自然に恵まれた火の国の地域色豊かな食文化
活火山・阿蘇山を持つことから“火の国”と呼ばれる熊本県。九州地方の中央部に位置し、北東部に阿蘇山、西部に有明海や八代海(不知火海)、海に突き出した宇土半島の先には、天草五橋で結ばれる天草諸島がある。かつては「肥後の国」と呼ばれ、江戸時代には武将・加藤清正が治めた地。清正公が築城した熊本城は400年もの歴史があるが、2016年4月に熊本地震で大きな被害を受けた。
動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
取材協力場所:ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイ、郷土料理はや川
英雄・加藤清正公と熊本の軌跡
熊本県は全域が太平洋側気候に属しており、阿蘇以外の地域では年間平均気温が15度から17度と温暖だ。冬期間の日照時間は少なめで、夏と冬の寒暖差は大きい。その中でも、山地・海・平野・島しょと多様なエリアを有するため、各地域で気候風土はかなりの違いがある。
熊本県民が“清正公(せいしょこ)さん”と親しみを込めて呼ぶ加藤清正公は、安土桃山から江戸時代初期に戦乱で荒れ果てた熊本を立て直した英雄。大変なアイデアマンとして知られており、1607年に清正公が築城した熊本城は、当時の最先端技術と労力が惜しみなく注ぎ込まれた名城だ。
清正公の偉業の一つが治水事業。県内各地の河川改修や新田開発に尽力し、清正公独自の治水技法も生み出した。阿蘇市や菊陽町、大津町周辺が米どころとして知られているのも清正公のおかげだと話すのは、尚絅大学 生活科学部の教授で、自身も熊本県出身者であり郷土料理を研究する守田真里子さんだ。「阿蘇から熊本市まで白川が流れているのですが、その流域にはいまも清正公の治水事業の名残が残る穀倉地帯となっています。菊陽町にある用水路・馬場楠井手(鼻ぐり井手)などは、 2018年『世界かんがい施設遺産』にも登録された観光名所です」
清正公は食文化にもさまざまな影響を残した。たとえば「納豆」の消費量が九州地方で熊本県だけが高い理由は、朝鮮出兵の時に清正公が食料として持ち運んだ煮大豆が発酵して納豆になっていたというエピソードに由来する。「藁で包んでいた大豆が馬の体温で発酵していたんですね。それを食べた清正公は気に入り、『この豆はなんだ?』と尋ねた言葉がなまって、熊本では納豆のことを『こる豆』と呼ぶ方もいます」と守田さん。また熊本城築城のために朝鮮から呼び寄せられた職人たちが釡炒り茶の文化をもたらした話や、県を代表する名産品の馬刺しや朝鮮飴も清正公ゆかりの逸話がある。その多大な功績を称え、熊本城の入り口には立派な烏帽子を身にまとった銅像がそびえ立っている。
故郷とおふくろの味「だご汁」
各エリアを紹介する前に、熊本県全域に広がる郷土料理「だご汁」に触れておこう。日本全国で米の代用食として雑穀を使った郷土料理が見受けられるが、熊本県のそれが「だご汁」である。「だご」は「だんご」の意味であり、粉を練っただんごと、ごぼうや大根、人参など畑でとれた野菜を炊き合わせ、味噌や醤油で味付けをした汁物のことをいう。
だごの材料や味付け、具材は地域や家庭によって異なるため、県民にとって「だご汁」は郷土の味であり、 おふくろの味といえる。
一般的な「だご」は小麦粉の粉を練ったもの。形状は「つっきりだご」といって生地を伸ばしながらちぎったものがスタンダードだが、阿蘇では平たく長い麺状になった「のべだご」が主流になる。熊本市周辺は「いきなりだご汁」といい、小麦粉の皮でサツマイモを包んだだごが汁に入る。小麦粉の生地自体に茹でたさつまいもを練り込んだだごが入るのは、菊池地域や鹿本地域の「おひめさまだご汁」。だごの質感がお姫様の肌のようにつるりとしているので、この名がついたそうだ。また阿蘇地域ではあまり小麦がとれないため、だごの材料には米粉が使われる。県南の人吉・球磨地域では「皮くじら」が入ることもある。
県内でも独特の食文化を持つ天草には「せんだご汁」というものがあり、だごの材料はすりおろしたじゃがいもの繊維と澱粉を混ぜたもの、具材には海に囲まれた天草らしく、わかめが入るのが独特だ。「せんだご汁」はかつて天草にいた宣教師・フェリエ神父が、河浦町に建てた孤児院で食べさせたのが始まりだといわれている。さらに天草には「押し包丁」という名前の麺状のだご汁もみられる。
ANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイの日本料理料理長で、海に面した宇城市三角で生まれ育った戸澤清水さんにとっても、だご汁はおふくろの味だ。「九州全域にある郷土料理ですが、熊本県民もみんな食べますね。季節に関わらず年中食卓にあがります。出汁はいりこや昆布、干し椎茸のもどし汁を使うことも。私の母の『だご汁』は醤油味で、具はれんこんやかぼちゃ、ちぎった南関あげが入ることもありました。家庭ごとに違うので、それぞれの思い出の味がある料理。お店でも提供していますが、いろんなお店のものを食べ比べるのも楽しいですよ」。
今回は県を県北地方、県央地方、天草地方、県南地方の4つに分けて、それぞれの食文化を紹介していこう。
<県北地方>
阿蘇の風土が育てた高菜で漬ける「阿蘇高菜漬け」
県北は海側の玉名市から、合志市、菊陽町、西原村、南阿蘇村、高森町のラインから北を指すエリア。有明海に面した西側は海の幸に恵まれ、東側にはなだらかな山々が連なる。東から西へと流れる菊池川を水源に、菊池平野では米や農作物を栽培。熊本ラーメンのルーツと言われる玉名市の玉名ラーメンや、福岡県との県境にある1300年の歴史を持つ山鹿温泉、約1193haの広大な森林が広がる菊池渓谷など、観光資源も豊富だ。
画像提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
県北の中でもひときわ存在感を放つのが阿蘇地域。九州地方の代表的な高原地帯で、年間の平均気温は15度以下と冷涼、降水量も多い。南北25km、周囲128kmという世界最大級のカルデラを誇る活火山・阿蘇山を中心に壮大な自然が広がる。阿蘇地域でとれる高菜は、他の地域のものと比べ細長く、「阿蘇高菜」と呼ばれ、火山灰土の土壌と寒さのため味が凝縮されており、漬物に適している。3月から4月に収穫した阿蘇高菜を塩漬けした「阿蘇高菜漬け」は、保存食として一年中食べられる。もう一つ、阿蘇地域では「赤ど漬け」という、主に阿蘇市で栽培されている赤ど芋の茎を漬けた漬物がある。色が赤く、生姜醤油で食べることから“畑の馬刺し”と呼ばれている。
福岡県との県境に位置する南関町は、その名の通りかつて関所が置かれた場所。外からの人の往来があったため、さまざまな文化がもたらされた。南関町の名産品「南関あげ」は、1637年頃に起こった島原の乱の後、四国の伊予松山地方からの移住者から油揚げの製法が伝わったことから生まれたものだ。「南関あげ」は、一枚の大きさが20センチ角にもなり、材料となる豆腐を薄く切って水分を抜いてから二度揚げするため、長期保存が可能である。汁物や煮物にはそのまま入れるほか、太巻きの海苔代わりに使った「南関あげ巻き寿司」などの料理もある。
<県央地方>
藩主が愛した「馬肉」と「からし蓮根」
有明海に突き出た宇土半島から、熊本城がそびえる熊本市、山深い山都町などを含む県央エリア。 宇城地域は交通の要衝として古くから栄え、上益城地域には阿蘇くまもと空港がある。宇土半島の先端には世界遺産に登録されている三角西港や、干潮時に美しい砂の曲線が現れる御輿来海岸(おこしきかいがん)などの名所が人気。また熊本市は水資源に恵まれており、生活用水の100%が地下水でまかなわれているという極めて稀有な地域でもある。
日本にはいくつかの地域で馬肉を食べる文化があるが、馬肉の生産量日本一の熊本県もその一つ。熊本で馬肉が食べられるようになったのは、加藤清正公が朝鮮出兵で食糧難に陥り、命をつなぐため戦地で馬を食べたことが由来とされている。美しいサシが入った 「馬刺し」は現在ではハレの日のご馳走として県民に親しまれており、甘めの醤油とおろしにんにくや生姜で食べると濃厚な旨味が口の中に広がる。
「からし蓮根」も肥後藩藩主に由来する郷土の一品。時の藩主、細川忠利公は体が弱く、禅僧にれんこんを食べることを進言され、熊本城のお堀に植えてあったれんこんを食べさせようと料理人が考え出したのが、れんこんに辛子味噌を詰め、衣をつけて油で揚げた「からし蓮根」だった。輪切りにしたれんこんの切り口が細川家の九曜(くよう)の家紋に似ていることもあり、忠利公は「からし蓮根」をたいそう気に入り、考案した料理人は刀と名字を与えられる大出世となった。それから明治維新まで、「からし蓮根」は門外不出の細川家秘伝の料理として代々伝えられてきたという。
