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トピックス2 特別企画:昭和100年を振り返って


昭和100年

令和8(2026)年に、昭和元(1926)年から起算して満100年を迎えます。昭和から平成、令和にかけての100年間で、我が国の食料・農業・農村は大きく変わりました。以下では、令和7(2025)年度の特別企画として、社会・経済の全般的な動き、国民生活の変化、農業生産・農業構造の動向、農村の変化について紹介します(*1)。

参考文献一覧を参照

(1)昭和初期から戦中、戦後復興にかけての食料・農業・農村

(昭和元~20年)

昭和初期においては、国民所得の増大や都市化に伴って食生活の質が向上し、農業生産の構成も変化していきました。生糸の価格が暴落し、桑の生産に代わって野菜や果実の生産が増加する中、農業関係の試験研究の体制が整い、農作物の品種開発と栽培技術の向上、家畜の改良に向けた環境整備が行われました。

例えば稲は寒さにはあまり強くないため、北海道や東北等では昭和初期において稲が十分に実らない冷害が起きました。このため、耐冷性を強化した品種の開発が進み、昭和6(1931)年に多収性、耐冷性、そして良食味を兼ね備えた品種「水稲農林(すいとうのうりん)1号(ごう)」が誕生しました。また、西洋りんごについては、欧米から様々な品種を輸入して栽培試験を行ってきましたが、昭和初期にかけて、試験研究機関による組織的な国産品種の開発が開始されました。

こうした取組を背景に、我が国の農業は、世界恐慌(*1)の影響を受けながらも、農業者の経営多角化で対応し、野菜や果実、工芸農作物、畜産の生産が大幅に拡大しました。食糧自給の面からは、小麦の増産が注目され、技術的な改良等を通じて増産が図られました。

流通・消費面を見ると、鉄道交通網の発達により、野菜や果実の長距離輸送が増加しましたが、昭和初期の家庭には冷蔵庫等の電化製品が普及しておらず、生鮮食品の長期保存は困難でした。

せりの様子

資料:東京都中央卸売市場

このような中、昭和2(1927)年には、京都市(きょうとし)で中央卸売市場法に基づく初の中央卸売市場が開設されました。その後、昭和5(1930)年に高知市(こうちし)、昭和6(1931)年に横浜市(よこはまし)、大阪市(おおさかし)、昭和7(1932)年に神戸市(こうべし)、昭和10(1935)年に東京市(とうきょうし)(当時)で、それぞれ中央卸売市場が開設されました。

昭和14(1939)年に始まった第二次世界大戦下では、米や麦等の生産が優先され、生糸や果実等の生産が減少したほか、昭和17(1942)年には食糧管理法が制定され、様々な物資の統制が行われる中で、米麦についても配給統制が行われました。さらに、肥料等農業生産資材の配給、労働力の調整が行われ、農業の生産構造や農村は著しく変化しました。

1 昭和4(1929)年に米国で発生し、世界的に影響を及ぼした。

(戦後~昭和35年)

食糧難に対応するために設けられた国会議事堂前の畑

昭和30年の学校給食

資料:独立行政法人日本スポーツ振興センター

戦後農政の主要な課題は、食糧の確保と農村の民主化、農業の近代化でした。自作農創設特別措置法の制定等の農地改革により、自作農が多数を占める農業構造が創出されるとともに、農業協同組合法の制定により、零細経営を協同の力により補完する協同組合の発達が促進されました。また、昭和26(1951)年には農業委員会等に関する法律が制定され、農業全般にわたる問題を総合的に解決するための民主的な農民代表機関として行政委員会である農業委員会が設置されました。

深刻な食糧難を打開していくため、国内の食糧増産や肥料の生産体制強化が喫緊の課題であり、農薬取締法や肥料取締法、植物防疫法の制定等に加え、土地改良法の制定により、国営事業等による農地の開拓や、農業用水の開発が積極的に行われるようになりました。さらに、頻発する災害を乗り越えて農業生産を軌道に乗せるため、昭和22(1947)年に農業災害補償法が制定されました。

困難な食糧事情ではあったものの、昭和22(1947)年には、救援物資を受けつつ学校給食が主要都市を対象に再開され、徐々に全国に展開され、昭和29(1954)年には学校給食法が制定されました。この後、学校給食は時代とともに形を変えていきました。本トピックスでは、学校給食のメニューを時代とともに振り返ります。

