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日本の様々な顔から生み出された食の宝庫、東京

日本列島のほぼ中央に位置し、日本の首都として発展し続け、現在約1300万人もの人々が生活する大都市・東京都。全国で3番目の小ささながら、東西に長く広がる関東山地、多摩丘陵、武蔵野台地、海抜ゼロメートル地帯の低地、さらに伊豆諸島や小笠原諸島の島しょ部も含むとあって、多岐に及ぶ地形が特徴だ。

取材協力:柳原料理教室

徳川家康が政権を確立した1603年から約260年間続いた江戸幕府。参勤交代によって、全国さまざまな地域の人が江戸を訪れるようになり、同時に鎖国によって浮世絵や文学、学問など江戸文化全体が大きく発展した。町民たちによって発展を遂げた江戸の文化=庶民の文化の中で食文化も劇的な進歩を遂げたことは言うまでもない。さらに文明開化による洋食屋の登場により、東京の食はさらにレパートリーを広げた。現在に伝え続けられる東京の郷土料理はこれらの面影を色濃く残していると言えよう。

東京は大きく4つのエリアに分けられる。江戸の風情残る江戸前・下町エリア、豊かな自然が残る多摩川流域奥多摩エリア、そして太平洋に広がり独自の文化を持つ伊豆諸島エリアである。各エリアの特徴とそこに育まれた食文化を見ていこう。

<江戸前・下町>
江戸時代の屋台から発展した「江戸前料理」

武蔵野と江戸湾の接点であり、隅田川の河口でもある江戸が幕府の地となって以降、江戸育ちの料理が多様に発展した。江戸湾の最奥部に注ぐ川々は流域の田園の水を運び、魚にとって絶好の飼料を含んだ水となって下流へ流れ込んでいた。そのため、江戸時代前期、浅草川や深川あたりでは新鮮かつ肥えた鰻や穴子はもちろん、アサリやアオヤギなどの貝類が大量に獲れた。
墨田川

画像提供元:(公財)東京観光財団

当時、鰻の中骨を取って串を打ち、白焼きしてから蒸してタレを漬けて焼く調理法が庶民には好評で、そこから江戸流の調理方法を「江戸前」と呼ぶようになった。その後、急速に発展した屋台文化の中で、江戸前の魚を使った寿司、てんぷら、蕎麦など次々と色々な料理が屋台に並ぶようになり、「江戸前」という言葉はその調理法のみならず、江戸特有の流儀をも含むようになっていった。

東京だけでなく日本を代表する料理といえば寿司と天ぷらである。江戸前寿司は赤酢で〆た米飯に、コハダや鯖などを〆たもの、煮穴子や蒸しエビなどの火を通したもの、そして卵焼きといったように、煮る、蒸す、茹でる、ヅケ、昆布〆、酢洗いといった下ごしらえを施したものがネタになっているのが特徴だ。上方の天ぷらは魚のすり身の揚げ物なのに対し、江戸の天ぷらは魚介の衣揚げで、ごま油できつね色に揚げるのが特徴だ。
天ぷら

漁師が愛した「ぶっかけめし」

現在の江東区永代、佐賀あたりの南方に流れる大横川の一部は深川浦と呼ばれ、潮が引くと砂州が広がり、アサリ、ハマグリやアオヤギなどの貝類が豊富に獲れる漁師町であった。その漁師たちが船上で賄い飯として食していたぶっかけめしが今の「深川めし」である。早メシで便利だったことは言うまでもないが、最も美味しい食べ方を編み出せるのは漁師の特権であろう。川の水の汚れと埋め立ての進行に伴い一時は姿を消してしまった深川めしだが、周辺に観光施設が整備され観光客が来訪するようになったのをきっかけに見事に復活、今でも深川発祥の郷土食として親しまれ続けている。
深川めし

画像提供元:深川宿

「母の味」の原点は「文明開化の味」

675年の天武天皇による所謂,食肉禁止令以来、日本において牛や馬は大切な労働力であったなどの理由のため、公には食することができなかった。解禁となったのは明治維新以降のこと。牛や馬は大切な労働力であったため、食べるとバチが当たるとされていた。その肉食のたたりから解放された人々のご馳走となって登場したのが「牛鍋」、現在の「すき焼き」である。
横浜の開港とともに江戸・高輪にイギリス公使館が設けられたことにより、芝白金に牛の処理場が作られ、そこから牛鍋は江戸庶民のご馳走として定着した。今でも浅草界隈には当時から続く老舗が軒を連ねるほか、各家庭のご馳走の代表として食されていると言えよう。
すき焼き

画像提供元:人形町今半

また、文明開化の影響により新たに登場したのが洋食である。明治初期に築地の外国人居留地に西洋料理が出されたのを皮切りに、明治30年頃には40軒ほどの洋食料理店があった。コロッケ、カツレツ、オムレツといった今では家庭に並ぶ料理たちが、当時は外食でのみ食されていた。実際、家庭で作られるようになったのは大正に入ってからのこと。明治から大正にかけての東京では、和食と洋食の間でさまざまな料理が生まれたのである。
コロッケ

