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九州地方 鹿児島県

鹿児島県

南方や大陸の文化が融合した、鹿児島ならではの郷土料理

九州南部に位置し、薩摩半島や大隅(おおすみ)半島、さらに複数の離島から構成されている鹿児島県。太平洋と東シナ海に囲まれており、県土は南北約600kmに展開する。2,643kmの海岸線は、漁業が営まれるほか、マリンスポットとしても人気を集めている。

中央部を「霧島山(きりしまやま)」「桜島」「開聞岳(かいもんだけ)」などの霧島火山帯が縦断し、11の活火山が分布。そのため、ほとんどの地域が火山噴出物のシラス層で厚く覆われている。鹿児島市街地から、鹿児島湾(錦江湾)を挟んだ東の方角へ目を向けると、桜島が雄大にそびえる。もくもくと煙をあげる桜島は、地元民にとって日常の風景になっている。

動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
取材協力店舗:東酒造、さつま路

海上交通の要衝として、さまざまな文化が流入

本土最南端という地理的特性を生かして、古くから中国や朝鮮、東南アジアなどと交易を重ねてきた。海外貿易は藩の財政を支え、南さつま市の坊津(ぼうのつ)地区や指宿(いぶすき)市の山川地区、南大隅町(みなみおおすみちょう)の根占(ねじめ)地区などの沿岸部は、中世以降も貿易の拠点が置かれていた。

南方や大陸との交易によって、砂糖きび、甘藷(かんしょ)、落花生、孟宗竹(もうそうちく)などが伝来。やがて、これらを活用した料理がつくられるようになり、鹿児島県の食文化として定着していった。名物として知られる「さつま揚げ(つけ揚げ)」は、沖縄の「チキアギー」にルーツをもつといわれている。県内全域に伝わる豚肉料理は、中国でも類似したものが食べられている。また、律令時代には薩摩国・大隅国の国府が置かれ、都の文化が流入。そこへ鹿児島県独自の文化が融合し、多様な食文化が形成されていった。

これらのエッセンスは薩摩地域姶良(あいら)・伊佐地域大隅地域薩南諸島地域などの郷土料理にみてとれる。
鹿児島県

<薩摩地域>
島津家の余ったごちそうから生まれた酒ずし

鹿児島市を中心に枕崎(まくらざき)市、南さつま市、南九州市などで構成される薩摩地域。本州の文化圏や大陸文化、南方文化が入り混じり、古くから鹿児島県の中心地として栄えてきた。

県庁所在地の鹿児島市は、かつて島津氏が治める薩摩藩の城下町が置かれ、市内には明治維新に活躍した西郷隆盛や大久保利通などのゆかりの地が点在する。市街中心部にあたる天文館は、江戸時代に天文観測所が置かれていた場所。現在は、南九州最大の繁華街として知られ、地元民から観光客まで、毎日多くの人たちでにぎわっている。また、食の集積地になっており、そこかしこの飲食店で「黒豚」や「黒牛」といった特産品が楽しめる。

薩摩地域北部は、海の幸が豊富な地域である。生産量日本一を誇る長島町(ながしまちょう)の養殖ブリや郷土料理「さつまえび雑煮」に使われる出水市(いずみし)のクマエビなどが味わえる。
西郷隆盛
「酒ずし」は、鹿児島市をはじめ県内全域に広く伝わっている祝い食。乳酸発酵によって旨味を引き出す「なれずし」の一種で、ごはんの上にタイやエビ、イカ、「さつま揚げ」などの海の幸とふきやたけのこ、しいたけなどの春の具材を交互に重ねていく豪勢な料理である。

この料理の最大の特徴は、ごはんに「灰持酒(あくもちざけ)」がたっぷり混ぜこまれていること。灰持酒は、もろみに灰を混ぜてつくられた清酒で、独特の甘みや香りが加わるほか、すしの発酵も促してくれる。
酒ずし
「酒ずし」の由来は藩主の島津家にあるとされている。島津家の宴会で余ったごちそうに飲み残しの酒をかけて桶に入れておいたら、翌日、桶からは美味しそうな芳香が漂っていた。以来、上流階級のごちそうとして広がり、現代へと受け継がれた。地元民のなかには、食べる直前に酒をさらにつぎ足す強者もいたのだとか。
酒ずし

<姶良・伊佐地域>
庶民たちを救った、江戸時代の救荒食・からいも

県北央部に位置する姶良・伊佐地域は、日本で最初に国立公園に指定された霧島をはじめとする景勝地や多彩な温泉群、姶良市にある日本一の大樹「蒲生(かもう)の大クス」など、観光資源が充実している。