農林水産物・食品の品質改善を目的として、昭和25(1950)年に農林物資規格法(*1)が制定され、農林物資の規格と格付(検査)から成るJAS(日本農林規格)(*2)制度が創設されました。流通・消費面を見ると、昭和28(1953)年には、消費者が自ら商品を選び、購入する我が国初のセルフサービス式スーパーマーケットが開業し、昭和30年代から食品スーパーや総合スーパーが各地に展開されるようになりました。

我が国経済が戦後復興を遂げる中で、農業生産も、昭和20年代後半には戦前の水準まで回復しました。また、昭和31(1956)年には、「水稲農林1号」を親として、耐冷性、食味を改良した特性を持つ「コシヒカリ」が誕生しました。

1 平成29(2017)年の改正による正式名称は「日本農林規格等に関する法律」

第4章第2節参照

(2)高度経済成長期から国際化が進展する中での食料・農業・農村

(昭和36~44年)

昭和30年代の経済成長過程において、農業従事者と他産業従事者との所得格差が拡大しました。農業部門から他産業部門への労働力の移動や、農産物の消費の拡大と需要構造に変化が生じるなど、農業をめぐる環境は大きく変化しました。

このような状況を踏まえ、昭和36(1961)年に、農業の生産性の向上、農業従事者と他産業従事者との生活水準の均衡を目標とする「農業基本法」が制定されました。同法においては、生産政策(農業生産の選択的拡大、農業の生産性向上等)、価格・流通政策(農産物価格の安定及び農業所得の確保、農産物の流通合理化等)、構造政策(農業経営の規模拡大、農業経営の近代化、協業の助長等)を3本の柱とする農業政策の方向付けが行われ、同法に基づき各種政策が展開されました。また、同法に基づき同年度版から農業白書が作成・公表されました。

昭和39(1964)年には、我が国はIMF(*1)(国際通貨基金)8条国へ移行するとともに、OECD(*2)(経済協力開発機構)へ加盟することにより、開放経済体制へ移行し、農業部門の対応も課題となっていきました。

農業生産の選択的拡大という考え方の下で、各種政策が講じられた結果、畜産や園芸の生産拡大が進み、農業総産出額は、昭和35(1960)年の1兆9千億円から昭和44(1969)年の4兆7千億円と大幅に向上しました。一方、小麦、大豆、飼料穀物の輸入量の急増と国内生産の大幅な減少、これに伴う作付延べ面積の減少が進みました。

また、稲作技術が向上し、米の単収は、昭和元(1926)年産の200kg/10a台から昭和41(1966)年産の400kg/10aへと飛躍的に増加しました(図表 トピ2-1)。一方、米の年間1人当たり消費量(*3)は、昭和37(1962)年度に118kgとなって以降、減少傾向となり、昭和44(1969)年度には100kgを下回りました。

この結果、供給熱量ベース総合食料自給率は、昭和40(1965)年度は73%でしたが、以降、米の消費量の減少、畜産物や油脂類の消費拡大等の食生活の変化とともに長期的に低下傾向をたどりました。

図表 トピ2-1 米の生産量と水稲の単収

データ(エクセル:41KB

農業構造については、兼業化が進展するとともに、農業者の高齢化も進行しました。また、都市的土地の需要拡大に伴う農地価格の上昇等により、土地利用型農業の規模拡大は進みませんでした。

価格・流通政策としては、品目ごとの価格安定等に係る法制度が整備され、著しい価格低落時の補給金の交付等が行われ、農業経営の安定に貢献しました。

流通・消費面を見ると、高速道路網の発達により、遠方の産品を含めた多様な食材の生産地から消費地への輸送が可能になりました。昭和30年代半ば(1960年頃)には、食品の製造工程や包装工程の機械化、冷凍等による保存期間の長期化等の食品製造技術は著しく進歩し、昭和43(1968)年にはレトルト食品が登場しました。

