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関西地方 京都府

京都府

伝統と風土が磨き上げる京の食文化

日本列島のほぼ中央に位置する京都府。北端の丹後地方は、日本海に臨む。南北に細長い京都府は、中央部の丹波山地を境に、日本海型気候と内陸型気候に分かれる。

794年、現在の京都市にあたる場所に平安京が遷都されてから、京都は政治、文化、宗教の中心地として大いに栄えた。平安京は桓武天皇の命により、陸上交通網だけでなく水上交通網も造営、整備がおこなわれた。琵琶湖の大津や淀川の山崎などに拠点が置かれ、京都にはさまざまな文化と物資が流入。それらが公家や武家、僧侶といった地元の文化と交わり、現在の京都府の礎を築いていった。

動画一部素材提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」
取材協力店舗:山ばな 平八茶屋

外食文化によって磨かれた「京料理」

これらの文化に醸成されて発展、進化していったのが「京料理」である。その根幹にあるのが「五体系」と総称される5つの料理だ。

公家社会や貴族の社交儀礼のなかで発達した宴会料理「大饗(だいきょう)料理」、宗教的禁忌をふまえて野菜をおもな材料に使った「精進料理」、武家のもてなしの席で振る舞われた「本膳料理」、武家や町人の間でひろがり、茶の湯の料理として普及した「懐石料理」、そして、公家や朝廷、幕府の高官たちが御所風料理として楽しんだという「有職(ゆうそく)料理」。それらの伝統技術は、いまもなお脈々と受け継がれ、料亭や割烹などで楽しまれている。
京料理

「早くからはじまった外食文化が、京料理の技術向上を後押しした」と、話すのは、農学者の佐藤洋一郎先生。現在は、京都府立大学・文学部和食文化学科の特任教授として教鞭をとっている。

「中世、都市機能を備えていた地域は、関東の鎌倉、関西の奈良、京都くらいしかありませんでした。京都に暮らす公家や商家の人びと、さらに彼らが支えた神社仏閣の行事食などがこれらの食文化を支えました。その積み重ねのなかで調理の技術や効率化が磨かれていき、いまの京料理の骨格になりました。また、東日本と西日本の境界線にあり『求心力の街』であったことも影響して、各地の調理技術や食材を取りこみやすかった、というのも大きいでしょう。加えて京都は伝統産業の街。それを支えた家内工業が発達し、その従業員の食を支える『仕出し屋』が古くから栄えた。京都は古くから、外食、中食の街だったのです」。
京都

京都を代表する料理は、貴族や武士の間だけで進化したわけではない。各地に目を向けると、様々な食文化が発展したことがわかる。例えば、「白味噌の雑煮」や「ばらずし」、「万願寺とうがらしとじゃこの炊いたん」、「えびいもと棒だらの炊いたん」、「たけのこの木の芽和え」など、京都市内をはじめ地域で磨かれた郷土料理は多岐にわたる。それらの郷土料理は"海の京都"、"森の京都"、"お茶の京都"といった、古都・京都の多彩な一面を伝えてくれる。

京都府は、丹後地域中丹地域南丹地域京都市乙訓(おとくに)地域山城地域に大別される。それぞれの地域の特性や食文化を紹介しよう。

<丹後地域>
ハレの日の食卓を豪華に彩る、丹後ばらずし

京都府の最北部に位置し、日本海に面する丹後地域。変化に富んだ海岸線は、山陰海岸国立公園・若狭湾国定公園に指定され、風光明媚な景観が広がる。
丹後地域
古くから漁業が営まれており、丹後とり貝、丹後ぐじ、ブリ、ズワイガニといった魚介が食卓を彩る。近海でとれるサバは、イワシやアジと並ぶ大衆魚。地元住民のなかには、新鮮なサバを刺身で楽しむ人も少なくない。このサバを使った郷土料理が「丹後ばらずし」である。ほぐした焼きサバをすし飯で挟んだ押しずしの一種で、真四角に押し抜かれたすしの上には、かまぼこやかんぴょう、錦糸卵などの色とりどりの具材が豪勢に盛り付けられる。

食卓がパっと明るくなるようなこのすしは、ハレの日に振る舞われる料理。親から子、そして孫へとレシピが受け継がれていくもので、家庭によってはすし飯が二段であったり一段であったり、使われる具材にも個性が現れるという。

もともと、焼きサバは保存手段として生まれた調理法。現在、家庭でつくるときは、より手軽にサバ缶のサバを使うのが一般的だ。丹後地域で販売されているサバ缶がほかの地域よりも大きいのは、そのためである。
郷土料理

