区 | 大正 (大正6) |
石造2連アーチ橋、延長59.0m | 国土の歴史的景観 | 若宮井路は、稲葉川に水の取水口を設け、本延長20km、支渠・分渠からなり、朝地町の134haの耕地を潤しています。 |
大分県 | 明治岡本井路(石垣井路) | 1996年12月26日 (平成8年) |
竹田市土地改良区 | 明治 (大正10代/明治45開通) |
石造、延長231.4m | 国土の歴史的景観 | 丘陵地の尾根上に延長240mにわたって高さ3.5~5.5mの水路を築き、約698haの耕地に水を供給している現役の農業水利施設です。 |
宮崎県 | 享保水路井堰 | 2004年3月4日 (平成16年) |
上方土地改良区 | 明治 (明治39/大正3・昭和初期改修) |
石造、堤長31m、堤高2m | 国土の歴史的景観 | 享保水路井堰は、総延長6,800m、幅平均2.1mの享保用水路の取水源として、現在も飯野平野の水田150haの農地を潤している農業用施設です。 |
宮崎県 | 享保水路太鼓橋 | 2004年3月4日 (平成16年) |
上方土地改良区 | 明治 (明治3) |
石造単アーチ橋、橋長34m、幅員8.8m | 国土の歴史的景観 | 太鼓橋は現在も飯野平野の水田150haを潤す享保水路の重要な一部を担っています。 |
宮崎県 | 靉靆橋 | 2004年3月4日 (平成16年) |
上方土地改良区 | 江戸 (享保14) |
石造単アーチ橋、橋長13m、幅員10m、水路石敷付 | 国土の歴史的景 | 明治33年に上方普通水利組合が設立され、用水路の管理を行うようになり、現在も上方土地改良区による施設管理が行われています。 |
史跡(6件指定)
貝塚、古墳、都城跡、城跡旧宅等の遺跡(我が国にとって歴史上または学術上価値の高い記念物)のうち、重要なものを国は史跡として指定しています。
都道府県 | 名称 | 指定年月日 | 管理団体 | 時代区分 (年代) |
概要(水土里とのかかわりなど) | 施設の利用状況 |
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埼玉県 | 見沼通船堀 | 1982年7月3日 (昭和57年) |
さいたま市 | 1731年(享保16) | 見沼の新田開発の後、見沼代用水と芝川を結んで造られた我が国最古の閘門式運河 | 現在は、船の運航がなくなったことから、閘門式運河としての役割はなくなりましたが、イベント時には、閘門に堰板を積み、水位を上下させて船を往来させるなど、当時の様子を垣間見ることができます。 |
石川県 | 白米の千枚田(外部リンク) | 2001年1月29日 (平成13年) |
- | - | 稲の生産の場であるとともに、良好な景観の形成や地すべり防止機能をも同時に果たしている。 | 後継者不足が深刻ですが、千枚田を後世に残すための保存活動に取り組んでおり、2007年春からは田んぼのオーナー制度がはじまっています。 |
石川県 | 辰巳用水附土清水塩硝蔵跡(外部リンク) | 2010年2月22日 (平成22年) |
- | 近世 | 3代加賀藩主・前田利常の命により1632年に完成し、周辺の新田開発に利用された。 | 現在でも農業用水として利用されるほか、ウォークラリー等のイベントが開催されています。 |
山口県 | 周防灘干拓遺跡(高泊開作浜五挺唐樋、名田島新開作南蛮樋) | 1996年3月28日 (平成8年) |
山陽小野田市 | 1857年(安政4) 1774年(安政3) |
江戸時代に行われた干拓の樋門。当時の土木技術をよく示す。 | 高泊唐樋は、近年隣接地に新樋門が建設され、また名田島南蛮樋は大正12年(1923)、その沖合に山口県営干拓が完成したことにより、樋門として機能することはなくなっていますが、当時の土木技術の到達点をよく示しています。 |
福岡県 | 堀川用水及び朝倉揚水車 | 1990年7月4日 (平成2年) |
朝倉郡山田堰土地改良区 | 用水:1663年(寛文3) 水車:1789年(寛文元) |
朝倉揚水(三連)車は、35haの農地をかんがいする日本最古の実動する水車 | 現在、「三連水車」1基と「二連水車」2基のかんがい面積は、合計35haにも及び、日本最古の実動する水車として全国的に有名な農業用施設です。 |
京都府 | 琵琶湖疏水 | 1996年6月19日 (平成8年) |
京都市上下水道局 | 1890年(明治23) | 琵琶湖疏水より洛東用水、東山用水、洛南用水の農業用水を取水 | 今でも疏水から取水される洛東用水路、東山用水路、洛南用水路の3地域の農業用水が、京都市山科区・伏見区の市街地に残る農地を潤し、京野菜やお米が育まれています。 |
山梨県 | 御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)(外部リンク) | 2003年3月25日 (平成15年) 【追加】 2009年2⽉12⽇ (平成21年) 2014年10月6日 (平成26年) |
- | - | 信玄堤とともに、武田信玄によって御勅使川・釜無川を治めるために築堤されたと伝えられる堤防施設。近世には御勅使川扇状地上の集落や耕地を守る治水・利水の施設として機能 | かつて集落や耕地を守った旧堤防は、貴重な歴史遺産として調査・研究が進められています。桝形堤防で守られていた分水施設は現在も利用されており、徳島堰の用水で地域の農地を潤しています。 |
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農村振興局整備部設計課
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