東北地方 山形県
"もう一つの日本"と称される山形県の食文化に息づく、滋味深さ
本州の東北部に位置する山形県。県の真ん中に位置する月山(がっさん)の周囲に、「日本百名山」にも数えられる蔵王山(ざおうさん)、鳥海山(ちょうかいざん)、吾妻山(あづまやま)が連なり、一帯には、風光明媚な景観が広がる。
美しい自然に恵まれたこの土地で、俳聖・松尾芭蕉は、奥の細道の全行程のうち43日間を過ごした。「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」。おなじみの"蝉の句"は、山形市の名刹「立石寺(りっしゃくじ)」で詠まれたもの。県内に点在する芭蕉ゆかりの地は、俳句好きのみならず、たくさんの観光客が訪れる名所になっている。こうした魅力を持つ山形県をアメリカの元駐日大使エドウィン・O・ライシャワーは、"山の向こうのもう一つの日本"と称えた。
取材協力店舗:味どころ ふる山
郷土料理が多彩に進化したうまいもの王国
とろけるような食感の「総称山形牛」や高品質の「山形県産銘柄豚肉」はファンが多い。また、忘れてはならないのが四季折々の彩り豊かなお漬物。「青菜漬(せいさいづけ)」、「赤かぶ漬」など多種多様なふるさとの味が脈々と受け継がれている。


「村山地域、最上(もがみ)地域、置賜(おきたま)地域、庄内地域の4地域で構成される山形県。しかし、郷土料理の代表格である「芋煮」一つとっても、地域によって食材や味付けが異なり、一様ではない。多彩に進化する各地域の食文化を見てみよう。
<村山地域>
里山に古くから根づく保存食文化
江戸時代には、最上川舟運を介した交易によって上方文化がもたらされた。この地域の旧家に残る絢爛豪華なひな人形「古今雛(こきんびな)」や「享保雛(きょうほびな)」などは、かつて盛んにおこなわれていた交易の名残りである。

このほか、雪深い地域には、昔から冬に備え、春から夏にとれた山菜や野菜を干したり、塩漬けにしたりして保存する食文化が根づいている。

画像提供元:やまがたの広報写真ライブラリー
<最上地域>
芭蕉ゆかりの地に残る、一風変わった郷土菓子
地域を流れる最上川の清流に育まれた米を中心に、ニラやねぎなどの園芸作物、山菜や菌茸(きのこ)類の栽培も盛んで、とりわけ、菌茸類の生産は県全体の約7割を占めるほど。

「くじら餅」は、旧暦の桃の節句の行事食。ひと昔前は、家々でつくるのが習慣になっていて、近所同士で自慢の「くじら餅」をおすそ分けしあっては、その腕前を競ったという。

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<置賜地域>
上杉家が奨めた鯉料理
この地域は、上杉家ゆかりの地としても知られている。米沢市の「松ヶ岬公園」にある「上杉神社」は上杉謙信を祀り、春には「米沢上杉まつり」、冬には「上杉雪灯篭まつり」が催されている。

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この地域では、コイを使った料理が古くから食べられてきた。もともとは川で釣ったコイを食べていたが、藩政時代からはコイの養殖が盛んに。きっかけは、米沢藩主の上杉鷹山公(ようざんこう)。動物性たんぱく質に乏しい米沢藩を案じた鷹山公は、福島県からコイの稚魚を取り寄せ、藩政として養殖を推し進めた。家臣たちは屋敷の庭先などに池をつくり、コイを育てていたという。

<庄内地域>
厳冬の味覚を凝縮した沿岸部ならではのごちそう
酒田港を抱える酒田市は、かつて北前船の寄港地として大いに栄えた。北前船は、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した商船群のことで、京都を思わせる酒田市の料亭文化は、北前船の商人や船主たちに由来したものである。

山岳信仰の聖地である出羽三山を擁する鶴岡市には、古くから精神文化と結びついた「行事食・伝統食」が継承されている。また、数百年にわたり守り継がれてきた在来作物は50種類以上確認されており、こうした歴史や食文化を背景に、日本で唯一ユネスコの「食文化創造都市」に認定されている。
約60kmに及ぶ沿岸地域・庄内浜では、1年を通して130種類以上の海産物が水揚げされ、近年は「庄内おばこサワラ」や「天然トラフグ」、「庄内北前ガニ」のブランディングにも力を入れている。
庄内の冬の風物詩「寒鱈(かんだら)まつり」の主役は、寒ダラのあらや白子、肝臓などを味噌で仕立てた「寒鱈汁(かんだらじる)」。タラの旨味と旬の岩のりの風味が際立つ1杯に、来場者たちも思わず顔をほころばせる。

「『玉こんにゃく』とか『芋煮』とか、派手さはないけど地のものを食べてる感じがしますよね」と、古山さん。その素朴さのなかにキラリと光る食の魅力が、時を越えてしっかりと受け継がれてきている。

山形県の主な郷土料理

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