中国地方 山口県

温暖な気候と恵まれた自然条件が育む食材
中国地方に属し、本州の最西端に位置する山口県。荒々しい日本海側の響灘、関門海峡、瀬戸内海側の周防灘と三方が海に開かれ、東西に中国山脈が走る地形から、瀬戸内海沿岸地域、内陸山間地域、日本海沿岸地域の3つに大きく分けられる。また、気候は温暖で風水害や地震が比較的少ないため、住みやすく、自然条件に恵まれた土地と言われている。
北と南で異なる特性を持つ海があるため多彩な海産物に恵まれており、また、変化に富んだ地形などの自然を生かした農業も盛ん。全国的にも有名な岩国れんこんをはじめ、山口県で生まれた、はなっこりー、伝統野菜のかきちしゃ、田屋なすなど多種多様な野菜や果物が生産されている。
取材協力店舗:割烹千代
動画素材一部提供元:(一社)山口県観光連盟
大内文化の開花から食文化に生まれた特色
また、山口県の発展には「大内文化」の開花も寄与している。百済国の王子琳聖太子の子孫として伝わる大内氏は、平安時代の末期に大内地方(現・山口市)に進出し、その後、源平合戦での功績が認められて次第に力をつけ西国一の守護大名、戦国大名として活躍した。
そんな大内氏が京の町の佇まいを手本に区画正しく整備した街路や、京風の名前を付けた街並み、朝鮮や明(中国)との貿易で蓄えた富による絢爛な文化などから、室町時代には「西の京」と呼ばれるまでになった。大内氏が家臣の謀反をきっかけに没落した後は毛利氏が登場した。その後、毛利氏が本拠地とした萩や毛利家一門の吉川家が領主だった岩国では武家文化が生まれ、それに合わせて食も発展。また、北浦の捕鯨文化や県魚にも指定されている下関のふぐを使った料理など、特色のある食文化が生まれた。
幕末の偉人により解禁されたふぐと、廃れてもなお愛されるクジラ
山口県の食、特産品で全国に知られているものといえば高級魚の「ふぐ」だ。その歴史は古く、下関の弥生時代の遺跡からは、2000~2500年前のふぐの骨が出土したほどだ。しかし、安土桃山時代には、朝鮮出兵の際に兵士がふぐを食し、相次いで死亡した出来事から、豊臣秀吉がふぐの食禁止令を発することとなった。江戸時代には幕府による禁止令も出され、取り締まりが強化されたという。しかし、一般市民の間ではふぐ食は親しまれており、伊藤博文がそのうまさに感心したことをきっかけに、明治21年には山口県でのみふぐ食が解禁され、下関はふぐの町として知られるようになった。
また、下関をはじめとする北浦地域では捕鯨も盛んに行われており、長門では寛文12年(1672年)に、現在の仙崎浦の「鯨突き組」が、長州藩に取り立てられた記録が残っている。クジラ漁が盛んになったのは、秋から冬にかけて暖かな海で出産・子育てするためにクジラが南下してくるためだ。川尻地域だけでも約200年間に2800余頭を捕獲したとされており、その盛栄をうかがい知ることができる。
しかし、クジラの激減によってクジラ漁は衰退し、1910年の捕鯨が最後になったという。それに対し江戸時代、北前船の寄港地だった下関は、長門や萩で捕獲された鯨の肉や油を下関の問屋を通じて九州、北陸、関西に送る「流通基地」としての役目や、捕鯨ではなく捕鯨をする鯨組への資金提供や資財の補給地、さらには消費地としての役目を担ってきた。消費地でもあったことからクジラの食文化が根付いており、1958年にあった大洋漁業の鯨の直営レストラン「日新」には、クジラ料理が25種類もあったと言われているほどだ。北浦地域での捕鯨が行われなくなった後も、クジラ食は庶民の間で根付き、現在まで受け継がれている。
フグやクジラなど、全国的に知られる食文化の他にも、山口県には多彩な郷土料理が存在している。ここでは大きく、萩市、長門市、下関市を有する日本海沿岸の北浦地域、岩国市や周南市を有する東部地域、宇部市や山口市などを有する瀬戸内海沿岸の中部地域の3つの地域に分けて、各エリアの食文化を紹介しよう。
<北浦地域>
海の恵みがもたらした富と豊かな食
下関市や長門市、萩市などを有する北浦地域は、日本海沿岸に位置することから海の幸に恵まれている。中でも有名なのが下関のとらふぐで、透けるほどに薄く切り分けられた「ふぐ刺し」として祝い事などの特別な日に食されることが多い。対してシロサバフグなど安価なふぐは、下味を付けてからりと揚げる「ふぐのから揚げ」として家庭や居酒屋などで日常的に食べられている。
かつて長門市で盛んだった捕鯨は現在行われていないものの、その名残として「くじらの南蛮煮」や「くじらの竜田揚げ」などの郷土料理が継承されている。特に「くじらの南蛮煮」は、赤身だけでなく、皮の部分も使って作られていた料理で、クジラの皮やヒゲまですべてを無駄にすることなく活用していた、人とクジラとの関わりが垣間見られる逸品だ。
