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宮城県

伊達政宗公の国造りがルーツにある“伊達な”食文化

東北地方中部に位置する宮城県は、面積7282㎢。西は標高1000m以上の奥羽山脈が連なる農山村地帯、東に仙台平野が広がり、太平洋沿岸部は日本有数の漁場という、山と海に恵まれた土地だ。県庁所在地の仙台市には100万人以上の人々が暮らし、東北地方で唯一の政令指定都市に指定されている。

平野部は太平洋からの海風が入るため夏の暑さはそれほど厳しくない。冬も海流の影響で雪は少なく、一年を通して穏やかな気候といえる。一方で、奥羽山脈の裾野にあたる西部は山脈を越える季節風の影響があり、県内では比較的降雪が多い。

動画素材一部提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」

取材協力場所:青葉城本丸会館

食通の藩主・伊達政宗公がつくりあげた穀倉地帯

宮城県を語る上で欠かせないのが、仙台藩初代藩主である伊達政宗公。仙台城を築城し、城下町・仙台を東北の中核地として繁栄させた政宗公は、現在でも名君と県民に称えられている。食通であったともいわれる伊達政宗公は、宮城県の食文化にも多大な影響を残した。

現在、宮城県が水田率82.4%(全国平均は54.4%、令和元年)を誇る穀倉地帯となっているのは、江戸時代初期に政宗が推進した新田開拓と河川改修に起源がある。政宗公は藩の財源として米作を発展させるべく、県北の大崎耕土などの河川流域に広がる湿地などを水田として整備した。つくられた米は「本石米」と呼ばれ、石巻から江戸や大坂に輸送。当時、江戸で消費されていた米のうち実に3分の1は仙台藩のものであったという。

また、仙台味噌は仙台藩の貴重な保存食で、政宗公は御塩噌蔵(ごえんそくら)という名の大規模な味噌蔵を建造した。塩分が高い仙台味噌は、戦で遠征した際に腐敗しにくく、他の藩の武将から重宝されたという話もある。さらに、宮城県を代表する郷土料理「ずんだ餅」や「はらこ飯」にも政宗公ゆかりのエピソードがある。
うちの郷土料理

今回は県を県北地方三陸地方仙台・松島地方県南地方の4つに分けて、それぞれの食文化を紹介していこう。

<県北地方>
小麦を上手に、餅を大切に食べる文化

県の北西部一帯は、奥州三名湯に数えられる鳴子温泉や、原生林に恵まれる栗駒山などを有する自然豊かな地域。鳴子峡の峡谷から見下ろす紅葉は息を飲むほどの絶景で、毎年10月~11月上旬には全国から多くの人が押し寄せる。
うちの郷土料理
鳴瀬川流域の大崎耕土、東北最大の北上川が貫流する登米(とめ)は豊かな水源を生かした水田地帯。しかし、かつて米は年貢米として納めなければならなかったため、地元では小麦を主食とする食文化が発展した。登米市が主な産地の「油麩」は仙台麩とも呼ばれ、精進料理としてお盆などに食べられていたもの。肉の代わりに油麩を卵とじにしてご飯にのせた「油麩丼」は県北地域の名物だ。
うちの郷土料理

餅を食べる文化が強く、昔は農作業の節目にお腹一杯の餅を食べて精をつけていた。今でも結婚式やお正月などのおめでたい席には欠かせない。くるみ餅やじゅうねん(えごま)餅、大根おろしをかけたおろし餅という具合に、季節の食材を合わせた多種多彩な餅が存在し、餅を大切に美味しく食べようという人々の工夫が感じられる。

<三陸地方>
水産県・宮城を支える海の幸の宝庫

気仙沼、石巻、女川など大きな港で活気づく三陸沖は、四季折々の豊富な魚が獲れる好漁場。

親潮と黒潮がぶつかる金華山沖ではマグロやサンマといった回遊魚、沿岸漁業ではイワシ、サバ、イカなどが水揚げされ、なかでも気仙沼はカジキの水揚げ量とフカヒレの生産量で全国1位を誇る。(令和元年時点)

リアス式海岸の入り組んだ湾を生かした養殖漁業も盛んであり、牡蠣やホヤ、海藻類などが養殖されている。5月~8月頃が旬のホヤは“海のパイナップル”とも言われ、新鮮なホヤを使った酢の物は三陸の夏の味だ。
うちの郷土料理

