日本の食文化 和食文化を彩る 「漆」の世界


監 修 |
国立研究開発法人 森林研究・整備機構
森林総合研究所東北支所 田端雅進
*ここでは、樹木は「ウルシ」、
ウルシから採取された樹脂を含む木部樹液は「漆」と表記しました。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが住職を務めた天台寺がある二戸(にのへ)市は、「漆の里」として有名。国産漆の生産量のおよそ82パーセント(2021年実績)を、岩手県北部で生産しており、特に二戸市浄法寺(じょうぼうじ)町などが産地となっています。浄法寺漆は生産量もさることながら、耐久性や機能性に定評があるため、国宝や重要文化財の保存修理に使われてきました。
二戸市内にはあちこちにウルシ林が点在しており、2017年度の調査では累計約13万5,000本のウルシがあることが確認されました。今回訪れたのはふるさと文化財の森「浄法寺漆林」。ここでは、今年度、二戸市地域おこし協力隊のメンバーを含む若手職人4人が、「漆掻き(うるしかき)」という、漆を採取する作業を行っています。

4ヘクタールの林内に、4,000本のウルシが植えられている浄法寺漆林。
漆掻き職人の仕事
「漆掻き」は、カンナで一文字に削った「辺」と呼ばれるウルシ幹の傷から、わずかににじみ出る乳白色の漆を掻き採る作業をいいます。
浄法寺町など岩手県北部では、例年ウルシの花が咲き終わった梅雨入りあたりの6月中旬から10月くらいまで漆掻きを行い、年間1人200本以上の木から漆を採取するといいます。その年に掻き取る木と本数を決めると、状況を見極めながら1日ごとに場所を変え、4日間程度で巡回しながら漆を掻いていくのだそうです。
ウルシの幹が傷つけられることで、内樹皮と木部で作られて樹皮下に滲出した漆は、私たちが切り傷や擦り傷を負った時に血や滲出液が出るのと同じように傷を治そうとしているのです。このため、漆を数か月にわたって採取するには、木の健全性を弱めないように最初は短く傷をつけ、月日を刻むごとにだんだんと長くなるように傷をつけていくのだそうです。

幹に1本ずつ傷をつけていく漆掻きの作業。
7月下旬から8月末辺りまでの盛夏が1年でもっとも漆の収穫量が多く、色や粘りなど最高品質の漆が採れる時期だといいます。しかし、1本の木から採れる漆の量はわずか約180グラムから200グラム、最盛期とはいえ自然に漆が出てくるほど、漆掻きは簡単ではありません。外樹皮をはぎ取る最初の作業から傷のつけ方、ヘラの入れ方などで収穫量に差が出ます。つけた傷が浅すぎると漆が出てこないし、逆に深く長すぎると木が健全性をなくして枯れてしまいます。まさに職人の技術と経験が大きくモノをいう世界なのです。
こうした技術を守り受け継いできた結果、二戸市の「漆掻き技術」は2020年12月、「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」として、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

「日本うるし搔き技術保存会」会長の工藤竹夫さん。にじみ出た1滴1滴をていねいに、そして素早くヘラで掻き採っていく工藤さんの動きには無駄がなく、厳かな雰囲気さえありました。

漆掻きの道具。左から木に傷(辺)をつけるための「カンナ」、にじみ出た漆を掻き採る「ヘラ」、外樹皮を削って木の表面を滑らかにする「カマ」です。

掻き採られた生漆(きうるし)。水分や木くずなども混じっています。生漆に熱を加えながら撹拌すると美しいべっ甲色になり、そこに顔料を加えることで赤や黄色が作れます。黒は特殊で、精製時に鉄の粉を入れると化学反応によって漆黒(しっこく)の漆が生まれるのです。
「漆」ってどんなもの?
漆とは、落葉広葉樹のウルシの幹に傷をつけた後、内樹皮で生産される樹脂と木部の樹液で、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料です。一度硬化した後は溶かす溶剤がないほど強力な接着力を持ち、優れた耐熱性や耐酸性を発揮します。日本人はおよそ9,000年も前から漆を使用し、食器や工芸品、建築物などの塗料や接着剤として利用してきました。
ウルシの栽培、漆の採取や精製の技術は連綿と伝承されてきましたが、現在、漆の国内産地は1道1府11県、生産量は2.0トンしかありません(令和3年特用林産物生産統計調査)。漆器づくりに用いられる漆のほとんどが、中国など海外からの輸入なのです。文化庁の方針で2018年度から、国宝・重要文化財建造物の保存修理には原則として国産漆を使用することになりました。しかし、保存修理には年平均約2.2トンの漆が必要といわれ、国産漆の生産拡大が望まれています。

