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近代化とともに生まれた、北海道の郷土料理

83,424km2にも及ぶ、広大な土地を有する北海道。その広さは国土の約22%にあたる。土地の半分を山地が占め、周囲には太平洋、日本海、オホーツク海の大海原が広がる。温帯気候の北限であると同時に、亜寒帯気候の南限に位置し、冷涼、低湿で積雪期間が長く、春先になってようやく雪解けを迎える。明確な四季折々に、地域特性を生かした豊富な食材が育まれている。

動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
取材協力場所:光塩学園調理製菓専門学校

明治維新後、急速に近代化が進んだ北海道

かつては、「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれ、先住民族の「アイヌ」が住んでいた北海道。鎌倉時代になると、本州から「和人」(大和民族)が進出し、アイヌとの交易がはじまった。16世紀半ば、北海道南部が和人の居住地「和人地」に定められ、江戸時代に入ってからは松前藩が置かれた。なお、アイヌ民族や、本州からの移住民によって伝えられた食文化の一部は、今日の北海道の郷土料理に大きな影響を与えている。

歴史が大きく動いたのは明治時代に入ってから。明治政府は、北海道の開拓を本格的に推進し、蝦夷地を「北海道」に改称。全国各地から移住民を集め、近代化を推し進めた。この時代に築かれた札幌市の「時計台」は当時の面影を現代に伝える歴史遺産である。

冷涼な気象条件に対応した欧米の近代農業技術の積極的な導入や土地改良などの努力を続け、これを克服し、我が国最大の食料供給地域として発展。現在、小豆やじゃがいも、小麦など多くの品目が全国トップレベルの生産量をあげている。「ジンギスカン」「石狩鍋」「ザンギ」など全国的に知られている郷土料理も少なくない。
札幌市

道央地域道北地域道南地域道東地域、それぞれの地域に目を向けると、よりバラエティーに富んだ地元の味覚が楽しめる。

<道央地域>
札幌から各地に広がった、ピンク色の赤飯

北海道の中央部から日本海に流れ込む石狩川水系に沿った石狩平野を中心に、稲作の中核地帯が形成される道央地域。札幌市近郊や空知(そらち)南部では、道外向けを中心とした野菜の生産が盛んなほか、日高の軽種馬(けいしゅば)、胆振の肉用牛など地域の特色を生かした農畜産業がおこなわれている。

この地域のハレの日に欠かせない飯料理といえば「赤飯」。他の地域では、もち米と小豆を混ぜてつくられるこの行事食は、北海道で独自の進化を遂げた。使われるのは、小豆ではなく甘納豆。邪気を払うとされる「赤飯」の赤色は、食紅で色を出す。さらに、仕上げに紅しょうががそえられる。

この甘納豆を使った「赤飯」は、札幌市にある光塩学園調理製菓専門学校の創設者・故南部明子さんが考案したもの。
赤飯
「どこの家庭でも簡単に『赤飯』をつくれるよう、配慮したと聞いています。小豆を使った本格的な『赤飯』は準備をするのが大変ですよね。そこで、初代学長は小豆ではなくすでに調理済みの甘納豆に目をつけました」と、話すのは同校で講師を務める田安透さん。

昭和20年(1945年)から30年(1955年)にかけて、南部さんは各地の料理講習会で、甘納豆を使った「赤飯」のレシピを紹介。またたく間に普及し、道民たちの間では「赤飯」には甘納豆が当たり前になった。ほのかに甘い「赤飯」は、子どもたちからも好評。メディアでレシピが紹介されるなり、まちの商店街から甘納豆が消えた、というエピソードも。
赤飯

田安さんいわく「赤飯はちょっと変わったケースですが、北海道の郷土料理は素材の味をダイレクトに味わえるものが多いですね」とのこと。

田安さんがいう"素材の味をダイレクトに味わえる"郷土料理の一つに「いももち」がある。これは、国内作付面積の約7割を占めるじゃがいもを使った郷土料理。つくり方はいたってシンプル。蒸したじゃがいもをつぶして、まんじゅう状にととのえたら、あとは焼くだけ。かぶりつくと、ほっこりとした大地の味が口いっぱいに広がる。派手さはないけれど、大人から子どもまで広い世代に親しまれる素朴な味わいだ。
いももち

<道北地域>
日本一の毛ガニの町に伝わる、てっぽう汁

北海道の北端に位置し、日本海とオホーツク海に挟まれた道北地域。地域内の旭川や富良野は、国内外から多くの人が訪れる観光地である。稚内市(わっかないし)にある宗谷岬の突端には、「日本最北端の地の碑」が建つ。晴れた日は、ロシアのサハリン島を見ることができる。

