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長崎県

日本の食の玄関口、現代の食文化のはじまりの地

半島と岬が多い長崎県。湾と入り江が複雑に入り組み、海岸線の長さは北海道につぐ全国2位の4,184kmに及んでいる。一方、長崎市を坂の街と呼ぶように内陸部は平坦地が少なく、山岳や丘陵地が多くなっているのも特徴。長崎県が海の幸と山の幸の両方の食材に恵まれているのは、こうした地形・地勢が大きく影響している。

取材協力店舗:長崎県庁レストラン シェ・デジマ

長崎の食文化は、海外の豊かな食文化が流入してくるまでは、おもに鰯などの魚やサツマイモなどの地場で採れた食材を食べる素朴なものだった。地理的に東アジアに近いため、古くから中国や朝鮮半島との交易はあったのだが、とくに16世紀の中ごろから中国ならびにポルトガルとの交易が盛んになり、そこからさまざまな食材・料理が入ってくるようになった。

さらに、鎖国をしていた江戸時代には、出島にいたオランダ人から数々の西洋料理が伝授され、その影響で新しい料理がつぎつぎと生まれることになった。その結果、長崎には卓袱料理(しっぽくりょうり)をはじめとする和洋中が合わさった煌びやかな「和華蘭(わからん)グルメ」の文化が花開いていった。
海外から渡ってきた食材としては、じゃがいも、たまねぎ、トマト、いちごなどがある。料理では、豚の角煮、ハトシ、長崎天ぷら、ヒカドなどの原型が伝わっている。また、砂糖や菓子類も重要な伝来物のひとつに数えられている。いまではどの食材・料理・調味料も全国で普通に食されているが、もとは長崎に初めて伝えられたものばかり。その意味で長崎県は、日本の食の玄関口であり、現代の食文化のはじまりの地ということができる。
卓袱料理

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

現在、長崎県の食文化エリアは、長崎地域(長崎市・時津町・長与町)県央地域(諫早市・大村市・東彼杵町・川棚町・波佐見町)島原地域(島原市・雲仙市・南島原市)県北地域(佐世保市・平戸市・松浦市・佐々町・西海市)五島地域(五島市・新上五島町・小値賀町)壱岐・対馬地域(壱岐市・対馬市)と六つに大別される。それぞれにおいて異なる地理や歴史を背景に独自の食文化が生まれ、いまに継承されている。

<長崎地域(長崎市・時津町・長与町)>
ふるさとの味は黒はんぺんとサクラエビ

長崎市は県の中部に位置している。面する長崎港は三方を山に囲まれた天然の良港で、昔から漁業が盛んであった。また、貿易にも適していたため、かつては中国やポルトガル、オランダとの交易が活発に行われ、海外のさまざまな食材・料理が伝わってきた。のちに長崎市の名物となった料理は、こうした国際的環境から生まれたものがほとんどとなっている。
中国から原型が伝わり生まれた料理のなかで、よく知られているものとしては「豚の角煮」がある。鎖国時代に中国の東坡肉(とんぽーろ)が和風にアレンジされて卓袱料理の東坡煮(とうばに)になり、それがやがて単体で食べられる豚の角煮となった。長崎では、いまも原型に近い料理法が主流で、皮付きバラ肉(三枚肉)を甘めに煮込んで作っている。全国に普及している豚の角煮とは似て非なるものといえる。

ポルトガルやオランダから伝わり定着したものとしては、フリッターに近い「長崎天ぷら」、シチューから派生した「ヒカド」、洋風にパイ生地で蓋をした煮込み料理の「パスティ」などがある。「長崎天ぷら」は、日本の天ぷらの起源になったという説もあるが、基本的にはいずれも長崎市独自の料理として名物化している。
長崎天ぷら

日本の菓子文化を変えたシュガーロード

鎖国時代に出島に荷揚げされたもののなかで注目すべきは砂糖と菓子類。これらは、長崎から佐賀、小倉へとつづく長崎街道を経て、大坂、京都、江戸へと運ばれていき、最終的に日本の料理文化と菓子文化に大きな変革をもたらした。この史実を受けて、現在、街道が通っている九州の各県・各市は、長崎街道をシュガーロードと名付け、地域活性化のためのPRに繋げている。
カステラ

