

小城(おぎ)ようかん
地いき色ゆたかな食品
どんな料理?
「小城(おぎ)ようかん」は、古くから佐賀県(さがけん)の小城市(おぎし)で作られているようかんです。日本で今のようかんの原けいとなる練りようかんが考案されたのは、江戸(えど)時代初期のころといわれています。 「小城(おぎ)ようかん」は、明治(めいじ)時代の日清(にっしん)戦争のときには、戦地に送られていました。そこで、ほかの食べ物がくさっていくなか、 「小城(おぎ)ようかん」だけは、味が変わることがなかったといいます。それ以来、「小城(おぎ)ようかん」は全国でも知られるようになりました。
作り方・食べ方
「小城(おぎ)ようかん」は、「切りようかん」という昔ながらの作り方をしています。日持ちを良くするためにまわりを白くとう分でかため、これによって外はさとうのシャリシャリ感、中はやわらかくなめらかな食感を味わうことができて人気です。
由来・話題など
日本がほとんどの外国とのかかわりをたっていた鎖国(さこく)時代、西洋とゆい一のまど口だった長崎県(ながさきけん)の出島(でじま)にとどいたさとうは、福岡県(ふくおかけん)北部の小倉(こくら)へつづく長崎街道(ながさきかいどう)を通って運ばれました。このことから長崎街道(ながさきかいどう)は「シュガーロード」ともよばれ、道ぞいでは、カステラやようかん、こんぺいとうなどさまざまな食品やおかしが作られるようになり、さとう文化が花開きました。