日本海に面した留萌(るもい)市は、江戸末期から昭和半ばまでニシン漁で栄えた漁師町。水揚げされたニシンの一部は、内臓を取り除いて天日干しにした「身欠きニシン」に加工され、日本海を経由して越前国(現在の福井県)へと渡る。そこからさらに、海産物の調達しにくい内陸の地域に運びこまれた。京都府の「にしんそば」や石川県の「大根ずし」など、身欠きニシンは各地の郷土料理に影響を与えた。昭和32 年(1957年)、漁獲高の激減を理由にニシン漁は幕を閉じたが、現在はエビやタコ、ヒラメが名産として定着している。
にしんそば
オホーツク海に面した枝幸町(えさしちょう)は、毛ガニの一大産地。町は"日本一の毛ガニの町"を標榜する。枝幸町をはじめ道北地域で食べられているのが「てっぽう汁」。カニの入った味噌汁で、カニの足を箸でつつく様子が鉄砲の弾込めに似ていることから、その名が付いたという。汁の中には、ぶつ切りのカニがたっぷり。漁師町の多いこのエリアならではの趣ある一杯なのだ。
てっぽう汁

<道南地域>
北前船の寄港地として栄えた松前発祥の珍味

比較的冬季の積雪が少ないため、道内において1年の農作物の生産開始がとくに早い道南地域。南北に長い地域のため、栽培される農作物も多様性に富んでいる。ブランド米「ふっくりんこ」から、ねぎやニラ、アスパラガスなどの野菜、じゃがいもや豆などの農作物などいずれも高い生産量をあげている。

慶長9年(1604年)、この地に松前藩が成立。現在の松前町周辺には、国内最北端にして道内唯一の城下町が置かれた。江戸時代は、大阪に向けて物資を運ぶ「北前船」の数少ない寄港地になっており、二基の波止場からなる「福山波止場」には和船、汽船など大小様々な船が停泊。波止場の一部は今も現存し、文化庁から「日本遺産」に認定された。

安政6年(1859年)、渡島半島南端に函館港が開港。横浜・長崎と並ぶ国内初の外国貿易港で、道南地域は北海道の海の玄関口として大いに栄えた。本州と北海道を結ぶ青函トンネルが開通してからは、陸の玄関口という一面も。
北海道

画像提供元:北海道渡島総合振興局

松前町を発祥とし、道南各地で継承されてきたのが「松前漬」だ。地元でとれたイカ、昆布を醤油で漬けこんだ保存食。藩政時代は、これに数の子を加え、塩漬けにして食べられていたが、長い年月をかけて現在の食べ方が主流になっていった。昆布とイカの旨味が見事に調和したこの珍味は、ごはんのおかずにも酒の肴にも好相性。古くから、漁師町の食卓に欠かせない一品になっている。
松前漬け

画像提供元:あさみ商会

<道東地域>
十勝開拓者たちの命をつないだ豚肉食文化

道東地域は、釧路市、帯広市、北見市といった都市部が広い範囲にわたって点在。 エリア内では、世界自然遺産に登録された「知床」をはじめ、国内最大の湿原がある「釧路湿原国立公園」や摩周湖、阿寒湖、屈斜路湖(くっしゃろこ)を擁する「阿寒摩周国立公園」など北海道らしい雄大な自然を堪能できる。

帯広市を中心に、1市16町2村で構成されている十勝地方は、畑作や酪農を中心とした大規模農業を展開しており、およそ25万haの耕地面積を有している。その広さは、北海道の耕地面積の約2割に相当。食料自給率はなんと1240%。人口に換算すると約418万人分の食料をまかなっていることになる。
十勝

画像提供元:日本の食文化情報発信サイト
「SHUN GATE」

十勝の名物といえば「豚丼」である。その歴史は古く、北海開拓時代にまでさかのぼる。開拓者集団「晩成社」を率いた依田勉三は、十勝開墾にあたり、食料用の豚を飼育しはじめる。豚4頭から始まった養豚は着実に規模を拡大していき、それにともなって豚肉料理も浸透。大正時代、庶民が口にする機会は少なかったものの、豚肉料理は一般にも普及する。

豚丼が登場するのは昭和初期から。帯広市のとある大衆食堂が「十勝らしいメニューを」と販売したところ、たちまち人気メニューに。やがて、地域一帯の名物として定着。タレをからめてしっかり焼いた豚肉を丼飯に盛り付けるのが十勝流。開拓時代に思いを馳せて、豪快にほおばりたい。
豚丼
北海道は、その歴史的背景から、「松前漬」のように長きにわたり郷土に根づく料理と、「赤飯」や「豚丼」のような近代化とともに生まれた郷土料理が共存する食文化が築かれた。蝦夷地から北海道となって150余年、北海道の郷土料理はまだまだ進化する可能性を秘めている。
北海道

北海道の主な郷土料理

お問合せ先

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