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

<県央地域(諫早市・大村市・東彼杵町・川棚町・波佐見町)>
三つの湾に囲まれた鯨食文化の発信地

長崎県のほぼ中央に位置する県央地域は、橘湾、大村湾、諫早湾という三つの湾に面している。また、内陸部には水源となる多良岳が聳え、県唯一の一級河川である本明川が流れている。こうした豊かな自然環境のもと、一帯では昔から水産業、農業が盛んに行われてきた。それにともない近海で獲れた鯨を使った料理や、地域特産の農産物を使った郷土料理が数々生まれている。
雲仙多良シーライン

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

長崎では縄文時代から捕鯨が行われていた。江戸時代には、近海で獲られた鯨を大村湾にある東彼杵に集めて各地へと流通させ、鯨食文化を発展させた。現在もお祝いの席などで鯨がよく食べられており、県民一人あたりの鯨肉消費量は日本一といわれている。「鯨じゃが」は、そんななか、近代になってから生まれた鯨料理のひとつ。鯨肉を入れた肉じゃがとして、県央の地元でよく食されている。
鯨じゃが

画像提供元:東彼杵町

古くから米や野菜、果物栽培が行われてきた諫早市には、野菜をふんだんに使った独自の郷土料理がいくつもある。さといも、ごぼう、だいこん、にんじんなどの野菜を煮込で作るとろみのある料理「ぬっぺ」はその代表例。基本的には精進料理だが、鯨肉や鶏肉を加えて祝いの席の料理として供されこともある。
ぬっぺ

画像提供元:長崎県栄養士会

<島原地域(島原市・雲仙市・南島原市)>
歴史的事件がきっかけで生まれた伝統料理

袋地型の半島一帯が島原地域。北東部に有明海、南西部に橘湾があり、昔から漁業が活発だった。また、中央部には普賢岳や平成新山などがあり、それに連なる丘陵地から平野にかけてさまざまな農作物が作られてきた。この地域に伝わる伝統料理は、そうした豊かな食材を元に自然発生的に生まれたものが多いが、なかには歴史上のエピソードやアクシデントが深く関わって生まれたものもある。
製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の1つとして、伊豆の国市にある韮山反射炉も世界文化遺産に登録された。伊豆半島は2018年4月に「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されている。
原城跡本丸

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

「具雑煮」は、1637年に起きた島原の乱で総大将の天草四郎が三万七千人のキリスト教信徒たちと籠城した際に、長期戦の体力と気力を養うために作ったのがはじまりとされている。現在も一般家庭で正月や祭礼の日などのめでたいときにだされている。土鍋に張っただし汁に餅とさまざまな具材を入れて煮て、そのまま食すのが定番となっている。
具雑煮
「六兵衛」は、1792年に火山性地震の津波により農地が荒れたことで起きた飢饉がきっかけで生まれたとされる郷土料理。
当時、民衆はやせた土地でも育つさつまいもを主食にして飢えを凌いでいたのだが、深江村(現在の南島原市深江町)の六兵衛という者が保存食用のさつまいもの粉を麺にして食べやすくした料理を発案。それが、いまに伝わる「六兵衛」の原型になったといわれている。かつては耐乏食だったが、現在は品種改良されたさつまいも使うなど、さまざまな味のアレンジがなされ、素朴ながらもおいしい郷土料理として広く親しまれるようになっている。
六兵衛

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

<県北地域(佐世保市・平戸市・松浦市・佐々町・西海市)>
滋味深い保存食とめでたい南蛮料理と

長崎県の北部に位置する県北地域。面する海には島が数多く点在し、陸地には山岳や丘陵が海岸線まで迫り、全体的に平坦地が少ない土地柄となっている。すなわち、捕鯨をはじめとする漁業には適していたものの、農業にはきびしい環境。そのなかで保存食「ゆで干し大根」などの独自の伝統食が生まれている。

一方、地理的には日本本土の最西端に位置しているため、中国や朝鮮半島との交易や南蛮貿易が盛んに行われた過去があり、その影響を受けた料理も数々生まれている。近年では、佐世保に駐留するアメリカ軍の影響を受けた「レモン・ステーキ」が発案され、名物化している。
レモンステーキ