中尊寺金色堂や金閣寺、日光東照宮など日本を代表する歴史的建造物のすべてに漆が使われています。

現在、日本で流通する漆の約91パーセントが外国産漆。国産漆はわずか9パーセントとなっています。


この日、地域おこし協力隊のメンバーとして漆掻きをしていた秋本風香さん。秋本さんは中高生の頃から、ハレの日などに使っていた漆器をかっこいいな、と思っていたそうです。美術大学に進学し、ものづくりを学んではいたものの自分にはあまりものを作り出すセンスがなさそうだと感じていた秋本さんは「ものづくりを支える人になろう」と決意します。そして、ある漆芸家との関わりから漆への興味を深くし、漆に関わる仕事を探そうと考えるようになりました。以前、漆芸家のグループ展に行った際にふと耳に入った「国産漆を使いたいけど、個人製作で使うには高いし、手に入りにくい」という話を思い出し、漆掻きを選んだのでした。
漆掻きを学び始めて3年目の秋本さんに、漆掻きの難しさを聞くと「辺付けはようやく慣れてきた感じがしますが、カマズリ(辺を付けやすくするために、カマで最初に外樹皮を削ること)はまだ何もつかめていない気がします。一番大変で難しい作業です」。
逆に作業で面白いところを聞くと「天候や木の状態によって、漆の出がかなり変わること。またどうにもできなくてモヤモヤするところ」だとのこと。
漆掻きの道具づくりにも興味があるという秋本さんは、協力隊の任期(3年)終了後は漆掻き職人をしながら道具鍛冶もやりたいと思っているそうです。そして将来の希望を、文化財だけでなく漆器工房や個人作家の人たちも、気軽に浄法寺漆を使えるくらい生産量を安定させることだと語ってくれました。

ウルシの森を守るために
苗木を育てる
漆掻きで使うウルシは、果樹と同じように、人が手をかけて管理し育てるものです。漆を採り終えた木は切り倒しますが、その木の切り株や根から出てくる萌芽枝を、下刈りなどの作業をしながら、漆を採取できるようになるまで育てていきます。
漆の増産には技術者(漆掻き職人)の養成と同時に、ウルシ資源の確保が不可欠。ウルシ林を造成するために苗木を安定的に生産する必要があります。そのため、二戸市では地元森林組合の指導のもとでウルシ苗の生産やウルシ林の管理、漆を採り終えた木の伐採などを行う「漆林フォレスター」を地域おこし協力隊として募集し養成しています。
良質な漆を掻き取るには1ヘクタールあたり1,000本から1,200本の植栽が最適とされています。「漆林フォレスター」はじめ漆事業に携わっているすべての人たちが、市が立てた植栽計画に基づいてウルシ林を造成する活動に力を入れ、漆文化保全に取り組んでいます。
今後も二戸市では将来にわたって生産量が減らないよう、技術者の養成やウルシ資源の確保に努めていくということです。
浄法寺町など岩手県北部が国内一の漆生産量を維持できるのは、外国産漆に押されて需要が伸び悩んだ時代にも、地域の人々が漆掻きを守り抜き、伝統の灯を絶やさなかったことが一番大きな理由ではないでしょうか。

種を植え、苗木を植栽してから漆が採れるようになるまで15年から20年。木の太さが一升瓶の底くらい(直径約10センチメートル)あれば、漆を掻けるようになるといいます。

ウルシの果実。種は蝋に包まれた難発芽性で、発芽させるには蝋を取り除き、低温処理をするという手間が必要です。ぬぐった蝋は和ろうそくの材料になります。
浄法寺塗は、天台寺の僧が作り始めたのが起源ともいわれ、原料から製品まで一貫して生産できるというこの土地ならではの産物です。シンプルで堅牢、他の産地の漆器も同様、日々の生活の中で使い続けることのできる「暮らしの器」です。
浄法寺塗の製作工房として、また漆の素晴らしさの発信地としての役割を担う専門漆器製作工房「滴生舎」を訪ねました。かつては二戸市の直営施設でしたが、現在は「浄法寺うるしび合同会社」が漆器製造販売や情報発信業務を受託し、運営を任されています。2002年に同社を設立した塗師(ぬし・漆を塗る技術者)のひとり、馬場真樹子さんにお話を伺いました。



岩手県二戸市にある専門漆器製作工房「滴生舎」。展示販売を行うショールームと漆器製作工房からなり、浄法寺漆器の素晴らしさを伝えるため、ガラス窓越しに工房見学ができます。
浄法寺漆の漆器を
次世代につなげたい
馬場さんは学生時代にワークショップで滴生舎のお椀に出合い、手に収まった時の肌触りの良さに感動して、大学卒業後、新潟から移住してきたのだそうです。
「ここでは樽ごとに誰が何年に掻いた漆かわかるようになっていて、それを使い分けています。自分で調合するのも、とても難しいのですが、でもそこに、山からの恵みをいただいて器に落とし込んでいくんだ、という実感があるのでやりがいがあります。ずっと漆を守ってきた生産地ならではの工程ですからね」と馬場さん。