画像提供元:京都府生活研究グループ連絡協議会

<中丹地域>
100年近い歴史をもつ、万願寺甘とう

京都府の北部に位置し、丹波山地の山々と日本海に囲まれた中丹地域。地域を流れる一級河川・由良川流域には古来から集落が置かれ、古墳時代には数千基の古墳が築かれたという。平安時代から山岳寺院が開かれるようになり、仏像や祭礼、薬師信仰といった特色のある文化がいまも地域に息づいている。

地域は、福知山市・舞鶴市・綾部市の三市で構成。近年は、複数の工業団地が立地するようになり、関西北部・日本海側の産業拠点を担う。その一方で、郊外には古民家が点在する農村集落や田園風景が残っており、都市部と農村が共存する地域といえる。
中丹地域
「万願寺とうがらし」は、中丹地域を代表する特産品。目の覚めるような緑色の実は、大ぶりで肉厚。旬を迎える夏場には、長さが20cmを越えることも珍しくない。その大きさから"とうがらしの王様"と呼ばれることも。

万願寺とうがらしの名前は、発祥地である舞鶴市郊外の古刹「満願寺」のある万願寺に由来。大正末期、農家の自家用野菜として栽培されていたが、美味しいと評判になり、産地あげての努力と熱意の結果、1990年代後半からブランディングが進み、市場に出回るように。舞鶴市のほか、綾部市と福知山市の一部地域で栽培されたものは「万願寺甘とう」の商標で出荷される。

辛味がないため、炒め物や焼き物、天ぷらなど様々な料理に活用される。なかでも、じゃこと合わせた炒め物は、京都のおばんざいの定番。とうがらしの風味と甘辛い味がほんのりと口の中に広がり、さらに万願寺甘とうの肉厚で柔らかい果肉の食感が美味しく、つい箸が伸びる。中丹地域に欠かせない夏の味覚である。
万願寺とうがらし

画像提供元:公益社団法人京のふるさと産品協会

<南丹地域>
大地の恵みが凝縮された「マメに暮らす」縁起物

亀岡市、南丹市、京丹波町の二市一町で構成される南丹地域。東は滋賀県、西南は兵庫県と大阪府、北は福井県に接する。山間地域が連なる北部は、"京都の屋根"として知られ、西部にかけて高原地域が広がる。南部は、桂川流域に平坦地が形成されており、亀岡盆地をはじめ耕作地に恵まれている。

南丹市の美山地区に保存されている、かやぶき民家の集落は、1993年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。ほか、田園にかこまれた農村集落が広がる亀岡市や京丹波町など、南丹地域にはいまも日本の原風景が残っている。

一帯は、府内でも有数な穀倉地帯であり、特産品のお米「キヌヒカリ」は、日本穀物検定協会が開催する「米の食味ランキング」で2016年度産から三年連続、最高評価の「特A」を獲得した。
南丹地域
昼夜の温度較差が大きく、秋の濃霧の発生の多い南丹地域は、「丹波黒大豆」や「丹波大納言小豆」など、高品質な豆類の産地としても有名。特に黒大豆の歴史は古く、10世紀、平安時代の書物にも、その存在が記されている。10月から枝豆用の収穫が始まり、11月下旬から煮豆用の収穫がはじまる。栽培の難しさから「苦労豆」とも呼ばれるが、大粒で、つややかに黒光りする煮豆は、ほかにはないこだわりの産品。

弱火でじっくり煮こんだ「黒豆煮」は、ふっくらと優しい味わい。生産者の苦労と大地の恵みが凝縮された一品だ。
郷土料理

画像提供元:公益社団法人京のふるさと産品協会

<京都市>
食材同士が長所をひきたてあう「であいもん」

794年の平安京遷都から、千年以上にわたって日本の政治、文化の中心地だった京都市。

都が置かれていたため多彩な物資がもちこまれたが、内陸部ということもあり、鮮魚を調達するのは困難だった。日本海や若狭街道を通じて運びこまれる海の幸は、乾物の棒だらやニシン、塩漬けされたサバといった加工品がほとんどだった。
京都
「加工品を美味しく食べるために、長い年月をかけて調理技術が磨かれていきました。そういった環境のなかで、懐石料理屋や有職料理といった様々な体系が進化していったのでしょう。だから、シンプルかつ洗練された料理が多い。『鯛蕪(たいかぶら)』や『賀茂なすの田楽』などは、その代表例です」と話すのは、創業440年の歴史を誇る料亭「山ばな 平八茶屋」の21代目・園部晋吾さん。園部さんによると「であいもん」も京都の料理の特徴だという。
郷土料理
「であいもんとは、相性のいい2つの食材のこと。魚や肉といった動物性の食材と、野菜との組み合わせが多く、京都の料理ではよく見られる構成です。であいもんもまた、先人たちが残した知恵といえます」。