家庭消費向けの冷凍食品売場

資料:株式会社ニチレイ

また、2ドア式の冷凍冷蔵庫の普及を背景に、水産系の食品製造事業者が食品の冷凍加工を目指した本格的な研究に取り組み、冷凍食品に適した調理方法を開発し、調理冷凍食品を市販したことにより、次第に食品スーパー等で専用の売場が設けられるようになりました。昭和31(1956)年から派遣が始まった南極地域観測隊の食料として冷凍食品が採用されたことや、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピック(*4)の選手村で多くの選手等に短時間で提供するために冷凍食品が使用されたことで、外食分野での冷凍食品の導入が進み、家庭での消費も拡大しました。

農村においては、情報伝達や交通手段の発達により生活上の利便性が改善され、農業者の消費水準が高まった一方、混住化や農地転用の進行等が土地のスプロール化を招きました。このため、農業生産に必要な農用地等の確保及び農業の健全な発展を図ることを目的とする「農業振興地域の整備に関する法律」等が制定されました。

1 International Monetary Fundの略

2 Organisation for Economic Co-operation and Developmentの略

3 国民1人・1年当たり供給純食料

4 正式名称は「第18回オリンピック競技大会」

(昭和45~54年)

昭和40年代後半の学校給食

資料:一般財団法人武蔵野市給食・食育振興財団

1970年代においては、昭和48(1973)年のオイルショックを境に、国内経済のインフレとそれに続く不況等の厳しい局面を経験し、安定成長へと移行しました。都市化、工業化は全国に波及し、都市の過密とその一方で農村の過疎化が進みました。1年のうち一定期間家族のもとを離れて職に就く出稼労働者数は昭和40年代後半以降減少傾向にあり、地方から都市部への人口移動は、高度経済成長の終わりに向けて、勢いを弱めつつも、継続しました。

農業者の状況を見ると、在宅の雇用兼業が一般化し、農業者と非農業者の生活水準は、昭和40年代後半には均衡に向かいました。昭和45(1970)年には、第2種兼業農家(*1)が5割を占め、かつ兼業農家の多くは経営を稲作にシフトし、土地を資産的に保有する傾向を強めた一方、専業的な経営は養豚や養鶏、施設園芸といった土地に依存しない資本集約的な部門での発展を図る方向に向かいました。

農業生産面においては、米については昭和41(1966)年度に完全自給を達成しましたが、消費が減退している中で生産量が増加し続け、供給過剰状態となって昭和45(1970)年には政府米在庫量が720万tに達し、昭和46(1971)年から生産調整が本格実施されました(*2)。米のほかにも、みかんや生乳等の農産物の需給が緩和しました。

食生活では、肉類の消費が伸びた一方、穀物の消費が減少しました。農産物輸入は増加を続け、我が国は世界的に上位に位置する農産物純輸入国となり、供給熱量ベース総合食料自給率は50%台になりました。昭和47(1972)年の東欧や旧ソヴィエト連邦における穀物の不作に始まる国際農産物需給の逼迫(ひっぱく)は、昭和48(1973)年の米国産大豆の禁輸措置につながり、国民の食料供給に対する関心が高まる一つの契機となりました。学校給食では、カレーライス等のメニューが見られるようになり、飲み物として牛乳が提供されるようになりました。

我が国初のフランチャイズ方式による
コンビニエンスストア

資料:株式会社セブン-イレブン・ジャパン

流通・消費面を見ると、生鮮食料品等を安定的・効率的に供給するため、昭和46(1971)年に卸売市場法が制定され、卸売市場施設の整備や、その適正かつ健全な運営を確保すること等により、取引の適正化や生産・流通の円滑化が進められました。これによって、食生活は高度化、多様化し、この動きに対応して食品の加工・流通を担う食品産業は大きく成長しました。昭和40年代半ばから、カップ麺の登場に加え、外食産業では、チェーン店経営によるファミリーレストランやファストフードの業態が登場しました。昭和40年代には、米国のコンビニエンスストア業態が我が国の小売業界にも導入されました。

1 兼業所得の方が農業所得よりも多く、世帯員の中に兼業従事者が1人以上いる農家

2 あわせて、昭和46(1971)年以降、2度にわたり過剰米処理を実施

(昭和55~63年)