滴生舎で塗師として活躍中の馬場真樹子さん。東北芸術工科大学在学中に漆芸に興味を持ち、漆を塗り重ねてできる漆器の「生活の器」としての文化や、作り込んで出る艶と使い込んで出る味わい、欠けても修理ができるという特性に惹かれて移住してきました。
浄法寺の漆器づくりは一度途絶えかけたことがあるのだそうです。それを40余年前、復興という形で新たな塗りのスタイルを構築したといいます。伝統的な漆器を残そうというより、「地元の漆を製品にして伝えたい。そしてそれはこれからの食卓にとって、新しいものでありたい」という思いで先輩たちが構築し直したのだ、と馬場さんはいいます。
「浄法寺で漆に携わると、自然が持っている豊かさを生活の中で享受するという感覚を得ることができます。漆器は塗り直すことで末永く使えるのも大きな魅力です。ぜひとも気軽に使って漆器の良さを味わってほしいです」
漆器はそれぞれの産地で、伝統に新たな息吹を加え暮らしを彩ってきたのでしょう。漆器が古来、日本の食文化を支え、今に伝えられる理由がよくわかる気がします。



滴生舎で作られた浄法寺塗の椀と箸。塗りと研磨の工程を何回も繰り返してつくります。
「漆器」ってなに?
木材や布、紙などに漆を塗ってつくられた器が「漆器」です。主な漆器のベースは木材の加工品で、ろくろを使って椀や鉢などをつくる挽物(ひきもの)のほか、木材を互いに寄せて組み立て、重箱などになる指物(さしもの)、薄く加工した板を曲げる曲物(まげもの)などがあり、それぞれ職人によって作られます。その後下地と漆塗りの工程を経て漆器が完成しますが、上塗りをした後、加飾を施す場合はさらに技術が細かく分かれます。加飾の代表的なものに、金粉を撒く蒔絵(まきえ)、貝殻の真珠層を埋め込む螺鈿(らでん)などがあります。伝統的な漆器の産地は、石川県の輪島漆器、山中漆器、福島県の会津漆器、福井県の越前漆器などが有名です。漆器は日本を代表する工芸品として世界に認められる美しさを持ちながら、各地域の風土から生まれ日常的に使われる実用品として、また、漆器の軽さ、口当たりの柔らかさ、手に持った時に食べ物の熱が手に伝わらない等の性質は、和食の作法の成り立ちとも大きくかかわっています。

漆器を長持ち
させる秘訣

- 他の食器と分けて洗いましょう。
- 長時間水に浸け置きは禁物です。
- 汚れ落ちが良いので、ぬるま湯と手で洗えば十分です。
- 油などはうすめた洗剤で軽く洗いましょう。
- 水垢対策に布巾で拭くのが好ましいです。
- 金属のカトラリーは使わないようにしましょう。
- 食洗器、電子レンジはお控えください。
日本の食文化を支える
森林由来の工芸品
ハレの日から日々の暮らしの中で、
使われている食器や道具をいくつか紹介します。 *の工芸品は、伝統工芸品として国の指定を受けています。
鬼おろし
だいこんをはじめとする根菜やりんごなどの果物が、ザクザクとした食感に仕上がる竹で作られたおろし器。金属製に比べて熱の伝導率が低いため素材が熱をもたず、粗くおろせるため水分や食物繊維が損なわれません。目の粗さが鬼の歯を連想させることから命名されたとか。

茶せん
日本の伝統文化である茶道に欠かせない茶せん。その国内シェアトップクラスを誇るのが奈良県生駒市高山町で作られている「高山茶筌*」です。ハチクやクロチク、マダケなどの竹材を小刀で60本から240本に浅く割った後、竹の繊維に沿って手でさいて作っていきます。

樺(かば)細工
樹皮の特長を活かした日本独自の樹皮工芸品。ヤマザクラ類の樹皮で作られる「樺細工*」は、秋田県角館町に伝わる伝統工芸品です。樹皮は滑らかかつ堅牢で、しかも湿気や乾燥に強いことから、古くは薬入れや煙草入れに、近年は茶筒に多く使われています。

曲げわっぱ
スギやヒノキを薄く剥ぎ、曲げ加工を施した曲げわっぱ。調湿効果があり米びつや弁当箱に使われてきました。正式には「曲物」といい各地に伝承されていますが、中でも秋田県大館市の「大館曲げわっぱ*」は厳しい自然に耐えた弾力性のある天然秋田スギだけを利用します。

竹細工
成長が早く、加工性に優れた竹は、古くから暮らしの道具の資材として多用されてきました。全国各地に竹細工の産地はありますが、江戸時代、湯治客に人気を博した大分県の「別府竹細工*」は編み組み技術の高さから、美術工芸品として評価される作品も数多く生まれています。

ろくろ細工
木材をろくろで回しながら削って形づくっていく木工芸です。周辺の森林から良質な木材が入手できた長野県南木曽町では、古くからろくろ細工が盛んでした。「南木曽ろくろ細工*」はトクサという植物で磨くか拭き漆をして、美しい木目を生かした器に仕上げます。

写真提供:鬼おろし 竹虎(株)山岸竹材店 その他(一財)伝統的工芸品産業振興協会
今週のまとめ
日本人は縄文時代から
漆を使用してきました。
国産漆のおよそ8割が
岩手県北部で生産されています。
漆器は塗り直すことで
末永く使える実用品です。
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