<天草地方>
異国情緒漂うキリシタンの里の唐芋料理
大小120余りの島々からなる天草地域。九州本土とは天草五橋と呼ばれる5つの橋で結ばれているが、海の上に浮かぶ島は絵画のように美しく、県内の他の地域とは別世界のような空気が流れている。天草市河浦町にある﨑津集落は、禁教下に潜伏キリシタンが密かに信仰を守り続けていた集落の一つとして世界文化遺産に登録。漁村の中に教会が建つなど、人々の暮らしとキリスト信仰が混じり合う、天草ならではの景色が広がっている。
画像提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
海に囲まれた天草地域では当然ながら海産物が豊富だ。山間地では塩漬けの魚しか食べられなかったが、天草では刺身は当たり前。ただ夏場は海水温が高いため、夏にとれた魚は生ではなく干物にして食べる。この地域の面白い郷土料理が「ぶたあえ」。“ぶた”と名前はついているものの、使っているのはよくとれるタコ。もともとは琉球料理で豚肉とニガウリやなすを炒め合わせたものだが、豚肉が貴重だった天草ではタコが使われるようになったという。
海産物には恵まれる天草だが、傾斜地が多く水資源も乏しいため米作には向かなかった。そこで米の代わりに食べられたのが唐芋(=さつまいも)。硬めに茹でたさつまいもを餅と一緒についた「こっぱもち」は、長崎の文化の影響を感じさせる。またさつまいもを細切りにして衣でまとめて揚げる「がね揚げ」は、衣に生姜が入っているのが特徴で、油は椿やさざんかの実から絞ったかたし油が使われていた。形が”がね”=カニに似ていることから、「がね揚げ」という名前になったという。
<県南地方>
球磨川の豊かな恩恵を受ける温暖な地域
八代市から南に広がる県南は、県下でも温暖な気候に恵まれた地域。鹿児島県や宮崎県と隣接しているため、「あくまき」などの共通の食文化もみられる。八代海沿岸ではさまざまな柑橘類が栽培され、平野部では米や畳表の材料であるいぐさ、四季折々の野菜が栽培される。なかでもトマトの収穫量は全国一を誇る。(農林水産省「野菜生産出荷統計 令和元年産都道府県別の作付面積、10a当たり収量、収穫量及び出荷量」より) 波の静かな八代海は絶好の漁場で、特産のタチウオを始めイワシやコノシロ、エビなど新鮮な魚介類が豊富。芦北地域では、姿寿司等にして正月や祭りなど、ハレの日に食べられてきた。
日本三大急流の一つである球磨川流域は、年貢に収める以上の米がとれたこと、球磨川の水が硬水で焼酎づくりに向いていたことから米焼酎づくりが盛ん。その良質な米でつくられる香り豊かな「球磨焼酎」は、スコッチウィスキーやコニャックなどと並んで、地名を冠することを世界に認められたブランドとなっている。
人吉盆地を貫流する清流・球磨川は115kmにも及ぶ熊本県最大の川。球磨川やその支流には天然のアユが生息しており、現在でもアユ料理を提供する旅館や料理店が軒を連ねている。シンプルな塩焼きを始め、焼いた鮎を使った甘露煮、鮎寿司、背ごしなどさまざまな食べ方があり、球磨焼酎の肴として酒宴の席でも欠かせないものになっている。
県南のハレの席に欠かせない郷土料理が「つぼん汁」。深い壷に汁を盛り付けていたところから、つぼん汁と呼ばれる。もともとは秋祭りにつくるご馳走であったが、現在はこの地域のお正月や祝いの席で出される。秋の収穫を祝う料理であることから、畑でとれたごぼうや人参、大根、里芋などがの野菜がたっぷり入っていて、出汁や味付けは「だご汁」同様、家庭ごとに違いがある。人吉市にある青井阿蘇神社では、400年以上前から毎年10月におくんち祭りが開催され、栗の入った赤飯と煮しめ、9種の具材が入った「つぼん汁」が供されるのが定番だ。
「熊本は海の幸、山の幸、里の幸、なんでもある」と地元の食を愛でる戸澤さん。現在は伝統的な肥後野菜を広めるため、料理教室などを開催している。豊かな自然と、周辺の影響を受けながら、独自の食文化を形成してきた熊本県。北から南まで、ぜひその郷土の味を体験してみてほしい。
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