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関西地方 滋賀県

滋賀県

琵琶湖が恵む米と魚をごちそうに。農耕の祭事が育んだ食文化

日本の中央部に位置する滋賀県は、周囲を標高の高い山に囲まれた内陸県である。県面積の約6分の1を占める広大な琵琶湖は、縄文時代から人々に淡水魚介類を恵み、周囲の近江盆地には水を巡らせ、地味豊かな稲作地帯を形成してきた。「近畿の米蔵と言われるほど、滋賀の農業は稲作が盛んです。米を中心に、琵琶湖で獲れる魚介類や平野部で生産する野菜、豆、芋など、食のほとんどを自給することができます。


取材協力場所:近江懐石清元

数百年もの年月を丁寧に営み続けた農村文化

大きな自然災害も少なく、とても住みやすい土地柄なんですよ」と教えてくれたのは、滋賀大学名誉教授の堀越昌子さん。その昔、滋賀には京都の貴族や寺院の荘園が多くあったというから、滋賀で採れる米がどれほど美味しいかがよく分かる。寿司米も近江米がよく使われたという。

農村文化が丁寧に継承されていることも、滋賀県の特徴だ。集落単位でしっかりと農業を継承しているため、「日野菜」など気候風土に合った在来種が数百年と受け継がれ、現在も廃れることなく栽培され続けている。また、五穀豊穣を祈る行事「オコナイさん」などの農業に関わる行事や、神饌となる郷土料理も継承されてきた。
うちの郷土料理
滋賀の代表的な郷土料理と言えば、「ふなずし」である。琵琶湖で獲れるフナを、その周辺の水田で作った美味しいお米で発酵させた保存食だ。7月に漬けて半年以上発酵させ、正月、オコナイさん、春祭りと1年かけて食べる。フナだけでなくウグイやハス、小魚のホンモロコ、アユなど、さまざまな魚を発酵させる。
うちの郷土料理

味付けは地域によって少し異なり、北部は塩分が高く、南部は甘めに作ることが多いそうだ。ハレ食にも神饌にも、時にはお腹をこわしたときの整腸剤代わりにも食べられていたという。堀越さんは「米と魚で生きてきた先祖たちの誇れる文化です。私もその味を感じる力が引き継がれているのか、ふなずしを食べると体が喜びます」と話す。

「琵琶湖があってこその食文化」と言う堀越さん。「あめのいおご飯」もまさに琵琶湖の恩恵にあずかった料理だ。秋になると、1~2キロにもなる大きなビワマスが産卵のために群れをなして川をのぼる。昔はそれを手づかみで捕まえて、米の上にのせて丸ごと大鍋で豪快に炊いていたという。
うちの郷土料理
秋の産卵期には雨の後に川の水量が増えてビワマスが上がってくることから、「あめのいおご飯」とか、地域によっては「あめのうご飯」「あめのうおご飯」や「ます飯」と呼ばれている。家族や親戚が集まって楽しむ旬の味だ。
うちの郷土料理
このほかにも、スジエビを大豆と一緒に煮込んだ「えび豆」や、琵琶湖固有種のホンモロコを串焼きにして泥酢をかけた「焼きもろこのどろ酢」など、琵琶湖の恵みが存分に生きた郷土料理がたくさん残され、現代にも親しまれている。
うちの郷土料理
湖北地域湖東地域湖南地域湖西地域と、各地域にも興味深い郷土料理が伝わっている。地域が誇る滋賀の味を堀越さんに教えていただいた。
うちの郷土料理

<湖北地域>
農村に伝わる海の幸を使ったハレ食

琵琶湖の北東部に位置する湖北地域は、冬になると積雪が多い。とくに長浜市は毎年30~40cmの雪が積もり、余呉のあたりでは5mほどの深い雪が積もることがある豪雪地帯だ。昔は冬になると雪に閉ざされてしまうことがあったため、家の中でも一冬を越せるほどの保存食を用意していた。そのため、山菜を干したり、塩漬けにしたり、魚をなれずしに漬けたりする技術が発達している。「白菜のたたみ漬け」など多種多彩な漬物が作られ、なれずしにする魚の種類も県内で最も豊富だそう。
うちの郷土料理

内陸にあるが、福井県の敦賀に隣接しているため、日本海で獲れたサバやニシン、昆布などの海産物や加工品が手に入る。昔は、親元から農家に嫁いだ娘のもとへサバを何十匹と贈る「五月見舞い」という風習があった。農繁期の娘の身を案じる親心から生まれた風習で、サバは田植え期の良いタンパク源になっていたという。この焼き鯖を煮て、その煮汁をからめた「鯖そうめん」は地域ならではの郷土料理。日本三大山車祭の一つにも数えられる長浜曳山祭りで、ハレ食として欠かせない一品だ。