<多摩川流域>
土地の特徴から誕生した独自の食材たち

東京西部にはちょうど多摩川を境界にして、関東山地から続く凹凸のある多摩丘陵と武蔵野台地が広がる。東京の人口増加とともに住宅地としての開発が進みベッドタウンとして発展したが、現在でも自然公園や緑地として昔の自然を残しており、23区とは趣の異なる町並みが特徴だ。
多摩川
江戸時代、調布市周辺の土地は米の生産に不向きだったため、小作人が蕎麦粉を作って深大寺に献上したのが「深大寺そば」の発祥と伝えられる。
石臼で挽いた蕎麦粉で、香り豊かでのど越しが良く上品なのが特徴。三代将軍徳川家光が鷹狩りの際、深大寺で蕎麦を食べて褒めたことから、蕎麦栽培が定着した。その後、路線バスの発展が進み、深大寺の緑地や神代植物公園に訪れる人が増え、深大寺周辺は観光スポットとして現在にその蕎麦の名を残している。
深大寺そば
一方、練馬周辺の土地は畑栽培に適していたことから、漬物に欠かすことのできない大根づくりが盛んだった。江戸はすでに人口が増えつつあったことから、江戸では漬物を自家製で作る家庭はほとんどなく、買い求めるのが常だった。その漬物、特にたくあんとべったら漬けに欠かすことができなかったのが練馬大根である。練馬大根は江戸東京野菜のひとつに認定されており、現在でも江戸から続く伝統行事「べったら市」では練馬大根を使ったべったら漬けがずらりと並び、風物詩となっている。大根の食感と独特の甘さ加減が絶品、東京の漬物として今も欠かすことができない。
練馬大根

<奥多摩>
新しい風を吹かせるのも郷土食のなせる技

現在は観光地としてたくさんの人たちで賑わう奥多摩。都内では最も山が急峻で水田を作ることが難しい土地だったため、小麦や蕎麦の栽培が盛んだった。かつては家の大半は山仕事に従事し、寒い季節に重宝したのが煮込みうどん、すなわち「のしこみうどん」であった。グツグツ煮込んで熱々を食すのが奥多摩スタイル。これぞ土地の特色を見据え、自然と共存してきた先人の知恵の賜物だ。

水のきれいな奥多摩で、もう一つ注目したいのが奥多摩ワサビ。江戸時代から栽培が盛んで、江戸前寿司にも使われる食材であり、東京の食を語る上では欠かせない。奥多摩の湧水は酸素を多く含むため、ワサビにとって最高の環境である上、水が冷たいため固くて辛さも強いのが魅力。大自然の成せる逸品だ。
奥多摩ワサビ

画像提供元:(公財)東京都農林水産振興財団

奥多摩では観光を盛り上げる一環で、特産物の治助芋を使った「治助芋のネギ味噌」や、ブランド豚と奥多摩わさびを組み合わせた「おくたまワサビのTOKYO-X巻き」といった新たな名物メニューを広める取り組みも行われている。郷土料理の枠にとらわれず、新しい食の境地を開き次世代へその味を伝えていくことも、郷土料理の興味深い一面ではないだろうか。
TOKYO-X巻き

<伊豆諸島>
美しい島々で生まれた知恵の産物

100余りの島を有する伊豆諸島。東京・竹芝から大島までは最短で6時間、有人島は現在、大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島の9つ。温暖な気候が魅力的で、真っ青な海にはサーファーやダイバーが、火山島には登山客が多く訪れる。
式根島

画像提供元:(公財)東京観光財団

伊豆諸島を代表する郷土料理「島ずし」と「くさや」。江戸前寿司には必ず入っているネタにヅケがあるが、元々は伊豆諸島から伝わった技術で、温暖な島では寿司ネタをヅケにすることで鮮度を保たせ食していた。江戸時代、外海を泳ぎ回るマグロは足が早いため、日本橋に着く頃にはすでに劣化しており、下等の魚として扱われていたが、醤油の生産が盛んになるとともにヅケの技術が江戸にも定着、たちまち江戸っ子の舌を魅了し、マグロの価値を一気に押し上げたというわけだ。
島ずし

画像提供元:一般社団法人 八丈島観光協会

江戸名物を語る上であのニオイが独特なこともあって、必ず話題にのぼる「くさや」。くさやの発祥は伊豆諸島であることを知る人は少ないのではなかろうか。伊豆諸島は火山島のため農作物に適しておらず、海から採れる貴重な塩を年貢として納めていた。干物を作る際、塩を節約するため魚を漬ける塩水を繰り返し使っていたことから、あの独特の風味ある干物ができたのだ。くさやの原料であるムロアジは別名「クサヤモロ」と呼ばれ、語源はこちらとされるが、江戸の魚河岸の間で「くさいからくさや」と呼ばれるようになったとも伝えられる。粋な江戸っ子たちが話す姿が目に浮かぶようで、何とも興味深い。
くさや

こうして東京の食文化を見つめていくと、江戸時代の人たちの暮らしぶりと共に食を楽しむ姿を手にとるように感じることができ、あらためて江戸料理の奥深さに気づかされる。
べったら漬けには練馬大根、江戸前寿司には奥多摩ワサビといったように、地域を越えて江戸時代より受け継がれてきた伝統野菜たちは江戸の人々の食に大いに貢献し、今の東京においてもなおその役目を担い続けている。
地形と同じように多岐に渡る東京の郷土料理。伝統を継承しつつ、進化し続ける東京の食文化にこれからも目が離せない。

東京都の主な郷土料理

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