四国地方 香川県

四季折々の農業とため池、水産業が育んだ讃岐の食文化
面積のほとんどを山が占める四国において、香川県は県土の約半分に肥沃な讃岐平野が広がる。自然災害の少ない温暖な気候も稲作や麦作に好適で、古くは弥生時代から農耕文化が発展してきた。
取材協力場所:キッス調理技術専門学校、さぬき麺業
暮らしの知恵と工夫で生き抜いた香川の先人たち
雨が少なく、川から海までの距離も短いため、かつては水不足が深刻だったという。香川の先人たちは、限られた水でどのように農業を営み、食文化を築いてきたのだろうか。香川短期大学生活文化学科食物栄養専攻教授の次田一代さんと、香川県栄養教諭・学校栄養職員研究会会長の池内夕起子さん、香川県生活研究グループ連絡協議会副会長の佃俊子さんにお話をうかがった。
丸亀平野の上流には、周囲約20kmに及ぶ巨大な「満濃池」がある。8世紀に創築された灌漑用のため池だ。県内にはこのようなため池が数多くつくられ、農業はその水を大切に使って営まれていたという。江戸時代に各藩が新田開発に取り組み始めると、讃岐平野にはさらに多くのため池がつくられていった。このため池が稲を育てるとともに、農家の暮らしを育んできた。ため池でとれるフナ、ドジョウ、コイ、ウナギ、エビ、モロコは貴重な食料で、日常のお菜の供給源となっていた。
県土の面積は日本一小さい。当然ながら農地も限られるが、この不利な条件も暮らしの知恵や工夫を生み、香川の農業に発展をもたらした。例えば、農地を有効活用するために、昔はよく水田の畦にそら豆を植えていた。乾燥したそら豆を煎り、煮立てた醤油や砂糖でつくった調味液に入れて一晩味を染み込ませた「しょうゆ豆」は、甘みが強く柔らかいそら豆と、各地域でつくられていた醤油が合わさってできた逸品だ。農家の行事や集落の祭りなど何ぞごと(特別の日)の際には、酒の肴として、また保存できるので、常の日にもお菜として重宝がられた。
さらに、どの家庭も屋敷近くの田を仕切って菜園をつくり、一年中の野菜をつくっていた。これに代表される作物が、高菜の一種である「まんば」。葉をとっても次々に葉を出すことから、数の多さを表す万や百に由来して東讃地域では「まんば」、西讃地域では「ひゃっか」という。これをゆでて細切りにし、油揚げや豆腐と一緒に油で炒め、いりこ出汁と醤油などで味付けした料理は、東讃地域では豆腐を炒めた料理の「けんちん」がなまって「まんばのけんちゃん」、西讃地域では豆腐を雪に見立てて「ひゃっかの雪花」と呼ばれ、親しまれている。
うどんは身近な素材の組み合わせから生まれた県民食
瀬戸内海は「天然の養殖場」といわれる海産物の宝庫である。小ぶりだが、速い潮の流れに鍛えられて身が引き締まった魚がとれる。伊吹島のカタクチイワシや、イサキ科の地魚「セトダイ」、タイ、イカ、エビなど種類も豊富だ。
平野部での農業と、沿岸部での漁業。こうした地域資源を最大に生かした料理が「うどん」である。冬も温暖で麦作に適していること、遠浅の海岸で塩がつくられること、瀬戸内海でカタクチイワシがとれ、出汁をとるいりことして利用されてきたこと、県内全域で香りのよい葉ねぎが栽培されること、そして小豆島では醤油づくりが盛んであること。うどんに必要な食材が全て身近に手に入る。まさに、香川の気候風土が生んだ県民食である。
今回は県を東讃地域、中讃地域、西讃地域、島しょ部の4つのエリアに分けて、それぞれの食文化を紹介する。
<東讃地域>
古くから受け継がれる伝統菓子やふるまい寿司
旧讃岐国の高松藩の領土だった東讃地域では、高松藩の五代藩主・松平頼恭の命により、江戸時代からさとうきびづくりがおこなわれてきた。温暖小雨の気候が栽培に適し、高品質の三盆糖ができる。現在は、東かがわ市の引田周辺の限られた土地でしか栽培されていないが、ここから生まれた口溶けの良い和三盆は、現在も土産として人気が高い。
徳島県鳴門市との県境にある引田の「うずまきもち」も古くから受け継がれてきた伝統菓子だ。ピンク色の柔らかい餅でこしあんを巻いて鳴門の渦を表現した菓子で、江戸時代に引田の漁師が鳴門との漁場争いに破れた際、鳴門への思いを込めてつくったといわれている。現在は、ひな節句の祝いの日を華やかに彩る。
また、東讃地域は東、北、西の三方を海に囲まれており、沿岸部では船舶漁業や養殖業が盛んである。なかでも、1928年に日本で初めて海水養殖を成功させた引田の安戸池はハマチの養殖で有名。ここで養殖されるブランド魚の「ひけた鰤」は、脂がのって歯応えが抜群である。
讃岐山麓からひらけた平地では農業が盛んで、農事に由来する郷土料理も数々存在する。収穫期の始まりと終わりには、ふるまい料理として「カンカンずし」がつくられていた。大きな長方形の木枠に白米を詰め、その上に酢でしめたサワラをのせ、上蓋をのせる。くさび形の栓を木づちでカーン、カーンと打ち込むことからこの名前がついた。かつては、この木枠が嫁入り道具の一つだったという。