例えば、現在でも食べられている「ふろふき大根」や「にしん茄子」などもであいもん。魚の油や風味と、野菜の淡白な味わいが互いをひきたてあい、唯一無二の味わいが生まれる。
山ばな 平八茶屋

<乙訓地域>
高級食材として知られる乙訓の京たけのこ

乙訓地域は向日市、長岡京市などの二市一町から構成。古くから、京都と大阪を結ぶ交通の要衝となっており、「古事記」や「日本書紀」にも、地域名の由来となった「オトクニ(弟国)」が記されている。784年には桓武天皇が「長岡京」に遷都し、十年間にわたって都が置かれた。ほか、羽柴秀吉と明智光秀が覇権をかけた「山崎合戦の地」であり、「竹取物語」の発祥の地とも伝わる。

日本のタケノコは、中国の孟宗竹を京都西山に植えたのがはじまりといわれており、日本各地に広がった。京たけのこは、春先にシーズンを迎え、五月上旬ごろまで各地に出荷される。

乙訓地域でとれる京たけのこは、甘みが強く肉厚で柔らか。年間を通じた独特かつ、周到な管理と、地中にとどまっている状態で収穫された象牙色のたけのこは、「シロコ」と呼ばれ、高値で取り扱われる。えぐみがないため、新鮮なものは刺身でも食べられる。木の芽(サンショウの若芽)とともに白味噌を和えたら「たけのこの木の芽和え」に。口にひろがる豊かな風味が、味覚を通じて春の訪れを伝えてくれる。
郷土料理

画像提供元:公益社団法人京のふるさと産品協会

<山城地域>
世界に類を見ない技・味・文化の「宇治茶」

山城地域は、京都府の南部に位置し、宇治市や城陽市などの15の市町村から構成。東は信楽山地、西は京阪奈丘陵などが広がる。宇治川、桂川、木津川の合流点には、山城盆地が扇状に展開しており、河川流域を中心に市街地が形成される。

7世紀には「山城国(やましろのくに)」が置かれ、律令時代は、畿内を形成する五国のうちのひとつだった。平安時代以降は、宇治川、桂川、木津川が合流する淀川が水運の要衝であった。これにより、京都に様々な食材や物資が送りこまれた。

全国的に有名な「宇治茶」の栽培のはじまりは、およそ800年前の鎌倉時代。京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)のすすめによりはじまったと伝わる。
宇治茶

画像提供元:お茶の京都DMO

13世紀の初めの鎌倉時代に土質、地形など、自然条件が茶の生育環境に適していたことから、宇治で急速に栽培が拡大した。江戸時代には、山城国宇治田原町の永谷宗円が宇治製法を考案し、煎茶と玉露のつくり方へと発展、全国の産地に広められ、現在も日本茶製法の主流となっている。

現在、山城地域では煎茶・玉露に加え、てん茶(抹茶の原料)など、多様な茶種が生産されている。特に新芽の生育中、茶園を遮光資材で被覆し、一定期間光を遮って育てる方法である被覆栽培(覆下栽培)で育てる玉露・てん茶は、鮮緑色と独特の芳香やまろやかな旨味や甘みのある最高級の茶となる。
このように宇治茶は、高い生産技術と加工・ブレンド技術が加わり、ほかの産地の追随を許さず、日本最古の歴史と最高峰の品質・技を誇っている。

「山城の人は、宇治茶を食材としても活用する」と、話すのは、山城地域でお茶農家を営む京都府生活研究グループ連絡協議会の会長、奥田智代さん。「宇治茶はお茶として飲むだけでなく、お菓子やお料理に使われ、抹茶を白あんに練り込んでつくるおはぎも、このあたり独特の食習慣といえるでしょう」。
京都
山城地域といえば「えびいも」も有名。さといもの一種で、えびに似た形状からその名が付いた。緻密な肉質と独特の粘り気が特徴の京野菜である。

「えびいもは、ごちそうにも使われることが多いですね。例えば、『えびいもと棒だらの炊いたん』とか。使う食材は『えびいも』と『棒だら』のみ。素朴な料理だからこそ、時間をかけ、丁寧に仕上げるんです」と、奥田さんは顔をほころばせる。

家庭にも根づくこのおもてなしの精神こそ、京都の伝統の味を繋ぐ隠し味なのかもしれない。
郷土料理
佐藤先生いわく「京都と聞くと、ほとんどの人が京都市を思い浮かべるはずです。しかし、丹後地域から山城地域まで、それぞれの地域には独特の文化が根づいている。京都市からさらに視野を広げてはじめて、京都の魅力に触れられます」とのこと。

それは京都の食文化においてもおなじこと。京都の各地域の郷土料理に目を向ければ、よりダイナミックに京都が楽しめるだろう。
京都

京都府の主な郷土料理

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