関西地方 和歌山県
雄大な紀伊山地と躍る黒潮。自然がもたらす四季折々の恵み
古くは「木の国」と呼ばれていた和歌山県。温暖多雨な気候で、県土の8割以上を奥深い森林が占める。山から流れる清らかな水は、紀の川や熊野川を成し、やがて海へと注がれる。この豊かな自然が四季折々の恵みをもたらし、北部・中部・南部地域がそれぞれ独自の食文化を築いてきた。
取材協力場所:ジャパニーズダイニング煌
「おかいさん」は、耕地の少ない「木の国」の知恵
北部や中部では春の産物であるうすいえんどうを入れた豆茶がゆが、南部地域では山芋の茎にできるむかごを入れたむかごがゆが好まれていたという。暑い夏には、梅干しや金山寺味噌を添えた、冷たいおかいさんが食欲をそそる。

「木の国」の物語から生まれた郷土料理
和歌山県には、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている高野山や熊野三山などの霊地があり、かつて参詣道を通って多くの修行僧や参拝者が行き交った。

その代表的なものが「なれずし」だ。平家の落人・平維盛(たいらのこれもり)が有田にこもり、兵を率いて村を出発する際、村人に食糧を求めた。米が稀少だったため、村人は落人に炊いた少しのごはんと塩サバを葉に包んで持たせた。数日後、これを食べようと落人が包みを開けると、発酵して独特の香りを放ち、非常に美味しくなっていた。これがなれずしのはじまりと言われている。大きくかぶりついてから甘酢につけた生姜をかじるとなんとも美味である。
田辺市の大塔地区にも、興味深い物語がある。ここでは、正月に餅ではなく里芋の親芋「ぼうり」を2日間ほどかけて煮込み、塗りの器に盛り付けて食す風習がある。14世紀ごろ、田辺市大塔村に山伏の一行が訪れ餅を所望したが、村の掟に従って村人はこれを断った。しかし後になって、山伏が後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)だったことを知る。村人は非礼をわびて正月に餅をつくことをやめ、代わりにぼうりを食べるようになったという。
今回は県を北部地域、中部地域、南部地域、の3つのエリアに分けて、それぞれの食文化を紹介する。
<北部地域>
和歌山県の米どころ・北部地域の郷土ずし

「柿の葉寿司」は、柿の産地である橋本市が発祥の地とされている。エビや塩漬けしたサバなどを米飯にのせて、紅葉した渋皮の葉で包んだもので、秋祭りのごちそうとしてふるまわれていた。紀の川を北上する船で運ばれた貴重なサバを、抗菌作用のある柿の葉で包むことで腐りにくくする先人の知恵でもある。家庭では、炊いたしいたけやかまぼこなど身近にあるものが具材に使われ、常食として楽しまれている。
橋本市にはもう一つ、「幻のはたごんぼ」と呼ばれる郷土食がある。直径5~10cm、長さ1メートルもある大きなごぼうである。特別な品種というわけではなく、通常のごぼうを高野山のふもとにある西畑地区の赤土で育てると、太く大きくなるという。その大きさゆえに植え付けにも収穫にも骨が折れ、昭和以降は生産量が減っていたが、近年再び栽培が復活。柔らかく香りがよく、煮物によく合う。最近では、輪切りにして中心部をくり抜いて酢飯をつめた「はたごんぼずし」といった新しい食べ方も考案されている。

<中部地域>
味噌、醤油、山椒が生まれた日本の味のふるさと


有田市の南に位置する湯浅町は、「金山寺味噌」発祥の地である。13世紀の初め、由良の興国寺の高僧が、中国で習得した怪山寺(きんざんじ)味噌の製法を人々に伝えたことが始まりだ。大豆やこうじのほか、細かく刻んだナスやウリ、シソなどの具材が好みで加えられ、「わが家の味」「当店の味」に仕上げられる。
また、近隣の有田川町は山椒の名産地である。清水地域で作られる大粒で肉厚な「ぶどう山椒」は、2014年に世界的なパティシエが作るチョコレートにも用いられ話題となった。今や日本食には欠かせない醤油、味噌、山椒。紀州の味が世界にも広がっている。

<南部地域>
先人の工夫で築き上げた独自の食文化
熊野灘では、荒々しい黒潮にもまれて身が引き締まった魚が豊富に獲れる。その種類は、マグロやカツオ、アジ、サバなど多種多様だ。また、太地町では古式捕鯨、那智勝浦町ではマグロはえ縄漁と、伝統的な漁が現在も変わらず続けられている。


また、かつて漁業や農業、林業を生業としていた熊野山間の農民には、忙しい仕事の合間に簡単に食べられるお弁当が重宝された。ごはんを高菜の浅漬けの葉でくるんだ「めはりずし」である。もともとは目を見張るほど大きくにぎられていたが、最近では食べやすく小ぶりになり、中身の具も刻んだ高菜漬けや梅干し、かつおぶしなど多種多様に。

和歌山県の主な郷土料理

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