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関西地方 奈良県

奈良県

千年を超える歴史の中で培われてきた、悠久の「日本の味」

日本列島の中央に位置する奈良県は、周囲を山岳に囲まれた内陸県である。飛鳥・奈良時代には都が置かれ、政治・経済・文化の中心地として栄えた。海外との交流も活発で、遣唐使などによって大陸から文化や技術がもたらされ、日本独自の新しい様式に発展させていった。


取材協力場所:春日ホテル

高い農業技術から生まれた数々の特産品

「この地は、寺社仏閣が文化や技術の発展に影響を及ぼしてきました。平安遷都後は、強い勢力をふるう豪族がいなかったため、農民たちは支配されることも少なく、自立的に農業を行い技術を磨いていったと考えられます」と話すのは、奈良女子大学名誉教授の的場輝佳さん。
うちの郷土料理

それを裏付けるのが、高い農業技術である。明治20年代末から昭和初期までは、奈良県の米の反当たり収穫量が全国1位を誇っていた。また、昭和初期には、数年単位で稲作と畑作を繰り返す「田畑輪換農法」を確立。水稲の輪換作物として綿や菜種、スイカ、イチゴなどの換金作物を栽培してきた。農業技術の革新にも積極的で、スイカの育種やイチゴの作型開発などは現在の農業技術の礎となっている。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠われているように、柿の生産も盛んだ。特に五條市は、市町村別作付面積で日本一(2015年農林業センサス)を誇る。昼夜の温度差のある気候や水はけのよい傾斜が品質の良い柿を育んでいる。また、奈良盆地の南端に位置する御所(ごせ)市の「御所(ごしょ)柿」は、現在の甘柿品種のルーツと言われている。
うちの郷土料理
奈良県は、大きく「奈良盆地」、「大和高原地域」、「五條吉野・十津川地域」に分けられる。
起伏の少ない肥沃な平野が広がる奈良盆地は、県土の面積の約24%を占め、人口の90%以上が居住している。大阪や京都の都市近郊に位置し、水稲に加え、イチゴや軟弱野菜等が栽培されている。
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県北東部に広がる大和高原地域は、隣接する三重県と奈良盆地の両方の食文化の影響を受けている。大和茶の産地であり、冬の冷え込みを利用した高野豆腐やかき餅づくりが今も行われている。

県南部の五條吉野・十津川地域には、雄大な山岳地帯が広がる。林業が盛んな一方で水田が少ないことから、古くは木の実や雑穀、塩漬けにした山菜などを保存し、生活の糧としていた。また、吉野川ではアユやアマゴなどの川魚が特産で、アユの姿寿司が名物になっている。
うちの郷土料理

長い歴史の中で独自に発展してきた奈良の食には、どのような物語が隠されているのだろうか。

日本の食文化のルーツとも言われる奈良の味

古くから交通網が発達していた奈良県は、シルクロードの終着点として、中国や朝鮮半島など東アジア諸国との交流が盛んだった。飛鳥・奈良時代には、遣隋使・遣唐使や渡来人によって多くの文化や技術が持ち込まれ、現在の日本の食文化のルーツが築かれた。

大和高原地域で栽培されている「大和茶」は、日本のお茶の起源とされている。806年に空海が唐からお茶の種子を持ち帰り、現在の宇陀市にある仏隆寺に植えたことから茶樹の栽培が始まった。その後、庶民にもお茶の栽培が広まり、自家栽培した茶葉を軽く煎って一般家庭でも飲んでいた。また、ここから茶粥の文化も広まっていった。
うちの郷土料理
東大寺の練行衆の食事には、茶粥だけでなく、お茶にこんがりと炒った大豆を入れて米を炊き上げた茶飯が出されていた。茶飯は一般庶民にも伝わっていったが、広くは普及しなかった。江戸時代になると「奈良茶飯」として江戸で広まった。十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場したことで、いっそう有名になった。今では、奈良でも茶飯を提供する飲食店が増え、給食のメニューにもなるなど県民にも親しまれている。
うちの郷土料理

奈良は清酒発祥の地とも言われている。奈良時代、中国から伝わった醸造技術をもとに、朝廷の「造酒司(みきのつかさ)」という役職が酒造りを担っていた。平安京への遷都後は、酒造りは寺院へ受け継がれ、室町時代には日本酒(清酒)づくりの基本となった画期的な新技術「菩提酛(ぼだいもと)」が正暦寺で開発された。「当時のお寺や神社は、現代でいう大学や企業のような機能を持ち、さまざまなイノベーションを起こしていました。奈良発祥の清酒づくりは、その代表例と言えるでしょう」と的場さん。

