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長野県

海のない土地で育まれた山川の幸を食べる術

標高3000m級の山々が連なり“日本の屋根”と呼ばれる長野県。南北に長い形をしているため同じ県内でも気候風土が大きく異なり、各地域で独自の食材や食文化が形成されてきた。

県土の8割が山地という長野県には海がない。代わりに、レタスをはじめとした高原野菜や清らかな雪解け水で育つ川魚、りんごやぶどうなどの果物、全国に知られる信州蕎麦などの山川の幸に恵まれる。その多様な郷土料理文化を後世に伝えようと、県の取り組みも盛んだ。

動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」

取材協力場所:日本料理ゆ庵

地域ごとに独自に発展していった長野県の食文化

長野県は北信地方東信地方中信地方南信地方の4つの地域に分けられ、それぞれの地域ごとに食文化が育まれてきた。気候の違いは冬に積もる雪の深さに現れる。北部は季節風の影響で雪の日が多く、中部や南部の平地は季節風が山を越えてくるため、空気が乾燥し、晴れの日が続く。山が多いため標高差が激しく、地元の人々は「谷ごとに文化が異なる」と言う。新潟県や富山県など8つの県と接しているため、北信の飯山は新潟県上越市、中信の木曽は岐阜県の恵那市や中津川市など、隣接する他県からの影響も混ざり合う。江戸時代、長野県は11の藩に分かれていたため、地域単位で独自の文化が育まれた。

そんな多彩な長野県の食を、文化財として保護・継承しようと県は力を入れている。その取り組みの歴史は古く、1983年に「焼き餅(おやき)」や「野沢菜漬」、「手打ちそば」などが長野県選択無形民俗文化財として登録された。文化財として食文化が登録されたのは他県には前例がなかった頃である。長野県立大学教授の中澤弥子さんはこのように話す。「文化財になった効果もあり、『信州蕎麦』や『野沢菜』はみやげものとしても人気の全国区の食べ物になりました。地域の恵みを生かしたおいしい郷土料理を大切な文化として意味付けし、若い世代へ伝えていく努力をしていかないともったいないと思います。」
うちの郷土料理

地域の個性を反映する多彩なおやき

長野県の郷土料理として最も知名度があるのが「焼き餅」だ。一般的には「おやき」と呼ばれ、「おやき」の種類だけで地図が作れるほど各地で特色がある。

長野県ではかつて一日三食のうち一食は粉食(小麦粉や蕎麦粉を使った料理)を食べる習慣があり、長野市の小麦粉の購入数量は現在でも日本一である。(出典:「家計調査結果(二人以上の世帯:平成28~30年平均1世帯当たり年間の支出金額及び購入数量)」(総務省統計局))「おやき」は日常的に食べられるだけではなく、生地を練って「まるめる」「まとめる」ため、おめでたい意味を込めてハレの日や人が集まる日のもてなし料理としても作られてきた。

一般的に知られているのは小麦粉を使った「おやき」だが、かつてはくず米の粉、小麦が育ちにくい地域では中身の少ない籾(もみ)のしいな米粉ともろこし粉を混ぜたもの、遠山郷や奥信濃では蕎麦粉を生地に使ったものが食べられた。
うちの郷土料理

画像提供元:信州おやき協議会

具材や焼き方も地域や家庭によってさまざまだ。野沢菜の古漬けの油炒めや切り干し大根、春は山菜、夏はナス、秋はさつまいもやかぼちゃ、小豆と具材に季節感がでる。加熱方法も焼く、蒸す、揚げるなどがあり、長野市郊外の山間地・西山などでは囲炉裏の灰の中でじっくり火を通す灰焼きという手法が存在する。中澤さんは「おやき」の魅力をこう語る。「生地にも具材にも地域でとれるものを利用した、まさに郷土料理といった一品。生地の水分量や具材の味付けで、家庭ごとの個性も出ます。具材のバリエーションがあって好きなものを選べるのも『おやき』の楽しさです」。
うちの郷土料理

画像提供元:中澤 弥子氏

「おやき」のようにおやつとしても親しまれたものでは、冷ご飯に小麦粉を混ぜて焼き、味噌を付けて食べる「こねつけ」がある。長野県調理師会の会長で、日本料理店「ゆ庵」の料理長である湯本忠仁さんは、「学校から帰ってくるといつも戸棚に入っていましたよ。好きな大きさを選べるように、大小いろんな大きさで作ってあった。当時は洋菓子に憧れたけれど、いま思うと『こねつけ』のほうが贅沢なおやつだったと思うね」と思い出を話してくれた。
うちの郷土料理