<中讃地域>
農村のため池文化から生まれた季節の料理
讃岐平野が広がる中讃地域は、川の水量に乏しく、かつては数多くのため池で農業用水を確保していた。稲刈りが終わる秋から冬にかけては、池の水を抜く「池干し」がおこなわれ、ため池に放流されて育ったコイやフナなどの淡水魚が豊富にとれる。6~7月頃は、田植え前の川ざらいで獲れたドジョウでつくる「どじょう汁」が美味しくなる季節だ。ドジョウと野菜と太めのうどんを入れて大鍋で煮込み、集落や寄り合いで集まって食べるのがならわし。夏バテを防ぐスタミナ食だ。
米の裏作では小麦が栽培されていた。農家では、小麦粉を水で練ったうどんや団子は季節の変わり目や祝い事でふるまわれるハレ食だった。小麦の収穫と田植えが終わった半夏(はんげ・7月2日ごろ)になると、できたばかりの新しい小麦粉で「はげ団子」をつくる。讃岐山麓から田植えを手伝いに来た人たちをねぎらってこれを振る舞い、半日ゆっくりと体を休めていたという。上にあんをまぶし、小麦の香りを愉しみながらいただく。
<西讃地域>
三豊平野と瀬戸内海の恵みをふんだんに
西端に位置する西讃地域は、三方を山に囲まれ、山麓から海に向かって三豊平野が広がる。三豊平野は温暖で肥沃な土壌に恵まれ、自然災害も少ないため、農業が非常に盛んである。米のほか、裏作には麦やブロッコリー、レタスなどの野菜を栽培している。
北西部は瀬戸内海に面している。観音寺市の西方、燧灘(ひうちなだ)に浮かぶ伊吹島は、カタクチイワシの好漁場で、江戸時代後期いりこ漁がおこなわれている。
漁獲されたカタクチイワシは、沿岸に運ばれ、船から直接ホースで加工工場に送られる。とれた30分後にはいりこを蒸しあげるので、内臓をとらずともえぐみがなく、美味しい出汁がとれるという。讃岐うどんには欠かせない「伊吹いりこ」だが、「いりこ飯」という食べ方もある。米に、頭と内臓をとり除いたいりこと季節の野菜を入れて炊き込んだご飯で、出汁の香りや旨味を堪能できる。
三豊市豊中町の宇賀神社では、春と秋の大祭で、活きの良い芝エビを使った「えびみそ汁」を振る舞う。頭から尻尾まで包丁で叩き、コクを出すために米のとぎ汁まで捨てずに使う。昔の人の、自然の恵みに感謝する気持ちが息づく郷土料理だ。
<島しょ部>
小豆島をはじめとする島々が生んだ独自の農村文化
瀬戸内海に浮かぶ島々では、春はサワラ、マダイ、夏はハモ、小エビ、秋はマダコ、アナゴ、冬はヒラメなど、さまざまな種類の魚介類がとれる。また、春の潮干狩りでは貝類が、夏にはイギスやテングサなどの海藻類も豊富だ。
小豆島では、醤油やそうめんづくりが古くからおこなわれ、農事からさまざまな食文化が生まれている。江戸時代には、農村歌舞伎が農民の娯楽だった。観客は、家族や親戚で分け合って食べる「わりご弁当」を持参する。
これは、おかもちのような木箱に大小の引き出しが入った弁当箱に、20~30人分の具材やご飯を詰めたもの。現在も10月上旬になると「中山農村歌舞伎」が開催され、わりご弁当を持ち寄って食べるという。
島々では麦やさつまいもがよくとれるため、少しの米でもお腹いっぱいに食べられるように米を茶で炊いてのばし、さつまいもや豆を入れた「茶がゆ」が親しまれている。丸亀市本島など大小28の島々からなる塩飽諸島では、香川の塩や反物、米との交換で高知県から仕入れた「碁石茶」で茶がゆをつくっていたという。二段階発酵させた茶葉なので、深い渋みと酸味があり、調味料がなくても美味しくいただける。
海の幸に恵まれ、知恵と工夫で豊かに農業を営んできた香川県。現在もうどんが県民食として日常で親しまれていることからも、人々の郷土への愛着の深さを感じ取れる。
香川県の主な郷土料理
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しょうゆ豆
乾燥させたそら豆を煎って、熱いうちに醤油、砂糖と唐辛子を混ぜた調味液に漬け込...
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いりこ飯
「いりこ飯」は、いりこと呼ばれる煮干しを使った炊き込みごはん。瀬戸内海では、...
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えびみそ汁
瀬戸内海では、数多くのエビが豊富にとれる。エビの中でも10cm前後までしか成長し...
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