肥沃な大地、良質な水に育まれた関東有数の農業県
栃木県は関東平野の北端に位置し、北は福島県と接し、東に茨城県、西に群馬県、南は茨城、埼玉、群馬の三県と接する、全国でも海に接していない数少ない県の一つである。年間を通じて温暖で、夏は高温多湿、冬は寒冷乾燥だが日照時間が長い。夏と冬、昼と夜の寒暖差、湿度の差が大きい内陸性気候は、多様な農作物を育てるのに最適である。
取材協力:柏村祐司、髙橋久美子、半田久江
栃木県は県土の5割以上を森林が占める。東に八溝山地、北から西は那須連山・帝釈(たいしゃく)山地・日光連山および足尾山地と三方を山地に囲まれ、南に向けて三方の山地に水源を持つ那珂川、鬼怒川、思川、渡良瀬川等が流れ、流域には火山灰台地と沖積地が織りなす広大な関東平野が開ける。
肥沃な大地と豊かな水資源に恵まれた栃木県は、全国的にも知られる農業県である。生産量日本一を50年以上維持する「いちご」や、国内における生産量の9割を占めるかんぴょうを始め、うど、にら、トマト、さといも、なしなどが全国における生産量でも上位を占める。また、全国でも有数の麦作地帯としても知られ、かつては小麦や大麦、近年は二条大麦、六条大麦の生産量もトップクラスである。
農産物以外にも、清流として名高い那珂川、鬼怒川、思川では、アユやマスを中心に漁業や養殖も盛んに行われている。
このように、内陸県ならではの自然風土と、変化に富んだ地形に応じて四季折々に収穫される野菜、穀物、山菜、川魚を中心とした食材を用い、それらを生活の中から生み出した独自の調理方法や保存方法により多様な郷土料理が生み出されてきた。
先人たちの知恵が詰まった代表的郷土料理「しもつかれ」
栃木県の数ある郷土料理の中でも代表的な料理をひとつ紹介しよう。現在でも栃木県の大部分の地域で作られる「しもつかれ」はもともと正月料理で残った塩引き鮭の頭、節分の残り豆、大根、酒粕、油揚げなどの残り物を煮込んだ料理で、旧暦の2月初午(はつうま)にお稲荷様にお供えするために生まれたとされている。「しもつかれを食べ歩くと病気にならない」とも言われるほど栄養価が高く、冷蔵庫もなく輸送の手段も乏しかった時代に、残り物を利用し、貴重な食材を無駄にしないという先人たちの知恵が詰まった一品である。
以降では栃木県を大きく、日光および那須地域を中心とした山岳地帯、東部の八溝山地と南西部の足尾山地南部など比較的なだらかな山が連なる山間部、台地と沖積地の織りなす平野部、川魚料理の文化が根付く河川流域の4つの地域に分けて、それぞれ地域の特徴とそこで育まれた郷土料理を紹介していこう。
<山岳地帯>
山と川の恵みから生まれた郷土の味
栃木県の北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園に指定されており、自然豊かな地域である。ユネスコの世界遺産にも登録された日光の社寺、男体山の噴火からできた中禅寺湖や華厳の滝、那須・塩原・鬼怒川などの温泉地が点在しており、観光資源も充実している。(写真:篠井連峰より日光山を望む)
山岳地帯では、かつては日常の食事として麦飯やひえ飯を主食とし、山で採れる山菜類や渓流で獲れるイワナやヤマメなどの川魚を食してきた。一方、晴れの日に食べる料理として代表的なものといえば、そばや餅料理であった。
「ばんだい餅」は日光市栗山地区に古くから伝わる郷土料理で、円盤状に丸めて焼いた餅に、甘味噌やじゅうねと呼ばれるえごまの味噌だれを付けて焼く。小豆餡や大豆をすりつぶしたずんだを付けることもある。もち米ではなく硬めに炊いたうるち米を使うのが特徴で、もともと山の作業小屋で板の台の上で斧の峰等で叩きながら餅にすることからその名が付いたとされている。渓流で釣ったイワナを出汁にした汁物に入れることもあり、山と川の幸の両方を味わうことができる。