二度にわたるオイルショックを克服した我が国経済は、1980年代に入り、好調な対外輸出等に支えられて景気拡大基調となりました。国民の食生活は、所得向上、生活様式の変化等を背景に多様化が一層進みましたが、全体的には食料消費の伸びは緩やかなものとなり、栄養的には飽和に近い状態になりました。こうした中で、我が国の風土に根差し、バランスの取れた日本型食生活の維持・定着が課題とされました。昭和61(1986)年には、外食産業の市場規模は20兆円を超える規模となりました(図表 トピ2-2)。

図表 トピ2-2 外食産業の市場規模

データ(エクセル:31KB

スーパーマーケットの総菜売場

昭和50年代から60年代初めの学校給食

資料:一般財団法人武蔵野市給食・食育振興財団

また、食生活の洋風化や多様化が進み、弁当やおにぎり等の中食の利用が拡大し、スーパーマーケット等では中食の売場が拡大しました。昭和63(1988)年には、冷蔵による宅配サービスが開始され、冷蔵・冷凍保存を必要とする食品や生鮮食品を入手できる場が店舗以外にも拡大する契機となりました。学校給食では、主流であるコッペパンのほか、揚げて調理されたパンも提供されていました。

農業においては、大幅な円高に加え、農産物の国際需給も緩和したことから、農産物の内外価格差が拡大し、その縮小に向けた生産性向上のための取組が強化されるとともに、需給緩和基調が続く米、小麦、加工原料乳等の行政価格の引下げが行われました。さらに、昭和63(1988)年に牛肉、かんきつ等の輸入自由化が決定されました。農業総産出額は、昭和59(1984)年の11兆7千億円をピークに減少しており、品目別に見ると、昭和63(1988)年頃には、米、畜産、野菜・果実の産出額がほぼ同じとなりました。農産物の品種開発や優良品種の普及が進み、例えば果実については、日持ちが良く、良食味を兼ね備えたリンゴ品種の「ふじ」(*1)が広く普及し、おおむね昭和62(1987)年以降、「ふじ」は国内のりんご生産量の5割程度を占めるようになりました。

農業構造については、高齢専業農家が増加し、第2種兼業農家が減少する中で、農用地利用増進法に基づき、生産性の高い担い手の育成確保とともに、担い手を中核とした地域農業の組織化が推進されました。

農村においては、中山間地域等の条件不利地域では過疎化が進行し、地域社会の維持が困難となる地域も見られるようになりました。一方、農村で農業が営まれることにより発揮される国土の保全や水源の涵養(かんよう)、自然環境の保全等の多面的機能に注目する動きも見られるようになりました。一村一品運動に代表される農産物の高付加価値化と地場消費の開拓の取組やふるさと小包に見られる地域から都市部に向けた発信の取組も活発になりました。

1 昭和37(1962)年に品種登録

(平成元~10年)

平成に入ると、国際的には東西ドイツの統一、旧ソヴィエト連邦の崩壊等による冷戦体制の終結といった政治経済体制の枠組みに大きな変化が生じました。また、国内では、平成3(1991)年のバブル経済崩壊以降、我が国経済社会は長い低迷期に入りました。さらに、情報通信技術や交通手段の飛躍的な発達により、経済社会のボーダレス化が急速な勢いで進みました。こうした中で、平成5(1993)年には、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉が実質合意されるなど、農産物貿易の自由化が進み、平成7(1995)年には新たな世界の貿易ルールとして包括関税化の実施、農業保護の削減、輸出補助金の削減を進めるWTO(*1)農業合意が実施に移されるなど、新たな国際環境に対応した農政を展開していく必要性が増大しました。

平成2年頃の学校給食

資料:一般財団法人武蔵野市給食・食育振興財団

また、国民の意識や生活様式が、健康や暮らしの心地良さ等を優先する価値観へと変化する兆しがある中で、食生活は量的にも質的にも充足し、安全性等への関心の高まりに対応した表示・規格制度の充実や、環境への配慮に対応した循環型社会の実現に向けた取組も進展しました。

農業政策については、経営感覚に優れた効率的かつ安定的な経営体の育成を狙いとする構造政策の強化や価格政策の見直し等が進められました。職業としての農業を見直す動きもあり、新規就農青年数(*2)は順次回復傾向となり、平成10(1998)年には年間に1万人を超えました。また、政府による食糧管理に重点を置き、厳格に流通ルートを特定する制度から、流通面の規制を緩和し、生産者の自主性の発揮や流通の合理化を図る制度とするため、食糧管理法を廃止し、食糧法が平成6(1994)年に制定されました。

