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東北地方 岩手県

岩手県

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

“山・川・海”、本州最大の地に、異なる多彩な食文化

岩手県は本州の北東部に位置し、東西約122キロメートル、南北約189キロメートルと南北に長い楕円の形をしている。面積は北海道に次ぎ、四国四県に匹敵する広さを誇り、本州では最大。
その広大な県の西側には奥羽山脈があり、東側には北上高地。この二つの山系の間を北上川が南北に流れ、流域には平野が広がる。沿岸部には、海食崖や海岸段丘が発達した隆起海岸や、北上高地の裾野が沈んでできたリアス式海岸。このように、岩手県には“山・川・海”という恵まれた自然環境が揃っている。地理的条件が異なれば、もちろん気候も違う。その結果、それぞれの地域ごとに大きな特徴のある風土や食文化が育まれたのである。
岩手県では、その多彩な食文化の保存・継承に力を入れている。長年受け継がれてきた地域の食文化や郷土料理等に関する知識・技術について、情報発信と次代への伝承ができる人材を「岩手県食の匠」として認定。郷土料理を後世に伝えつつ地域の活性化を促進する活動を、県を挙げておこなっている。

取材協力:岩手県農林水産部農業普及技術課

米を補う「粉食文化」、武家文化を色濃く残す「もち食文化」

岩手県の沿岸部では、6~8月に発生する冷たく湿った東寄りの風(やませ)によりイネの受粉が阻害され、米の収穫量が落ちるという現象が起こることがある。今でこそ全国有数の米どころであるが、実は岩手県の米作りの歴史は、冷害との長い戦いの歴史でもあった

寒さが厳しく安定した米作りが難しい地域では、米が凶作でも困らないように、アワ、ヒエ、キビいった雑穀類や、小麦、大豆、ソバなどを栽培するようになる。それらを粉にして料理に活用したことで、岩手県ではひろく「粉食文化」が広まった。

これに対し県南の温暖な地域では、米は比較的豊富に収穫された。そこに江戸時代の武家文化の影響を受けたことで、独自の「もち食文化」が発達することになったのである。
雑穀

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

それでは、この大きな二つの食文化を中心に、岩手県を県北地域県央地域県南地域奥羽山系・北上山系地域三陸沿岸地域の5つの地域にわけ、それぞれの風土の違いと食文化をご紹介しよう。

<県北地域>
厳しい環境を補う雑穀文化

岩手県北部は、岩手の北の玄関口。世界遺産に登録された御所野遺跡などの歴史的遺産がある地域である。また沿岸部の久慈市はドラマ「あまちゃん」の舞台になったことで一躍有名に。

昔からこのあたりは特に寒さが厳しく、東からの冷風である「やませ」によって、米が育ちにくい冷涼な地域であった。そのため米の不足を補えるよう、厳しい環境でも育つヒエ、アワ、ソバ、豆など雑穀が生産され、それらを使った料理が多く生み出された。

その代表的な料理のひとつが「豆しとぎ」である。煮て潰した青大豆に米粉と砂糖を入れて練った、青大豆の緑が美しい生菓子で、「しとぎ」は「すりつぶす」という意味。秋の「庭じまい」の時や、山の神様へのお供え物として、また春にはうぐいすを呼ぶ食べ物として作られた。
御所野縄文公園

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

また「まめぶ汁」は、小麦粉で作った団子の中にくるみや黒砂糖を入れ、野菜と一緒に醤油味の汁で煮るという甘さとしょっぱさが同時に楽しめる一品で、ドラマ「あまちゃん」にも登場し、観光客にも人気が出た。
まめぶ汁

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

そして由来が面白いのは「柳ばっと」だ。江戸時代に当地を治めていた南部藩は、細切りそばを贅沢品として、農民がそばを食すことを禁止していた時期があった。人々はそば粉で柳の形の団子を作り「これはそばではない、柳ばっとである」と言って、そばを食し続けたという。名前の「柳ばっと」の「ばっと」は、禁令を意味する「法度」からきているとも。庶民のそばを食べたい強い気持ちが伝わるエピソードである。
柳ばっと