古くから山岳信仰の聖地として多くの修行僧が暮らしてきた日光で、精進料理のひとつとしてこの地に伝わったのが「湯波(ゆば)」である。一般的には「湯葉」と表記されることが多いが、日光のものは独自の製法により、表面が波打っていることが特徴のため「湯波」と書く。生湯波を重ねて棒状に巻き、輪切りにして油で揚げた揚げまき湯波を使った「揚げまき湯波の煮物」は、この地方を代表する料理である。
この地域ではその他にも、山鳥や鹿の肉を使ったジビエ料理なども食べられてきた。米の収穫が少ない土地ならではの、山と川の恵みを存分に活用した食文化が特徴である。
<山間部>
山間部に根付く粉食および、さといも食文化
東部と南部に位置するなだらかな山間部では、山と平野の両方の恵みを受けながら独自の食文化を育んできた。特に気候的にも土壌的にも、麦類やそば、さといもの栽培に適しており、うどんやそばなどの粉食文化や芋食文化が根付いてきた。(写真:そば畑)
東部の八溝山地の山村に伝わる代表的な郷土料理といえば「ばっとう汁」である。じゃがいもやにんじん、しいたけなどをたっぷり入れた味噌汁の中に小麦粉で作った団子を入れた、一般的には「すいとん」と呼ばれる料理で、地域によって「はっとう汁」、「だんご汁」など様々な名前で呼ばれている。かつては水田の少ない地域で、米の不足を補う食べ物であった。
さといもは縄文時代に熱帯アジアから伝わったとされ、栽培適応範囲が広く、宇都宮周辺の火山灰大地や那須扇状地、足尾山麓一帯の砂礫地など寒冷地域を除く県内の幅広い場所で栽培されてきた。さといもを使った郷土料理としては、祭りや年中行事等に振舞われた「煮しめ」や、囲炉裏を囲んで焼いて食べる「芋ぐし」などが代表的である。
宇都宮市の西側の山間地にある鹿沼市は、平地と山地の両方を持つ地形や、昼夜の寒暖差が大きい気候条件もあり古くからそばの栽培が盛んだった。また、人々はそばの量(かさ)増しに、にらや大根を入れるなど工夫を凝らしながらそばを食してきたという。それがこの地域に伝わる郷土料理「かてそば」である。今日、鹿沼市では「にらそば」、南部の佐野市では「大根そば」を提供する店舗が多く、今でも庶民の味として親しまれている。
南部の両毛山地の山間に位置する佐野市葛生地区と宇都宮市古賀志地区の一部に伝わる「耳うどん」は、うどんを耳に似た形に練った一風変わったうどんである。
佐野市では、この耳の形をしたうどんを手に持ち耳に当て「いい耳聞け」とその1年よいことがあるようにと祈る風習がある。主に正月料理として食べられてきた料理だが、今では佐野市の名物として飲食店でも食べられる。このエリアではその他に、地元で獲れた蕎麦粉を使った「仙波そば」も知られている。
<平野部>
栃木を代表する2つの主役「うどん」と「かんぴょう」
県央部から南部にかけては、台地および沖積地が連なり、台地上には畑が、沖積地には水田が広がっており、米や野菜、果物など多彩な農作物が生産されている。特に、にら、さといも、かんぴょうなどの野菜、稲、小麦、二条大麦、六条大麦などの穀物の生産が盛んである。(写真:高根沢町の田園風景)
特に県南部では乾燥した気候を活かして、水田の水を抜いて乾かした畑で二毛作を行うことが可能だった。そのため麦の生産が盛んとなり、小麦を使ったうどんやまんじゅうなどの料理が作られた。
「ちたけうどん」は、平地林が広がる平野部ならではの料理である。一般的にきのこの収穫時期は秋だが、ちたけは8月頃に生えるきのこで、かつては自然豊かな里山地帯で多く採れた。割くと白い汁が出て、香りが良いのが特徴で、うどんやそばのだし汁として用いられた。
画像提供元:『ふる里の和食宇都宮の伝統料理』(柏村祐司/半田久江)