<湖東地域>
近江商人ゆかりの郷土料理の数々

湖東地域は、近江商人ゆかりの地である。江戸時代には、天秤棒をかついだ近江商人が近江の産物を全国に売りまわり、帰りは各地の産物を持って帰ってきた。農村では、農家の次男、三男には田畑が与えられないため、自立するために商家に丁稚奉公に出るようになり、商人文化が花開いた由縁である。また、中山道や北国街道といった主要な街道が通っていたことも要因の一つだろう。
うちの郷土料理

「近江商人は、近代商法を確立して全国に販路を切り開いて行きました。遠いところでは山形まで行っていたようで、滋賀の漬物技術が山形で花咲いたこともありました」と堀越さん。

「丁稚羊羹(でっちようかん)」「赤こんにゃく煮」「丁子麩のからしあえ」など近江商人由来の郷土料理もたくさん残されている。丁稚羊羹(でっちようかん)はもともと、丁稚奉公をしている息子が、正月やお盆の休暇を故郷で過ごし、再び奉公に出る際に持たせたお土産であった。竹皮で包んだ蒸し羊羹で、素朴な家庭の味を楽しめる。
うちの郷土料理

五個荘の近江商人の家では、夏場になると茄子の味噌汁である「泥亀汁」が好まれた。すりごまをたくさん入れて栄養を補給し、暑い夏をのりきっていたという。格子状に包丁を入れた茄子が亀の甲羅のように見えることから、この名前がついた。

<湖南地域>
都の文化と滋賀らしさが共存する地域

京都に隣り合う湖南地域は、都の影響を大きく受けながらも、滋賀らしい味を忘れることなく共存させながら食文化を育んできた。正月の雑煮は京風で、祭りなどでのハレ食にも京都に似たちらし寿司や棒鯖鮨がふるまわれるが、滋賀のふなずしも食べられる。
うちの郷土料理

滋賀から京都へと出荷される産物も多い。とくに大津は都に献上される米の集荷場で、非常に裕福な町だったという。草津市には個人農家が集まった野菜団地が形成され、昔から京都へ大量の野菜を出荷している。

甲賀市の水口町は、歌川広重の「東海道五十三次」でも描かれている、伝統的な「水口かんぴょう」の産地である。しかし、甲賀市の農業は大変な苦労を伴っていたという。「甲賀市の東南部の多くはもともと琵琶湖の底だった地域です。土が粘土質なので、農業は相当な重労働でした。農業だけでは食べていけず、置き薬販売の副業や冬場の内職で稼いで補っていたようです」と堀越さん。しかし、そんな土質だからこそ、もち米やお茶などは美味しく品質のよいものが育つという。信楽の朝宮地区は、全国でも有数のお茶所だ。
うちの郷土料理
このお茶所に伝わる郷土料理が、「くるみごぼう」だ。甲賀市信楽町にある三所神社の秋祭りで神饌としてふるまわれる。「くるみ」というのは、枝豆を摺ったもののこと。薄皮まで取り除いた大豆を潰し、少しの甘みと塩味をつけ、ごぼうをくるんだ料理である。美しいうぐいす色と上品な味わいが滋賀らしい。
うちの郷土料理

<湖西地域>
雪国文化に根付く保存食と鍋料理

比良山や朽木の山々に囲まれ、平野部が少ない湖西地域では、山の斜面を利用した棚田で農業を営んできた。湖北地域と同様に雪国の文化が根付いており、漬物やなれずしなどの保存食が発達している。高島市の畑地区では、棚田で栽培した野菜で「畑漬け(はたづけ)」を漬ける。塩と唐辛子だけで漬けるため、平野部では長持ちしないが、標高が高い畑地区では保存食になるという。また、若狭から京都に向かう鯖街道が朽木を通るため、サバもなれずしとして漬けられる。湖北地域よりも塩辛く長期間漬けるため、何年も保存がきくそうだ。
うちの郷土料理
県全域では、近江牛をはじめとする肉や魚を使った「じゅんじゅん」と呼ばれるすき焼き鍋がよく食べられるが、湖西地域の琵琶湖岸では湖で獲れたばかりのイサザやウナギをじゅんじゅんにすることが多い。割り下ではなく、たっぷりの出汁に葱や牛蒡などの野菜と一緒に煮ると、余分な油が落ちて上品な味になる。お正月や春祭りなど、行事ごとで食卓を彩る料理だ。
うちの郷土料理

堀越さんは「地域に入って調査活動を続けていると、こんな美味しい料理があるの、とまだまだ驚かされます。ほっとする味で、何回食べても飽きません」と顔をほころばせる。郷土料理は、その地域にしかない貴重な財産。これからもその魅力を掘り起こして、広く伝えていただきたい。

滋賀県の主な郷土料理

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    ふなずし

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