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

鎖国時代に平戸地区で作られはじめたとされるのが、卵入りの練り物「アルマド」。洋風の名称は、オランダ語の「アルマトーレ(包む)」あるいはポルトガル語の「アルマード(武装する)」に由来するといわれている。二つに切ると玉子の周りが赤く彩られているめでたさがあり、長らく、くんちや正月などの祝いの席の一品として親しまれてきた。近年では、地元のかまぼこ店で常時販売するところも増え、普段の食卓にのぼる機会が多くなっている。
アルマド

画像提供元:平戸市食生活改善推進協議会

<五島地域(五島市・新上五島町・小値賀町)>
中国発の麺料理が名物「五島うどん」に結実

長崎港から100km離れた海上にあり、九州最西端に位置する五島地域=五島列島。その近海は対馬暖流と沿岸流との影響で西日本有数の好漁場となっており、古くから漁業が盛んに行われてきた。江戸時代には捕鯨漁で一帯が大いに栄えたといわれている。
鬼岳からの眺め

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

一方、耕作面積が極めて少ないために稲作はふるわず、農業は長らく雑穀・いも類の栽培が中心となっていた。さつま芋を薄くスライスして天日干しして作る伝統の保存食「かんころ」は、その名残を示すものとなっている。なお、この五島地域は、朝鮮半島までわずか80km程度のところにあることから、かつては朝鮮や中国の料理文化が多く伝わり、それをもとにした独自の料理が数々生まれている。
「かんころ餅」は、さつま芋を天日干しした保存食「かんころ」を餅米に混ぜて搗きあげて作る餅。かつて冬の保存食として作られていたときは、さつま芋の甘みがあるだけの素朴な餅だったが、近年は砂糖を加えた和菓子のような一品となっており、地域の特産品として人気を博している。
かんころ餅

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

「五島うどん」はかつて、中国からの帰途に五島に立ち寄った遣唐使が原型を伝えたとされている。近年の研究では、中国・浙江省永嘉県岩坦地区に伝わる索麺(そうめん)がルーツとの説がでている。
地元でのおもな食べ方は「地獄炊き」。椿油を使って手延べした乾麺の五島うどんを鉄鍋でぐつぐつと茹でて戻し、それを五島沖で獲れたトビウオを使ったアゴだしに付けていただくのが定番となっている。
地獄炊き

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

<壱岐・対馬地域(壱岐市・対馬市)>
太古の昔からつづく「対州そば」の栽培

壱岐と対馬は、九州と朝鮮半島のあいだの海に浮かぶ島。ともに古代より朝鮮半島との交易があり、朝鮮半島ならびに大陸からさまざまな料理文化が伝わってきている。広い耕地をもつ壱岐では、約500年前に中国伝来の蒸留技術を取り入れ、のちに「壱岐焼酎」と呼ばれる麦焼酎作りがはじまった。農地が少ない対馬では、縄文時代に中国南部からヒマラヤ周辺がルーツされるそばの原種に近い「対州そば」の栽培がはじまった。現在、いずれも当地名産のものとして、全国に知られた存在となっている。

「対州そば」は、縄文時代に大陸から朝鮮半島を経由して伝わったそばの原種に近いそば。対馬は離島であるため、ちがう品種のものと交わることが少なく、いまも原種の特徴を残す小粒なそばの栽培が行われている。打つと強いコシがでて、ほのかな苦みが感じられる麺になる。2018年には国の『地理的表示(GI)保護制度』に登録されており、これは日本のそばでは初の快挙となっている。
対州そば

画像提供元:(一社)長崎県観光連盟

長崎県の主な郷土料理

  • 具雑煮/島原具雑煮

    具雑煮/島原具雑煮

    島原を代表する郷土料理のひとつ。江戸時代初期の1637年に起こった島原の乱で、総大将の...

  • ひきとおし

    ひきとおし

    長崎県の離島・壱岐の代表的な郷土料理。かつて壱岐の農家では、盆・正月・祭りの日に...

  • 浦上ソボロ

    浦上ソボロ

    長崎県浦上地区が発祥の郷土料理。1500年後半、浦上地区でキリスト教を布教していた...

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