農業技術面では、米について、平成5(1993)年の大冷害を受け、「ひとめぼれ」等の耐冷性に優れた品種の普及が進みました。また、遺伝子解析技術の進展や情報通信技術の発達により、品種開発の効率化が進み、スマート農業の基盤となる技術も確立されました。

農村については、過疎化や高齢化が引き続き進行している中で、中山間地域を対象とした施策を実施し、定住化を促進するといった生活環境施設等の整備が行われるとともに、グリーン・ツーリズムを始めとする都市と農村の交流活動等が行われました。

1 World Trade Organizationの略で、世界貿易機関のこと

2 新規就農者のうち、「学生」から「農業が主」となった者と、39歳以下の「勤務が主」から「農業が主」となった者の合計

(3)世界の転換期における我が国の食料・農業・農村

(食料・農業・農村基本法の下での展開)

1990年代後半には、地球資源の有限性や環境問題、食料危機への不安等の課題が一層顕在化し、戦後の農政を形作ってきた制度の全般にわたる抜本的な見直しが必要になりました。このため、21世紀を展望しつつ、国民全体の視点に立って食料・農業・農村政策を再構築し、食料の安定供給の確保と農業・農村の持つ多面的機能の発揮が図られるよう、農業の持続的な発展と農業が営まれる農村の振興を図ることを旨とする「食料・農業・農村基本法」(以下「基本法」という。)が平成11(1999)年に制定されました。基本法に基づいて平成12(2000)年に策定された基本計画では、食料自給率の目標が設けられました。また、基本法に基づき、平成11(1999)年度版から「食料・農業・農村白書」が作成・公表されることとなりました。

2000年代に入ると、原油価格の高騰や国際的な環境への関心の高まり等を背景に石油代替燃料としてのバイオ燃料への需要が高まりました。また、世界的な干ばつや洪水等の異常気象が続くとともに、金融危機、経済危機が発生し、原油等を始めとする原材料価格が高騰したことに加え、世界の人口増加や開発途上国・新興国の経済成長等により、金融市場からの資金が穀物市場へと流れる投機的な動きが広がり、穀物価格の上昇・急騰につながりました。

国内では、BSE(牛海綿状脳症)の発生や、無登録農薬問題、加工乳による大規模食中毒事故、牛肉偽装事件、事故米穀の不正規流通問題といった、食の安全を脅かし、消費者の信頼を揺るがす事案が発生し、国民の食に対する関心と不安が高まり、食品安全に関する各種制度の創設・見直しが行われました。また、口蹄疫(こうていえき)や高病原性鳥インフルエンザ等の伝染性疾病の発生等も農業に大きな影響を及ぼしました。

建設会社が農業に参入し、
りんどうを生産

農業構造については、平成17(2005)年の農業経営基盤強化促進法の改正により、農地のリース方式による一般法人の農業参入が可能となりました。また、担い手の確保・育成の観点から、品目横断的経営安定対策(平成18(2006)年)や水田・畑作経営所得安定対策(平成19(2007)年)が開始されました。このほか、環境に配慮した栽培方法である有機農業(*1)を一層推進するため、平成18(2006)年に「有機農業の推進に関する法律」が制定されました。

平成24(2012)年には、集落や地域における徹底した話合いを通じて、今後の中心となる経営体と、その経営体への農地集積方法や、中心となる経営体とそれ以外の農業者を含めた地域農業の在り方等を定めた「人・農地プラン」の作成が開始されました。くわえて、平成26(2014)年には、農地の貸借を通じて担い手への農地の集積・集約化を進めるための機関として、各都道府県に農地中間管理機構(農地バンク)が創設されました。

流通・消費面では、インターネットの普及に伴い、EC(*2)市場が平成10年代以降急速に発展し、書籍や家電等に加え、食品類の取扱いも行われるようになり、日常的に商品を購入する手段となりました。また、平成17(2005)年に制定された食育基本法を受け、平成21(2009)年の改正後の学校給食法には、その目的に学校給食を活用して食育を推進することが明記されました。学校給食では、食育を意識して昔ながらの郷土料理等が提供されるようになりました。

