中国地方 島根県
多種多様に展開する"神々のくに"の食文化
和銅5年(712年)に編纂された日本最古の歴史書である「古事記」。そのなかに記された神話の多くの舞台となっている島根県。
中国地方北部に位置する島根県は、東は鳥取県、西は山口県、南は中国山地をへだてて広島県に接している。県土を構成するのは、本土の出雲地方と石見地方、そして島根半島の北方40km~80km の海上に浮かぶ隠岐諸島。古くから、日本海を挟んだ朝鮮半島と交流があり、独特の文化圏が形成された。現在も県内各地から朝鮮半島由来の土器が出土するというから驚きだ。
気象は北陸型と北九州型の中間にあたり、年平均気温は12℃~15℃ほど。暖候期は地域的な気温差はあまりないが、寒候期の東部は日本海の気流によって厳しい寒さになる。
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取材協力店舗:ゆう心
食文化、習わし、言葉......、個性豊かな地域性
出雲大社が鎮座する"神々のふるさと"出雲地方、海の生活・山の生活が調和する石見地方、四方を海に囲まれた隠岐諸島。隠岐諸島はもちろんのこと、陸続きの出雲地方・石見地方ですら地域性は大きく異なる。人々の気風や習慣、言語にいたるまで3つの地域でそれぞれの歴史を歩んできた。
<出雲地方>
松江藩7代藩主が愛した、出雲の味覚
出雲市の象徴ともいえる出雲大社。縁結びの神様「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」を祀り、旧暦10月「神無月」には津々浦々の八百万の神々がこの地に集う。そのため、出雲地方だけは神無月ではなく「神在月」になる。
もとは、県東部の奥出雲地域で救荒食として根づいていたそば文化が伝わったものだ。「不昧公(ふまいこう)」こと、松江藩7代藩主の松平治郷は、この「出雲そば」が大好物で、鷹狩りの際にも携帯していくほどだった。

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古事記におさめられた出雲国の国譲り神話には、大国主大神が天照大神へ大きなスズキを献上したと伝わっている。


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「『スズキの奉書焼き』のような献上料理も島根県の大事な食文化ですが、庶民に親しまれてきたシジミや赤貝、たけのこなどの郷土食材を使った家庭料理もいいものです。昔とくらべ食べる機会は減りましたが、久しぶりに食べるとやっぱりホっとするんです」。

<石見地方>
河川流域、海岸部、山間部それぞれの暮らし
日本海側に面する海岸部は、暖流の対馬海流の影響で比較的おだやかな気候である。暖流と寒流がまじわる沿岸・沖合は好漁場を形成する。かつて石見国府が置かれていた浜田市も古くから漁業が営まれてきた。明治20年(1887年)には、魚市場を開設。戦後は、旋網漁業によってイワシ・アジ・サバなどの生産量を増大させた。

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一見、丼に盛られた白いごはんだが、器の底には炒め煮された人参、しいたけ、ごぼうなどが隠れている。この一風変わった食べ方のはじまりにはいくつかの説があり、粗末な具材を隠すため、質素倹約時代にぜいたくを隠すためとも。昭和14年(1939年)には「日本五大銘飯」に選定。いまや、地区を代表する郷土料理だ。

<隠岐諸島>
独自の食文化が醸成された、豊穣の海に浮かぶ島々
諸島全体で見ても人口は2万人ほど。この小さな島々では、出雲地方とも石見地方とも異なる歴史、文化が育まれてきた。それは、かつて流刑の島だったことも影響している。律令時代は多くの人が島へ送り込まれ、そのなかには時流から外れた名士や高官も。また、18世紀なかごろからは、商船群・北前船が頻繁に寄港するようになる。そのときにもちこまれた各地の民謡はいまでも歌い継がれていて、隠岐諸島は「民謡の宝庫」としても有名だ。

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四方を海に囲まれた環境は、独自の調味料文化を発展させた。その一例が「こじょうゆ味噌」。これは、大豆や麦の粒が残った醤油と味噌の中間にあるような発酵食品。島内で醤油が使われるようになったのは、明治時代以降といわれており、大量醸造されるようになってからも各家庭では、「こじょうゆ味噌」がつくられていた。麦飯おにぎりを焼いた「焼き飯」になくてはならない調味料。19年間を島で過ごした後鳥羽上皇も愛食していたという。

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島根県の主な郷土料理

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