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

<県央地域>
米と小麦を中心に種類豊富な「しとねもの」文化

県庁所在地である盛岡市を中心に広がる県央地域は、チャグチャグ馬コやさんさ踊りなどの文化的行事が有名である。南部片富士と呼ばれる岩手山の裾野から広がる北上川流域には平坦な土地が多く、水田地帯が広がっている。しかし昔は米作だけでは食生活が安定せず、大麦、小麦、ソバなども生産されていた。

それらの穀物は粉にされ、こねることでさまざまな種類の食事やお菓子に形を変えた。岩手の言葉で「こねる」ことを「しとねる」と言う。そこから、このような料理は「しとねもの」と呼ばれ、多種多様な「しとねもの」が人々の生活を彩った。
チャグチャグ馬コ

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

中でも代表的な料理は「ひっつみ」だろう。水でこねた小麦粉を薄くのばし手でちぎったものを、野菜や鶏肉などを入れた汁で煮る。このあたりでは「手でちぎる」ことを「ひっつまむ」といい、そこから転じたと言われている。今では県全域で食されており、入れる具は季節や地域、家庭によってさまざま。山間地域では川ガニや川魚、沿岸地域ではサンマのすり身などを具にする。また現在では、カレー味や洋風、中華風、デザート風など色々な味に現代風にアレンジされ、幅広い年代にひろく愛されている。「ひっつみ」はもはや岩手の「県民食」と言っていいかもしれない。
ひっつみ

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

紫波町の細川栄子さんは「ひっつみ」の食の匠。農業のかたわら、産地直売所に併設するレストランで、地元の食材を使った郷土料理を提供している。冬は体が温まる「ひっつみ」が人気だ。

「ひっつみは古くから日常食として、ご飯が足りない時などに具沢山の汁物として作られていました。昔は、保存していた米が無くなってくる4月から7月になると小麦を食べて、秋の新米までつないだんです。」細川さんは、子供にも郷土料理を教える機会が多いそう。「家に帰ってから、家族で一緒に作ってみんなで食べて、おじいちゃんおばあちゃんの昔話を聞くきっかけになるといいですね。」
細川栄子もち姫消費者交流会

画像提供元:岩手県農林水産部農業普及技術課

また、「しとねもの」でもうひとつ忘れてはならないのが「きりせんしょ」である。きりせんしょは特に桃の節句のときによく作られた郷土菓子で、昔は母と娘が一緒に作ることで、自然に作り方が伝わっていた郷土料理だ。

「きりせんしょ」の食の匠である、紫波町にお住まいの細川玲子さんは、子供教室や学校の授業などさまざまな場面で郷土料理の講習をおこなっている。

「昔は米や砂糖が貴重だったから、きりせんしょはちょっと格が上というか、冠婚葬祭の集まりなんかの時に食べていたんです。」
きりせんしょ

画像提供元:岩手県農林水産部農業普及技術課

細川さんが幼い頃は、家でくず米を臼でついて粉にし、料理に使っていたという。米を無駄にせず大切に食す文化が盛岡地方には根付いているのである。「だから粉をこねて作る『しとねもの』が多いんでしょうね。今でもこの地域にはお団子屋さんがたくさんあって、きりせんしょとかお団子とか、粉を練ったお菓子がたくさん売られています。」

現在でも普段のおやつとして愛されているきりせんしょだが、近年はあまり家で作る人はおらず、お店で買うことがほとんどとか。「昔は一緒に住んでいるおばあちゃんに教えてもらったりして自然に伝承されましたが、今は核家族でなかなか作り方を知る機会がないのでしょう。これからは若い子育て世代の方にもぜひ興味をもってもらいたいです。」
「買う」から「作る」へ、郷土料理を継承する試みは続いている。
細川玲子花まんじゅうづくり

画像提供元:岩手県農林水産部農業普及技術課

<県南地域>
米に恵まれた地域の、400年続く独特のもち食文化

中尊寺金色堂がある平泉など、歴史と文化の香り漂う県南地域。このあたりは、比較的温暖な気候と平地が広がるその地形のため、古くから米が安定して栽培されていた。

江戸時代、一関や平泉一帯を治めていた仙台藩の命により、毎月1日と15日にはもちをついて神仏に供え、平安息災を祈る習慣が生まれる。それをきっかけにこの地ではもちを食すことが定着し、季節の節目や行事ごとに年間60回以上ももちを食べる「もち暦」が作られるまでになった。