ほかにも、中国から伝わった小麦粉のお菓子「麦縄(むぎなわ)」が「素麺」の原型といわれ、「三輪素麺」で有名な桜井市三輪地区は素麺発祥の地とされている。また、醤油・味噌のルーツである、大豆や穀類を塩漬けにした「醤(ひしお)」が古来から造られるなど、さまざまな食が奈良で開花し、改良を重ねながら現在に息づいている。
うちの郷土料理

農村文化から生まれた郷土料理

奈良の食の中心をなすのは、四季折々の産物を上手に利用して、煮炊きものやあえ物にして食する素朴な農村の食文化だ。人々の生活に根ざした郷土料理は、神社や寺院の行事や祭りごとで振る舞われ、長い歴史の中でも廃れることなく、現代まで脈々と受け継がれている。

その象徴が「のっぺい」である。奈良の方言で「泥いも」と呼ばれる里芋や厚揚げ、旬の野菜の煮物で、里芋の粘りでとろみをつけるのが特徴だ。煮物料理の原点と言える。毎年12月中旬に執り行われる「春日若宮おん祭」(春日大社)では、現在も精進料理の「奈良のっぺい」がふるまわれている。
うちの郷土料理

「茶粥」も、古くから農村で食べられていた。水分を多めにさらさらに炊き上げるのが奈良の茶粥の特徴だが、これは米の節約のためではない。勤勉な農民が早く食事を終わらせて、農作業にもどるため、急いで食べられるように工夫をこらしたものである。腹持ちをよくするために、茶粥の中に里芋やさつまいも、かき餅などを加えることもあった。

お正月には、「大和の雑煮」という白味噌仕立ての雑煮を食べる。雑煮には、家族円満、物事が丸く収まることを願って、里芋や輪切りにした大根のほか、焼いた丸餅を入れる。年末になると、雑煮用の細い「祝だいこん」が販売される。地域によっては、餅を取り出してきな粉にまぶして食べる習慣があり「きなこ雑煮」とも呼ばれている。稲穂を連想させる黄色い「きな粉」は、豊作や幸運を祈る縁起物だ。

夏祭りのころになると、柿の若葉がみずみずしく、大きく広がってくる。この頃になると、五條・吉野地域では「柿の葉寿司」が作られる。熊野地方から運ばれる塩サバと酢めしを抗菌・防腐作用があるという柿の葉で包んだ押し寿司である。昔はハレの日の御馳走として、夏祭りなどに作られてきた。現在でも奈良県の特産品として有名な郷土料理である。
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大和の伝統野菜

県内各地では、「宇陀金ごぼう」や「結崎ネブカ」、「片平あかね」、「味間いも」など多種多様な「大和の伝統野菜」が栽培され、特産品として販売されている。「大和まな」は、「古事記」に記載されている「菘(すずな)」をルーツとする、古くから食されてきた「ツケナ」の一種である。収穫後黄化しやすいことから広域流通には不向きだったが、県農業研究開発センターと大学、企業が流通に適応した新品種を共同開発し、全国に出荷している。
うちの郷土料理

画像提供元:奈良県

新しい食文化に息づく伝統

「奈良のかき氷」にも、奈良ならではの由緒がある。奈良時代、氷の神を祀る氷室神社では冬の間に氷を「氷室」に貯蔵し、夏になると平城宮に献上していた。貴族たちは、削った氷に当時の甘味料である甘葛(あまづら)をかけて食べていたという。氷室神社では、現在、製氷業者の商売繁盛等を祈願する「献氷祭」が行われ、花や魚などを入れて凍らせた大型の水柱が神前に捧げられる。
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画像提供元:kakigori ほうせき箱

的場さんは、「奈良の人々は、長い歴史の中で気候風土を生かして穏やかに食文化を育み、日本の食の礎を築いてきました。それが今なお息づく奈良にいると、悠久の歴史の中の、この一瞬に自分が生きているという厳かな気持ちになります」と話す。
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奈良県の主な郷土料理

  • 奈良のっぺい

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    奈良の郷土料理の一つであるのっぺいは、里芋や大根、人参などを使った具だくさん...

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