<北信地方>
県全土に広がったお菜漬けの代表格・野沢菜漬

県庁所在地・長野市を中心に千曲川(ちくまがわ)沿いに広がる北信は、1998年の長野オリンピックの多くの競技会場になった場所であり、善光寺やニホンザルが温泉につかることで有名な地獄谷野猿公苑などの観光名所を有する。新潟県との県境に連なる北信五岳を含む北部は、5ヶ月もの間、雪に閉ざされる場所もあるほどの豪雪地帯。一方の南部は降水量が少なく、水田や果樹、きのこに畜産と多様な農作物が育つ。

名物「信州蕎麦」の産地は県全土に点在。蕎麦のつなぎといえば小麦粉だが、小麦が育ちにくい北信の飯山市富倉(とみくら)では、つなぎにオヤマボクチの葉の繊維を使う「富倉そば」という珍しい蕎麦がある。また、辛味大根のおろし汁を出汁代わりにし、信州味噌と混ぜてつけ汁にする「おしぼり蕎麦・うどん」という食べ方があり、坂城町ではねずみ大根という辛味大根を使う。見た目は文字通りねずみのような形で可愛らしいが、辛味の強い大根だ。信州味噌の甘味と大根の辛味が混ざり合う独特の味わいを、地元の人は「あまもっくら」という言葉で表現する。
うちの郷土料理
厳しい冬を越す保存食として、漬物の存在は欠かせない。「野沢菜は霜が降りる頃に収穫して漬けるのが美味しいと言われていますが、その前には間引きした葉を味噌汁の具や切漬けにして食べます。青くシャキシャキとした野沢菜も美味しいですが、べっこう色になった古漬けも味わい深いです」と中澤さん。甘辛く炒めた野沢菜の古漬けは、おやきの具材としても人気がある。
うちの郷土料理

<東信地方>
清涼な川が育む栄養満点の佐久鯉

東信は佐久平と上田盆地を中心とした地域。内陸性気候であり、上田市の平均降水量は約900mmと全国的にも少なく年間日照時間が長く、昼夜の寒暖の差が大きく、果樹栽培に適している。南部の川上村をはじめとした八ヶ岳連峰の高原地帯は、レタスやキャベツなどの高原野菜の生産量が全国トップクラスである。そのほか避暑地としても人気の軽井沢や、真田幸村ゆかりの地として上田市も注目を浴びている。
うちの郷土料理
海がない長野県の人々にとって川魚は貴重なタンパク源だ。なかでも鯉は急流を登って龍になるという中国の登竜門伝説の影響もあり、縁起の良い魚としてお年取り(大晦日)や秋祭りのご馳走として食べられてきた。佐久地方では1825年、呉服商の臼田丹右衛門(うすたたんえもん)が大阪の淀川から鯉を持ち帰ったことから養鯉が発展。寒さが厳しく二毛作ができない佐久平の農家たちが副業として水田で鯉を養殖した。千曲川の冷たい清流と八ヶ岳の伏流水で育った鯉は身が引き締り、現在は「佐久鯉」というブランドで親しまれる。鯉は胃袋が無いため、さばく際には、苦玉(胆嚢)だけを潰さない様に取り除く。「鯉をじっくり煮て旨味を引き出した『鯉こく』は滋味深い郷土料理。食べると元気が出るので、妊婦さんや産後に食べさせる文化がありました」と中澤さん。現在でも佐久には鯉料理の店がいくつもある。
うちの郷土料理

「鯉こく」に欠かせないのが米麹と大豆で作る「信州味噌」だ。「鯉こく」は出汁を使わず、じっくり煮出した鯉の旨味と味噌だけで味を付ける。経済産業省の工業統計調査 2019年確報品目別統計表によると、長野県が67,350百万円で味噌の出荷額が全国1位で、郷土料理にも味噌で味付けをするものが多い。中澤さんは「味噌は山吹の花の咲く頃に仕込むものだと言われていて、昔は自分の家で味噌を仕込み、それを調味料やおかずとしても食べました。余った麹で甘酒を作ったり、保存のために塩を入れて塩麹にしたり。味噌は長野県民の生活に欠かせないものです」。