栃木県を代表する食材といえば、国内生産の9割以上を占める「かんぴょう」である。約300年前に、壬生藩主(現下都賀郡壬生町)の鳥居忠英が、近江の国(滋賀県)からお国替えになった時に、かんぴょうの原料であるユウガオの種を取り寄せ広めたと伝わる。この辺りは、水はけのよい土壌や、夏の風物詩である雷雨が地面を冷やし、水分が実を太らせ成長を促す。このような土壌や気象条件がユウガオの栽培に適していたことから、壬生を中心に広い範囲に定着していった。 (写真:かんぴょうの原料となるユウガオの実)
かんぴょうは独特な食感があり、様々な味付けにも馴染み、主役にも脇役にもなる食材である。定番の「かんぴょうのり巻き寿司」や「いなりずし」に用いたり、「干瓢のごま酢あえ」など和え物にしたり、煮物の具材にも使うことが多い。
代表的な料理「干瓢の卵とじ」(写真)は、もともと農家でかんぴょう作りの際に余ったかんぴょうを利用して作られた料理だが、現在では気軽に作れる料理として県民に親しまれ、学校給食でも提供されている人気メニューである。
なお、近年、宇都宮市を代表する料理として餃子が知られる。かつて中国に出兵した兵士たちが現地で餃子を知り、帰国した際、中国で食べた餃子をこの地で再現して作ったことなどから広がったという。現在では市内に200店舗以上の餃子店が軒を連ね、栃木の食文化を語る上で欠かせない料理となっている。
<河川流域>
全国屈指の清流が育む豊かな川魚料理
日光白根山、男体山、那須岳などが連なる山々から水源をもつ、那珂川(写真)、鬼怒川は「天然アユがのぼる100名川」にも選定された清流として知られ、川魚の宝庫である。アユやアイソ(ウグイ)を始め、フナ、ナマズ、ウナギ、ドジョウ、サケ、マスなどが豊富に獲れ、「海なし県」の栃木県にとって、川魚は貴重なたんぱく源であった。
特にアユの漁獲量は現在でも全国屈指。夏の間、アユ漁の仕掛けとして那珂川や鬼怒川に設置されるヤナは、夏の風物詩として多くの観光客を集めている。
川魚料理の中でも特に親しまれているのがアユ料理である。「鮎塩焼き」「鮎めし」(写真)など、現在でも流域の飲食店では様々な鮎料理を食べることができる。当時からアユは貴重な食材であったため、食べきれない分は串に刺して巻き藁に突き刺し、囲炉裏のかたわらに吊り下げて燻製にしたり、アユを米と塩で発酵させたなれ寿司の一種「鮎のくされ鮨」を作ったり、また、腹わたは塩漬けにして「うるか」という保存食にするなど、工夫を凝らしてきた。
川魚料理として定番なのが、砂糖や酒で甘辛く煮た甘露煮である。春先に産卵のために集まってきたアイソは身体に赤い縞模様が現れ、身は柔らかいのが特徴。塩焼き、南蛮漬けなど様々に調理されて食べるが、なかでも骨まで煮込んだ「あいその甘露煮」は、地域の保存食として現在にも受け継がれている。
画像提供元:『ふる里の和食宇都宮の伝統料理』(柏村祐司/半田久江)
現在も独自の調理方法や食材を用いた地域色ある郷土料理が、県内各地に数多く残る栃木県。時代により人々の暮らしが変化する中、もともとの食習慣や味付け、食材など、少しずつ変化しながらも、それらの料理を生み出した先人たちの知恵や工夫が今もなお受け継がれている。
栃木県の主な郷土料理
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しもつかれ/シモツカレ
栃木県を代表する郷土料理のひとつ。正月に食べた塩引き鮭の頭や、節分に煎った福豆...
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耳うどん
「耳うどん」は、旧葛生町常盤地区(現・佐野市)および宇都宮市上古賀志地区に伝わる...
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干瓢の卵とじ
「干瓢の卵とじ」は、栃木県の特産品「かんぴょう」を用いた郷土料理である。栃木県は...