平成25年の学校給食

資料:一般財団法人武蔵野市給食・食育振興財団

さらに、消費者の視点で政策全般を監視し、消費者行政を一元的に推進する組織として、平成21(2009)年に消費者庁が設置されました。

平成25(2013)年には、「和食」(*3)がユネスコ(*4)無形文化遺産として登録されました。このことが日本食文化を見つめ直す一つの契機となるとともに、次世代に向けた保護・継承の動きや、農林水産物・食品の輸出等につながることが期待されるようになりました。

平成26(2014)年には、地域ならではの自然的、人文的、社会的な要因の中で育まれてきた品質、社会的評価等の特性を有する産品の名称を、地域の知的財産として保護する地理的表示法(*5)が制定されました。

また、世界的な貿易の枠組みも大きく変化していきました。WTOでの多国間の貿易自由化交渉が停滞する中、特定の国・地域間で貿易ルールを取り決めるEPA/FTA(*6)の締結が世界的に進み、平成30(2018)年12月にはCPTPP(*7)(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)が、平成31(2019)年2月には日EU(*8)・EPAが、令和2(2020)年1月には日米貿易協定が、それぞれ発効しました。これらの協定における輸出先国・地域の関税撤廃等の成果を最大限に活用し、我が国の強みを生かした品目の輸出を拡大していくことが重要です。令和元(2019)年には、輸出促進法(*9)が制定され、政府が一体となって農林水産物・食品の輸出拡大を支える制度が整備されるとともに、我が国農林水産業の生産基盤の強化と新市場開拓の推進等の取組が進められました。

さらに、障害者の農業分野での活躍を通じて、農業経営の発展とともに、障害者の自信や生きがいを創出し、社会参画を実現する「農福連携」(*10)の取組が広がりました。農福連携は、平成27(2015)年に国際連合(以下「国連」という。)で採択されたSDGs(*11)(持続可能な開発目標)に掲げられた包摂的な社会の実現にも通じる取組です。

第5章第2節を参照

2 Electronic Commerceの略で、電子商取引のこと

3 正式名称は「和食;日本人の伝統的な食文化」。第4章第5節を参照

4 United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略で、国際連合教育科学文化機関のこと

5 正式名称は「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」

第1章第6節を参照

7 Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnershipの略

8 European Unionの略で、欧州連合のこと

9 正式名称は「農林水産物及び食品の輸出の促進に関する法律」

10 第6章第2節を参照

11 Sustainable Development Goalsの略

(食料・農業・農村基本法改正へ)

令和2(2020)年に始まった新型コロナウイルス感染症のまん延といった世界的な感染症の流行や、気候変動による生産・流通・消費への複合的なリスクが顕在化している中、令和4(2022)年2月のロシアによるウクライナ侵略等により、世界の食料供給や国内外の物流に大きな影響が生じたことから、地政学的な情勢の不安定化が、輸入依存度の高い我が国の食料供給に深刻な影響を及ぼし得ることが認識されました。

また、世界的には、中国やインド等の新興国の経済が急成長し、食料のほか、肥料等の農業生産資材への需要が増加しており、新興国によるそれらの輸入量も急増しています。我が国が輸入に大きく依存している穀物、油糧種子、肥料や飼料等の調達競争が激化しており、世界中から必要な食料や農業生産資材を望ましい条件で調達できない状況となってきています。

新型コロナウイルス感染症の
感染拡大に伴い流通が混乱し、
空になった商品棚(豪州)

資料:独立行政法人農畜産業振興機構

国際情勢の変化に伴う
調達リスクの高まりを受け、
備蓄を開始した肥料原料(茨城県)

約30年にわたるデフレ経済下で、国内の農産物・食品価格はほとんど上昇しないまま推移しました。実質賃金が上昇しない中で、消費者も低価格の食料を求め、安売り競争が常態化し、サプライチェーン全体を通じて食品価格を上げることを敬遠する意識が醸成・固定化されました。生産コストが増加しても価格を上げることができない問題が深刻化し、農産物や生産資材の価格が急騰した際にも価格に速やかに反映できず、事業継続にも関わる事態が生じるようになりました。

