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北陸地方 石川県

石川県

海の幸・山の幸で花開いた"加賀百万石"の味覚

北陸地方の中部に位置し、東は富山県と岐阜県、南は福井県に接する石川県。南西から北東に向かって細長い地形をしており、先端は日本海に突き出ている。

県土は、宝達志水町(ほうだつしみずちょう)とかほく市・津幡町を境界にして能登地区・加賀地区で北と南に分かれている。2つの地区は、地形が大きく異なっており、能登地区は標高300m以下の低山地と丘陵地が大部分を占めている。日本海側に面した海岸・外浦(そとうら)は河岸段丘が発達し、それとは対照的に富山湾側の海岸・内浦(うちうら)は、波がおだやかな静かな海岸線が続く。

一方の加賀地区は、標高2702mの白山を最高峰とする山岳地帯と山地帯が発達。河川の浸食や堆積によって広い平野が形成されている。海岸部は南部をのぞいて砂丘海岸が連なり、 日本有数の規模を誇っている。平野部は比較的温和な気候だが、冬は北陸地方特有のしぐれ現象で曇りや雨の日が数日続くことも少なくない。

動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
取材協力店舗:青木クッキングスクール、八兆屋

能登国、加賀国の分立から加賀藩領へ

律令時代、越前国の領域にあった能登地区・加賀地区はやがて分立し、8世紀半ばに能登国、9世紀前期に加賀国が成立する。

近世に入り、江戸幕府による幕藩体制がひかれると能登国・加賀国・越中国(現在の富山県)の一円は加賀藩の領地に。前田利家の死後には、百二十万石におよぶ所領を得たとされており、それが"加賀百万石"ともいわれる由縁になっている。

前田家の居城・金沢城のある金沢市は、加賀藩のお膝元。城下町が築かれ、武家文化が醸成されていった。また、歴代藩主は文化事業に強い関心を寄せており、工芸や茶道などを庶民にも奨励。現在、九谷焼をはじめ輪島塗や金沢箔など10品目が国指定伝統的工芸品となり継承されている。また、茶道・華道をたしなむ人の割合は全国トップレベルである。

海に囲まれた能登地区、平野が広がる加賀地区、さらに城下町として栄えた金沢近郊。歴史も違えば暮らしも異なるそれぞれの地区では、どのような食文化が築かれていったのだろうか。
九谷焼

画像提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」

<能登地区>
魚介を活用した食文化が根づく、海運の要衝

日本海に大きく突き出ていることから、古くから日本海海運の要衝になっていた能登地区。現在の志賀町にある福浦港は、奈良時代から平安時代にかけて、中国大陸の渤海国と交易を重ね、様々な文化が流入したと伝わっている。

外浦では底びき網漁業、釣り漁業、海女漁などの漁法が発達。内浦では定置網によるブリ漁が盛んである。そのため、沿岸部では海の幸を中心とした食文化が根づいており、近海魚や貝、海藻などが日常的に食卓に上がる。積雪の多い内陸部では、麦、小豆が栽培されてきた。麦飯を日常食とし、秋は「里芋飯」や「大根飯」を食べる。山の畑では小麦が栽培され、うどんやそうめんに加工される。
能登
能登を代表する調味料が魚醤の「いしる」である。塩漬けした魚を1年以上、発酵・熟成してつくられる。「魚汁(いよしる)」が語源とされるほか、「塩汁(しおしる)」や「余汁(よしる)」とも。外浦では主にイワシの身を、内浦ではイカの肝臓が原料にされ、地域による味の違いが楽しめるのもいしるの魅力である。魚の旨味が凝縮されたいしるは、秋田県の「しょっつる」、香川県の「いかなご醤油」と並ぶ「日本三大魚醤」としても有名。

大正時代に発行された「日本水産製品誌」には能登のいしるについての記載があり、すでに産業になっていたことがうかがえる。交通の不便な時代、魚がとれない山村では魚醤を使った鍋物「いしる鍋」がごちそうだったという。
いしる鍋

<加賀地区>
一級河川が生んだ県下最大の穀倉地帯

石川県の中・南部に広がる広大な加賀平野。石川県最大の一級河川「手取川」が生みだした扇状地の平野である。面積は約12000ha、金沢市、小松市、加賀市など8市町村を内包する。かつては、水はけが良すぎて米がつくれない土地だったが、江戸末期から明治初期にかけて治水家の枝権兵衛(えだごんべい)が7つの用水路を設置。やがて、加賀平野は県を誇る穀倉地帯へと発展。"7ヶ用水の父"枝権兵衛の名は現代でも語り継がれている。現在、県内全域で米が生産されているが、作付面積については加賀地区の白山市や加賀市、小松市などが多くを担っている。

穀倉地帯としての歴史を歩んできた加賀地区ならではの食習慣が「押しずし」である。米がまだ贅沢品だった時代、ハレの日やお祭りの日に食べられる「押しずし」は、庶民のごちそうであった。
押しずし
毎年8月に加賀市で行われる伝統行事に「ぐず焼きまつり」がある。白足袋姿の若衆が大きな「ゴリ」(カジカ科、ハゼ科の小さな魚)のはりぼてをかつぎ、宿場町を練り歩く。ゴリのはりぼては厄災を意味しており、祭りの最後に焼かれ厄が払われる。この祭りに欠かせないのが「柿の葉ずし」である。柿の葉、サバ、すし飯などをすし枠に重ね入れ、重しをして寝かせた「押しずし」の一種。同じく熊笹を使った「笹ずし」も加賀地区の伝統食として各地に根づいている。
押しずし

<金沢近郊>
藩政時代に発展した、武家料理の数々

加賀藩のお膝元として発展した金沢市。江戸時代中期には、江戸・京都・大阪に次ぐ人口を誇った。城下町だった風情はいまもなお残っており、県都金沢のシンボルともいえる金沢城をはじめ、加賀藩によって造成された庭園「兼六園」や茶屋街跡、武家屋敷跡といった文化財が市内に点在している。

そういった歴史的背景から、金沢市は独自の文化が形成されてきた。食文化においてもそれは明瞭で、各地から集まった魚介や農作物が武家料理の発展を後押しする。
仁淀川
鴨肉や鶏肉に小麦粉をまぶして煮こんだ「じぶ煮」も代表的な武家料理。口が広く底が浅い専用の漆器で食べる様式は、格式の高さのあらわれでもある。
かつおのたたき
同じく武家料理の「はす蒸し」には、レンコンが使われるが、もともと金沢城中で鑑賞用に栽培されていたレンコンが食用に用いられたと伝わっている。また、とれたてがいち早く加賀藩に献上された能登の寒ブリと、加賀特産のかぶらを使った「かぶらずし」は正月に欠かせない行事食だ。
はす蒸し
「鯛の唐蒸し」も、城下町にふさわしい行事食の一つである。これは、タイのおなかにたっぷりおからを詰めて、丁寧に蒸しあげたもの。2匹のタイを腹合わせにした「にらみ鯛」のかたちで盛り付けられる。おもに婚礼の席で供されるもので、嫁方が持参したタイを婿方が調理する習わしだった。大きな2匹のタイが並ぶ様子に、宴に招かれた客人たちの注目と喝采を浴びたに違いない。
鯛の唐蒸し
能登国と加賀国という、別々の歴史を歩んできた2つの地域が藩政によって一つの文化として交わり、様々な様式や習慣が継承されてきた石川県。先人たちの残した"加賀百万石"の味覚を通じて、ありし日を追体験するのも楽しい。
石川県

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