画像提供元:日本の食文化情報発信サイト「SHUN GATE」

三陸で冬に美味しい魚といえば脂ののったメヌケ。メヌケのアラ汁は冬の家庭料理の定番だ。また気仙沼市では、春にメヌケのあらと酸っぱくなった白菜の古漬けを粕汁仕立てにした「あざら」という料理が食べられる。名前の由来はつくり方があざら(方言で手荒という意味)だからという説や、昔この地方に澄んでいた阿闍梨(あじゃり、模範となる立派な僧のこと)がつくり始めたことに由来する説がある。
うちの郷土料理

<仙台・松島地方>
伊達政宗公が愛したうぐいす色の「ずんだ餅」

東北の政治経済を担う都市・仙台市を中心とする地域。伊達政宗公の墓がある瑞鳳殿(ずいほうでん)本殿にはきらびやかな装飾が施され、“伊達な”文化を存分に感じることができる。青葉山の仙台城跡に立つ政宗像は、今も城下町を見守っているかのようだ。沿岸部には俳人・松尾芭蕉も訪れた、260余りの島々が浮かぶ松島湾があり、10月~3月のシーズンには名産の松島牡蠣を味わうことができる。

食通だったという伊達政宗公が好んだのが、枝豆の餡を餅に和えた「ずんだ餅」。宮城だけでなく、福島、岩手、山形など仙台藩の領土にも伝わっており、政宗が広めたのではないかといわれている。「『ずんだ餅』は枝豆のとれる夏のお盆によく食べられる郷土料理。昔はすり鉢を使って枝豆を潰していたので、子供も手伝ってつくるものでした。家庭によって豆の潰し具合や餡の硬さ、甘さに個性が出ます」と話すのは、青葉城本丸会館の総料理長を務める及川健さん。

郷土の味を後世に残すために小学校の家庭科実習で「ずんだ餅」を教える活動をしている。「ずんだ餅」というユニークな名前の由来は、枝豆を砕く=「豆打(ずだ)」という言葉や、政宗が豆を潰すのに使った陣太刀(じんだち)がなまって「ずんだ」となったなど諸説がある。
うちの郷土料理

<県南地方>
阿武隈川のほとりで生まれた「はらこ飯」

古くから運河や街道が整備され、交通の要衝となっていた県南地域。岩沼市から仙台湾に沿って5市1町を結ぶ日本一長い運河群・貞山運河や、東北新幹線、阿武隈鉄道などの鉄道、名取市には東北の空の玄関口である仙台空港もある。西部は蔵王連峰の裾野に広がる丘陵地帯。蔵王はスキーリゾートや温泉などの観光資源も豊富だ。

この地域の郷土料理「おくずかけ」は、お盆やお彼岸の時に食べる精進料理。人参やごぼうなどの野菜を小さめに切り、白石市特産の温麺(うーめん)を入れ、最後に水溶き片栗粉でとろみをつける。かつては葛でとろみをつけていたためにこの名がついた。具は家庭によって異なり、現在も家庭料理として食べられている。
うちの郷土料理

阿武隈川の河口部周辺にある亘理町で発祥したのが、太平洋から川へ遡上してきた秋鮭でつくる「はらこ飯」。伊達政宗公が運河建設のために亘理町を訪れた際に漁師が振る舞ったところ、たいそう気に入られたことから評判になった。鮭を煮た醤油ベースの出汁で炊いた米に、鮭の切り身といくら(はらこ)をのせた「はらこ飯」は、いまや宮城県を代表する定番の郷土料理として観光客にも人気だ。

また亘理町の隣町・山元町には冬の味覚として、ホッキ貝を米と一緒に炊き込んだ「ほっきめし」がある。宮城県出身で、地域の家庭料理を調査・研究している仙台白百合女子大学教授の高澤まき子さんは「私の母が小さい頃、ほっきめしは家のご馳走だったそうです。漁師さんが売りに来たホッキ貝が手に入ると、“今日はほっきめしが食べられる!”と喜んだと言います」と話してくれた。
高澤まき子さんの『高』ははしごだか
うちの郷土料理

気候風土だけでなく、この地の礎を築いた伊達政宗公の存在が大きく関わり発展してきた宮城県の郷土料理。数々の伝説を持つ政宗の歴史に触れながら、宮城県の美味を味わってみてはいかがだろうか。

宮城県の主な郷土料理

  • ほっきめし

    ほっきめし

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  • サンマのきがき

    サンマのきがき

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