北浦地域の中でも、武家文化が残る萩市は独自の食文化を持つ。県内各地で食されている「いとこ煮」は、萩市内で特に親しまれている郷土料理だ。甘く味付けした小豆と白玉粉のだんごを使うことは共通するものの、味付けや材料、汁気などは地域によって異なる。萩市では昆布などの出汁を醤油、塩などでととのえた城下町らしい澄んだ汁に、小豆と白玉のほかにシイタケ、かまぼこなどを入れ、冷たい汁物に仕立てる。
また、萩市の歴史と深く関わりがある料理が「夏みかん菓子」だ。かつて萩市は、長州藩の政治経済の中心地として栄えた。しかし、山口に藩庁が移ったことで町民が困窮。さらに、明治になり士族も困窮したため、その打開策として植えられ、名産品となり萩の人々を救ったのが夏みかんであった。そんな夏みかんは、現在も名産品であり、砂糖漬けにした「夏みかん菓子」として食されている。
<東部地域>
献上品や日常食として姿を変えて食された米
日本海と瀬戸内海に囲まれ、県中央部には東西に中国山地が走る山口県は、その地理的・地形的特性から温暖な地域である。しかし、地域によって環境が大きく違うという特徴があり、その影響は米作りに見て取れる。瀬戸内沿岸や島根県・広島県との県境の中山間地域、日本海の平坦部から県中央部などの地域など、気候・風土に応じて適地・適作で米作りは行われている。中でも米を使った郷土料理が残るのが、岩国市や周南市を有する東部地域である。
旧岩国藩時代から個性が光る岩国の郷土料理
県内でも特に風光明媚な岩国市。5連の木造アーチ橋で国指定の名勝「錦帯橋」を有することでも知られている。この地は、江戸時代には吉川氏が治める岩国領の城下町で、大政奉還後の慶応4年に岩国藩となった。城下町らしい郷土食として今も残るのが、江戸時代から栽培されているという岩国れんこんを使った「岩国寿司」だ。
「岩国寿司」は、岩国れんこんの酢漬けや伝統野菜のチシャ、アナゴの煮付け、錦糸卵、でんぶなどの豪華な食材を使い、3~5段に重ねて作る城下町らしい豪華な押し寿司である。「殿様寿司」とも呼ばれ、吉川氏の命令により戦中の保存食として作られた。献上品とされることあり、また、現在は祝い事に欠かせない料理である。
「岩国寿司」は一度に大人数分を作る豪勢な料理だが、一方で、貴重な米を大切に食すために生まれた料理もある。それが、17世紀の初頭、岩国藩主・吉川公が米の節約のために奨励した「茶がゆ」だ。煮出したお茶と残り物のご飯を炊いて作られることが多く、時にはサツマイモを加えることもあったという。ともに、米が貴重であった時代に思いを馳せながら食したい。
<中部地域>
中心地から県全域へ。広がる山口県の食文化
宇部市や山口市などの瀬戸内海沿岸地域を含む中部地域。西の京と呼ばれた山口市の瑠璃光寺五重塔、美祢市中・東部に広がる日本最大のカルスト台地で特別天然記念物でもある秋吉台など、観光名所も多い。
山口市では、室町時代から愛されている「外郎」が土産物として人気だ。他県の「外郎」と異なり、ワラビ粉を使うことでブルブルとした弾力と、モチモチとした食感が生まれているのが特徴で、その唯一無二の味わいにはファンが多い。
また、山口市で生まれ県内全域で広まったのが「チキンチキンごぼう」だ。給食メニューのマンネリ打開のために家庭から募集したメニューを元に考案された料理で、砂糖と醤油の甘辛いタレの味わいが子どもから評判だ。給食を通して家庭に広まり、さらに街へと口コミで伝わった県民食となっている。
同じように「けんちょう」や「かぶ雑煮」など、県内全域で食される郷土料理も多く、「チキンチキンごぼう」も近い将来、山口県の郷土料理として根付いていくことだろう。
山口県の主な郷土料理
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ちしゃなます
下関の伝統野菜として、かつては各家庭の庭で自家栽培されていたという「かきちしゃ」...
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けんちょう
山口県の郷土料理として県内各地で食されている「けんちょう」は、豆腐とだいこん、...
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いとこ煮
山口県内で広く作られてきた「いとこ煮」は、甘く味付けした小豆と白玉粉のだんごを...
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