<中信地方>
塩を使わずに漬ける木曽の「すんき漬け」

中信は北アルプスに接する長野県西部のエリアだ。険しい山々に囲まれ稲作に苦労してきた木曽地域から、県有数の穀倉地帯といわれる風光明媚な安曇野(あづみの)や松本などの盆地まで、南北でまったく趣が異なる。北アルプスの雪解け水が湧き出る安曇野では、信州そばに欠かせないわさび栽培も盛んである。
うちの郷土料理

中山道の宿場町として栄えた木曽は、いまも当時の面影を残し、江戸時代にタイムスリップしたような感覚になる山間部のエリアだ。標高3067mを誇る御嶽山などの山々がそびえ、長野県の中でもひときわ寒さが厳しい。平地が少なく米が育ちにくいため蕎麦をはじめとした雑穀を主食にしていた。

そんな木曽で生まれたのが「すんき漬け」である。雪に閉ざされた山国で塩は貴重だったため、塩を使わず、天然の乳酸菌で発酵させる「すんき」が生まれた。原料となる赤カブの茎を決められた温度の湯で洗うことで、葉にもともと常在している乳酸菌を活性化させる。また、前年のすんき漬けやその汁を一緒に漬け込み、温度管理を行うことで発酵させていく。酸味と共に独特の旨味のある、他にはない味わいで「いまでは県外にもファンが増えて売上が上がっている」と中澤さん。「木曽で育った赤カブでないと良い『すんき』になりません。以前は木曽でしか手に入りませんでしたが、現在は通信販売や東京のアンテナショップにも並ぶようになりました。ここ数年は原料の赤カブが足りないくらい人気で、毎年11月頃に『すんき』が出回ると2月には売り切れてしまうほど。食べ慣れると離れられなくなってしまう、不思議な漬物なんですよ」。
うちの郷土料理

画像提供元:中澤 弥子氏

<南信地方>
寒さを生かした諏訪の凍み文化

中央アルプスと南アルプスの間、天竜川沿いに長細く延びる南信。北部の諏訪地域は寒さが厳しく乾燥した気候、南部の伊那地域は太平洋型気候で県内でも比較的温暖だ。岡谷市、諏訪市、下諏訪町にまたがる諏訪湖は“諏訪の海”と呼ばれており、ウナギやワカサギなどがとれる。また1~2月には、凍結した湖面の一部がせり上がる「御神渡り(おみわたり)」も有名だ。
うちの郷土料理

諏訪地方では寒さと乾燥した気候を利用して、食物を凍らせて保存する加工が発達した。凍み大根や凍り餅などがあるなかで特に有名なのが「寒天」だ。経済産業省の工業統計調査 2019年確報品目別統計表によると、長野県の出荷額は8,511百万円で全国1位。12月中旬~3月頃までの極寒期につくられる。水を抜いた田んぼに台を並べ、生寒天を天日干しする風景は、冬の風物詩だ。諏訪地方では冠婚葬祭や諏訪大社の大祭「御柱祭」のふるまい料理として、寒天を使った「天寄せ」という料理を作る。寒天に豆腐や卵を入れたり、お祝の時は赤い色をつけたりするもので、味にも見た目にも作り手の個性が出る郷土料理だ。

天竜川に沿いの盆地・伊那谷は、温暖な気候と豊かな水によって様々な農作物が育まれる豊かな地域である。大正から昭和の始めには養蚕で財を成し、日本一の規模を誇る桑畑を持っていた。伊那谷でとれる米を使って作られたのが「五平餅」だ。「五平餅」は中信の木曽でも食べられるが、餅に塗る味噌に違いがあり、伊那谷ではえごまや山椒が入ることがある。また、天竜川沿いの竹が育つ地域では竹串を刺した丸い形の餅、林業が盛んな山村部ではヒノキやサワラなどの香りの良い木の板を使い、小判型の餅を貼り付けるようにして焼いたという。いまではおやつや軽食として親しまれているが、かつては豊作祈願や収穫の感謝を込めて、春と秋に神前に供えるものだった。
うちの郷土料理
「ゆ庵」でも長野県の郷土料理を提供することがあるという湯本さん。自身も北信の須坂市出身であり、郷土料理愛は深い。「地場の料理人として、肌で感じてきた食材の背景を生かして郷土の料理を作りたいと思っています。郷土料理に派手さはないけれど、“侘び寂び”がある。質素で高尚。そのことを後世にも伝えていけたらと思います」。長野県の多様な風土が育んだ郷土料理を、ぜひ味わってみてほしい。
うちの郷土料理

長野県の主な郷土料理

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