また、農業者の減少・高齢化が著しく進行し、基幹的農業従事者(*1)数は、平成12(2000)年の約240万人から、令和5(2023)年には約116万人と半減し、その年齢構成のピークは70歳以上層となりました。20年後の基幹的農業従事者の中心となることが想定される60歳未満層は、全体の約2割の24万人程度にとどまっています。

農村においては、都市に先駆けて人口減少・過疎化が進んできました。その結果、集落機能の維持に支障を来す事態も生じています。集落内の戸数が9戸以下になると、用排水路の管理や農地の保全等の集落が担ってきた共同活動が著しく減退するといった状況も見られるようになりました。

このように生産基盤が弱体化する中、基本法が制定された平成11(1999)年には想定されなかった情勢の変化を踏まえ、令和5(2023)年6月に内閣総理大臣を本部長とする「食料安定供給・農林水産業基盤強化本部」において、「平時からの国民一人一人の食料安全保障の確立」、「環境等に配慮した持続可能な農業・食品産業への転換」、「人口減少下でも持続可能で強固な食料供給基盤の確立」という新たな三つの柱に基づく政策の方向性が示されました。

1 個人経営体の世帯員であって、15歳以上の世帯員のうち、自営農業を主な仕事としている者

(4)未来に続く食料・農業・農村

(初動5年間で農業の構造転換を推進)

こうして、令和6(2024)年6月に、基本法は、将来にわたる食料安全保障の確保を基本理念の柱とした内容へ、25年ぶりに改正されました。また、改正された基本法の内容を実現するため、不測時の食料安全保障の対応を強化するための「食料供給困難事態対策法」(*1)や、食品等の持続的な供給を実現するため、食品産業の持続的な発展と合理的な費用を考慮した価格形成を内容とする食料システム法(*2)等が制定又は施行されました。

また、改正された基本法で掲げた基本理念に基づき、施策の方向性を具体化する計画として、新たな基本計画が令和7(2025)年4月に策定されました。同基本計画に基づき、基本法改正後の初動5年間で農業の構造転換を推し進めるため、農地の大区画化、共同利用施設の再編集約・合理化、スマート農業技術・新品種の開発・普及、輸出産地の育成等の施策に集中的に取り組んでいます。

農業の持続的な発展の基盤たる役割を果たしている農村は、人口減少・高齢化が進行しており、農村に関わりを持つ人材を増やすなどの農村の活性化に向けた取組を推進しています。

高温条件でも白濁が生じにくい
水稲の高温耐性品種「にじのきらめき」(左)
と既存品種(右)

資料:国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構

リンゴの主力品種「ふじ」(左)と
高温条件でも果皮の着色に優れる「錦秋」(右)

資料:国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構

このような中、昭和100年の間、国や都道府県の農業関係の試験研究機関等により絶え間なく行われてきた品種の開発にも変化が見られます。例えば稲については、主に耐冷性や多収性、良食味の観点から品種開発が進められてきましたが、近年では、稲の登熟期における高温の影響で品質の低下が課題となっていることから、高温耐性品種の開発が進められています。また、輸出産地を育成する観点から、低コストで生産できる栽培技術の開発とともに、多収品種の開発への関心が再び高まりつつあります。

リンゴについても、近年の労働力不足や環境変化に対応した品種開発が進められており、例えば食味も良好で機械化適性を持ち省力化に資する「紅(べに)つるぎ」や、気候変動に対応し、高温条件でも果皮の着色が優れた「紅(べに)みのり」や「錦秋(きんしゅう)」等の様々なニーズに対応した品種が開発され、普及が進められています。

ブドウについても、皮ごと食べられる黄緑色品種である「シャインマスカット」の生産が拡大し、我が国の高品質果実として輸出が進んできたほか、気候変動に対応した新たな品種の開発も進められています。

今後も、我が国の高い技術やノウハウ等の強みを活かしつつ、優良な品種の開発や導入を促進していくことが重要です(*3)。

昭和100年にわたる歴史の中で培われてきた成果を確実に継承しつつ、我が国の自然と調和した農業と和食を始めとする多様な食文化を経済社会の持続的な発展に資するよう活用していくため、今後とも国民全体が一丸となって取り組んでいくことが必要です。

第1章第4節を参照

第4章第2節及び第3節を参照

第2章第5節を参照


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