地勢や気象などの立地条件を生かし、水稲や茶、野菜、肉牛などの生産も盛んである。米の生産量は県全体の約3割を占めており、県内外へ出荷される。
蒲生の大クス

鹿児島県が生産量全国1位を誇るのがさつまいもだ。県内各地で栽培されており、伊佐市は"焼酎発祥の地"ともいわれている。琉球を経由して中国から伝わってきたことに由来して、地元民の間では「から(唐)いも」や「かいも」の名で呼ばれる。

「からいも」は、江戸時代はじめに坊津地区などにもたらされていたが、元禄時代に種子島に普及、ついで揖宿(いぶすき)郡へと伝わった。

火山灰の台地は「からいも」の栽培に適しており、たくさんの収量が見込める。課せられる税も少ないため、貧しい庶民の主食あるいは救荒作物として、またたく間に浸透していった。

高い生産量からもわかるとおり、鹿児島県ではいまも「からいも」が食べられている。「からいも」を米と炊いた「からいもごはん」や,蒸したもち米と「からいも」を練ってつくる郷土菓子「ねったぼ」などがあり、このような多彩なレパートリーが古くから親しまれてきたなによりの証拠だ。
ねったぼ

<大隅地域>
桜島大根と養殖ブリが織りなす、郷土の味覚

鹿児島湾の南東に位置する大隅半島。半島の東西は、志布志(しぶし)湾と鹿児島湾に接する。鹿児島湾に浮かぶ桜島とは、大正時代に起こった大噴火により陸続きになった。

地域内の地形は変化に富んでいる。曽於(そお)地区は、沿岸平野地と起伏のある台地、耕地などで形成。肝属(きもつき)地区は、北西部の高隈(たかくま)山系と東部の国見山系に挟まれており、中央部には水田地帯とシラス台地が広がっている。西南暖地に位置しているため、気温は比較的温暖。長い日照時間は、農作物の生育にも最適だ。さつまいも、いちご、みかん、マンゴー、白菜、肉牛など品目は幅広く、なかでも黒豚や黒毛和牛を中心とする畜産は全国有数の供給基地になっている。
溝の口洞窟

一帯の海域では、アジ・サバ・イワシなどを対象とするまき網漁業を中心に、マダイの一本釣漁業やヒラメの底びき網漁が営まれている。また、寒ブリやバショウカジキ、ハモ漁も盛んだ。

近年は、垂水(たるみず)市や鹿屋(かのや)市、南大隅町などの養殖ブリ,カンパチが有名。1950年代、垂水市では県内でもいちはやく養殖業がはじまった。地元の牛根漁業協同組合が育てたブリは「ぶり大将」としてブランディングされている。

この地域で親しまれているのが「ぶり大根」だ。使う大根は、桜島の特産である「桜島大根」。世界最大種の大根で、大きなもので重量30kg、直径40、50cmにまで成長する。大きな見た目に反して、柔らかな肉質で繊細な味わい。ブリの旨味と大根の甘みが混然一体となった、冬のごちそうである。また、最近では、桜島大根に含まれる成分に血管機能改善の効果があると発表されたことから、健康食材としても注目されている。
ぶり大根

<薩南諸島地域>
薩摩藩の役人にも振る舞われた"殿様料理"

鹿児島県は、多くの有人離島を擁する全国屈指の離島県である。南北約600kmの県域には26もの島々が展開。薩南諸島とは、南西諸島の北半部に属する大隅諸島やトカラ列島、奄美群島、さらに屋久島や種子島などを含めた総称である。これらの島々は、温帯から亜熱帯まで自然環境も様々。各島で個性豊かな文化が育まれてきた。

奄美大島は、奄美群島のなかで最大の島。拠点都市の奄美市には、奄美空港や名瀬港(なぜこう)が設けられ、群島の政治、経済、文化の中心地となっている。
奄美諸島
薩摩藩では武士の士気を高めるために、闘鶏を催す風習があり、そこから鶏肉を食べる文化が定着。奄美市笠利町(かさりちょう)地区を発祥とする「鶏飯(けいはん)」は、茶碗に盛ったごはんに、ほぐした鶏肉や錦糸卵、しいたけ、海苔などを乗せて、鶏出汁をかけてお茶漬けのようなスタイルで食す。薩摩藩の役人に振る舞われていたこともあり、別名"殿様料理"とも呼ばれている。

奄美大島以外でも浸透しており、県内各地の学校給食でも提供されるまでに。観光客にも人気を博し、今や鹿児島県を代表する郷土料理だ。
鶏飯
海上の交通網によって、南方や大陸と早くから交流のあった鹿児島県。内外の生活様式や文化が融合することで、世界でただ一つの食文化が醸成された。そこから生まれた郷土料理の数々は、日常食として、また観光資源としてこれからも受け継がれていくことだろう。
桜島

鹿児島県の主な郷土料理

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