一関のもち食文化を代表するものと言えば、「もち本膳」だろう。もともと「本膳料理」とは、室町時代の武家の作法により、祝いの席で振る舞われる儀礼食であるが、仙台藩祖伊達政宗はこの作法にのっとりながら、もちを主体にした膳「もち本膳」という儀礼食を作り出した。

「もち本膳」の席では、「おとりもち役」と呼ばれる仕切り役が口上を述べながら進行する。食べ方には細かい作法があり、「おとりもち役」の進行に従って食べるのが決まりである。膳に並ぶのは、あんこもち、雑煮、料理もち、大根おろし、たくあんなど。料理もちにはさまざまな種類があり、「ずんだ」「じゅうね」「くるみ」「ふすま」「しょうが」をはじめ、絡める具材はバリエーション豊富。今では300種類以上とも言われる。
餅料理

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

このようなもち食文化を保存継承するため、2010年には「一関もち食推進会議」が設立された。もち食文化を学ぶセミナーや、全国各地のもちが集まる「全国ご当地もちサミット」(のちに「全国もちフェスティバル」に改称)を開催するなど、もち文化の認知拡大に貢献している。

このような活動の成果もあり、独自の発展を遂げたもち食文化は高く評価され、2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」の中にも、この一関のもち食文化が含まれている。

<奥羽・北上山系地域>
山の幸を活かした保存食文化

奥羽山脈や北上高地などの山間部は、多雪のため米や麦の収穫が難しいが、春は山菜、秋はきのこ、川魚など山の幸の宝庫である。この地域では保存食が発達しており、塩蔵や乾燥の山菜、凍み大根や凍み豆腐などをふんだんに用いた食事が作られるようになった。特にゼンマイは山菜の中でも最高のものとされていて、ゼンマイを切らずに煮る「ぜんまいの一本煮」は大事な行事の際に作られた。
山間部

<三陸沿岸地域>
三陸沖の豊かな海の恵みと、内陸の人気料理

三陸沿岸は、浄土ヶ浜や碁石海岸といった特徴ある美しい地形を擁し、その海岸線には三陸鉄道が走る。また親潮と黒潮がぶつかる三陸沖は、豊富な魚介類や海藻が一年中水揚げされ、料理もそれらを活用したものが多い。

「さんまのすり身汁」は、サンマをすり身にし団子状にしたものと野菜を、味噌や醤油で味付けしたもの。サンマの出回る秋の味覚として愛されている。
浄土ヶ浜

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

また岩手県は、秋鮭の水揚げ量が本州一。鮭はエラ以外のすべてを食べることができる魚であり、鮭が豊富だった頃には丸ごと一匹購入し、各家庭でそれぞれの部位を使った料理をしていた。その食べ方の中でも「氷頭なます」は、海からの恵みを余すところなく食し、自然への敬意を感じ取ることができる一品。

海藻の種類も豊富で、松の葉に形状が似ていることから「松藻」と書かれることもある「マツモ」は、主に味噌汁や酢の物で食される。また若い昆布をボイルして細くカットし、板状にして乾燥させたものを使う「すき昆布の煮物」は、小女子、身欠きにしん、ほたて等の海産物と組み合わせ、各家庭の味が作り出されている。 こちらは生産地のみならず、県内全域で日常的に家庭料理として食されており、ひろく地域に根付いた料理だ。
津軽石川サケ漁

画像提供元:公益財団法人岩手県観光協会

岩手県では、魚介類や山の幸の豊かな食材を活用する半面、冷害により不足しがちな主食を、工夫しながら大切に食してきた。今の時代に必要ともいえる「無駄なく大切に食す」ということを、岩手の郷土料理でぜひ実感してもらいたい。

岩手県の主な郷土料理

  • ひっつみ

    ひっつみ/ひっつみ汁

    県央地域は北上川流域で平坦な土地が多く、古くから水田地帯がひらけており米の生産...

  • きりせんしょ

    きりせんしょ

    「きりせんしょ」の名前の由来は、昔は山椒を刻んで浸した汁で粉を練ったことから...

  • まめぶ汁

    まめぶ汁

    「まめぶ汁」とは煮干しや昆布だしが利いた醤油系の汁に、身近な野菜や焼き豆腐など...

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